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第37回 「便利」

開催日時
令和元年9月27日(金) 14:00~17:00
討議テーマ
「便利」について
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
下山、水野、田中、望月

討議内容

今回新たに田中さんが参加してくれました。田中さんは、フリーのライターとして活躍されていて、今は、映画や美術関連の仕事をしているとのこと。若い感性で、議論を大いに盛り上げてくれることを期待しています。

 今回は、便利について議論した。便利というのは、議論するまでもなく、物事を楽にしてくれる事やモノということで簡単に結論付けることもできる。そして、便利というのは人間社会にとって善的なものとして受け取られていることが多い。でも、近年の人間社会を見てみると、いつの間にか便利なものやことに囲まれていて、そこに幸せな生活を感じたりもしているのだが、ひとたび大震災や今回の台風などの自然災害に直面すると、その便利さが失われ、原始時代の人類よりも不便な世界に突き落とされてしまうという両刃の剣であることに気付かされる。でも、そうした便利さへの人間の欲求にはあくことがないように思えるのだが、それは一体どこから来るものなのだろうか、そして、この便利さの行き着くところには一体どのような人間社会が待ち受けているのだろうか。

ここ半世紀を振り返ってみると、まさに便利さが加速的に人間社会に浸透してきた時代だったといっていいだろう。電話やTVの普及から始まり、パソコン、インターネット、スマホといったものの登場によって、社会は大きく変化してきた。そうしたものの登場は、人間生活において、時間の節約と、空間を縮めてきた。特に情報に関しては、様々な情報を居ながらにしてほとんど瞬時に世界中から収集することができるようになった。わざわざその場に行かなくても、知りたいことを知ることができ、見たいものを見ることができる。通販の発達は、居ながらにして商品を買うこともできるようになった。

そんな中で、最大の便利さがもたらされたのは、なんといっても家事に関連したものであろう。電気、ガス、水道、といったものは言うに及ばず、炊飯器、洗濯機、食洗器、電子レンジ、さらには、冷蔵庫、湯沸かし器、掃除機などなど。半世紀以上前の時代には、こうしたものは、すべて手作業だった。主婦の仕事は、朝早く起き、先ずは水くみから始まり、かまどに火をつけること、ご飯を炊くこと、料理をし、食事が終わると、はたきやほうきで部屋を掃除し、手洗いで洗濯をし、というふうに、すべてが手作業で、時間もかなりかかっていた。

今やそうした手作業のほとんどが、電化され、主婦から家事の多くが解放された。それは、まさに便利さのお陰であるが、では、その便利さによって生まれてきた余暇の時間を、人は何に使っているのだろうか。多くは、スマホとインターネットによって、様々な情報を集めたり、友人との会話を楽しんだりと、楽しむことに充てている。もちろん、主婦が家事の多くから解放されたことで、主婦も外に働きに出ることができるようになった。

ただ、どうだろうか、そうした便利さを基盤とした社会の中で生きている私たち人間は、その便利さによって、本当に幸せな生活を得ることができるようになったのだろうか。もちろん、便利さによって、快適な生活ができて、幸せな生活を送ることのできている人も多いであろう。でも、その反面、便利さによって、常に仕事と向き合っていなければならない忙しさの渦の中に巻き込まれてしまっている人も多いのではないだろうか。

まだインターネットのなかった時代、仕事のやり取りの多くが郵送によるものだった。だから、そこには時間的余裕があった。でも今の時代は、一瞬のうちにやり取りできる手段があることで、考えたりする余裕すらなくなってきている。便利さは、時間と空間とを縮めてくれるものなのだが、それが仕事とかかわってくると、極めて忙しい環境を作り出すことになっているように思える。

また、多くの情報が簡単に得られる便利さは、今度はどれを選択するかを迷わせることにもなってきている。また、病気に関する情報や、治療技術の開発は、病気の悩みを増長させたり、治療方法に迷いを生じさせたり、倫理との葛藤を強いられたりと、新たな問題に直面させたりしてもいる。

ファストフード店やコンビニエンスストアー、さらには多様な外食店の存在によって、食生活も便利になった。忙しく働く人たちにとって、こうしたお店の存在は、心の支えになっている。でも、そうした便利さの活用によって、何かが失われていることも確かなような気がする。料理を作るというプロセス、情報を調べるというプロセス、自分で出向いて行って調べるというプロセス、便利さによって時間と空間が縮められるということは、このプロセスが省かれることになってくる。

そして、そのプロセスの中に隠されているものとして、愛、思いやり、創造性、知恵、技、巧、情緒といったものがあるように思える。こうしたものは直接目でとらえることができないから、それらが省かれても、ほとんど気付くことのないものだ。でも、そうしたものが、人間社会の中から次第に欠落していくことで、他人を思いやることのない、エゴ的な社会になっていってしまう危惧を感じる。

近年のスポーツへの関心の高まりは、人間社会のそうしたことへの反動の一つでもあるように思える。スポーツは、プロセスの中に喜びと感動とを生み出すもので、便利さとは対極にある世界だ。だから、世の中が便利になり、プロセスが省かれることによって失われていくものの大切さを無意識に感じてくるにしたがって、スポーツや芸術といったプロセスの中に生命が宿るものに人は引かれてくるのかもしれない。

次回の討議を令和元年11月29日(金)とした。       以 上

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