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第38回 「理想」

開催日時
令和元年11月29日(金) 14:00~17:00
討議テーマ
「理想」について
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
下山、大瀧、伊藤、望月

討議内容

今回は、理想について議論した。理想をテーマにするのは、人文研では初めてのことである。それだけ、このテーマが議論する余地のないものと漠然と思われていたからであろう。でも、議論していくと、理想の裏に、人間の心理とかかわり、生命とかかわる深いものがあることが見えてくる。

 議論を始めるにあたり、参加者一人一人に理想とする人生、理想とする政治など、理想とする諸々のことについて話してもらった。人生に関して、下山さんは親の支配から心が解放され、自立することによって、理想の人生を歩み始めることができたという。それは、親や世間という暗黙の縛りに心を縛られることなく、自分の本来やりたいと思っている道を歩むということでもある。

ただ、本当にやりたいことをやれたとしても、必ず糧を得ていかなければならないという現実がある。本当にやりたいことをやるというのは理想的な生き方ではあるけれど、そのことが必ずしも収入に結び付き、生活を維持していくことにはつながってはこない。収入を得るためには、意に反したこともやらざるを得なくなる。そこには理想と現実とが対峙する世界がある。晴耕雨読というのは、まさにその理想と現実とを表現した言葉のように思える。

アメリカの科学ジャーナリストが生命科学の影を暴いた本「生命科学クライシス」は、アメリカの研究者がこの理想と現実との狭間で苦しい研究生活を強いられていることを明らかにしている。多くの大学の研究者は、自分の研究費を企業からの寄付など自分で確保してこなくてはならない。そのために、有名な科学ジャーナルに論文を載せる熾烈な戦いが起きているという。その戦いに勝つために、データを改ざんしたり、再現性を確認することなくきれいなデータだけを掲載したりと、信用できない論文が9割近くもあるという。その中で、この著者は、ダーウィンの研究人生を引用し、ダーウィンのように生活するお金に困ることなく、何十年にもわたって研究を続け、その結果を論文や著書にするという研究生活は、今の時代では夢のまた夢と述べている。理想と現実との狭間で悩み悪戦苦闘しているのは、研究の世界のみならず、芸術の世界においてもスポーツの世界においても、ありとあらゆる分野で直面していることだ。

AIの進展によって、自分にとって理想的なロボットが誕生しつつある。一人暮らしの高齢者や、独身者にとって、自分のことを気にかけ、決して怒ることなく、優しく見守っていてくれるロボットは理想的なペットであろう。これと似たことがSNS上で起きている。SNS上で救いを求めたり、悩み相談をしてもらったりすることが、若者たちの中に浸透してきているらしいが、それに応えるのは先の理想的なペットではなく、善と悪とを抱いた生身の人間である。そこには、善を求めて悪の罠に陥る危うい世界がある。

理想的な政治は、武器も持たない、戦争もない、みんなが平和に暮らしていける社会を作り上げていくことであろう。何兆円にも及ぶ防衛費を社会保障政策に向けたら、どんなにか豊かな社会が築かれることだろうけど、現実は全く逆だ。一体どうして人間は、その理想の世界を築くことができないのだろうか。それを考えるうえで、アリやハチの社会は参考になる。蜜蜂の社会は、女王バチがいて、働きバチがいて、その他いくつもの役を持つハチがいる。この社会は、女王バチが権力を持ってはいない。すべてが全体を一つとする社会秩序の中で営まれているために、すべてが平等という世界が育まれている。それは、本能とでも呼べる見えざる力によって統制されているらしい。

それに対して、人間社会は、一見そうした昆虫社会と似ているような構造をとってはいるけれど、そこには、権力を持つ長がいて、ピラミッド型をした組織構造になっている。すべての人が平等ということにはなってはいない。また、国と国との間の争い、民族と民族との間の争いは絶えることがない。それは、人間が、昆虫のような人間としての本能的行動を営んでいないことによるのかもしれない。

プラトンはその著「国家」の中で、理想とする政治は、この人間としての本能に気付いた人が、長になって政治をすることだとして、心の底の底に秘められた人間の心の本質に気付くべきだとしている。それは、仏教でいうところの悟りの境地に達した人が政治をつかさどるべきだということのように思える。

ただ、現実の社会においては、先の糧との係わりのように、必ずしも理想的な世界ばかりを追い求めることはできない。理想的な世界が、平等、博愛、そして自由の世界だとすると、現実の世界では、そうしたものが一人一人のエゴによってゆがめられたり、自然災害や病気といった、自分ではどうしようもないことによって壊されたりしている。

こうした現実と理想の世界は、映画やTVドラマの根幹となっていて、その二つの世界が描かれているから、見る者の心に感動や共感の思いを与えているように思える。愛と死をテーマにした映画にしても、死という現実として避けがたい苦しみに対して、愛という理想の世界がその苦しみを優しく包み込んでくれる。水戸黄門に代表されるような悪者と善人という存在にしても、そこには、理想と現実とが重なり合って表現され、見る者の心に感動や楽しみを与えてくれる。

人間だけが理想の世界を追い求めている。それは、生命の営みが、人間をして、ある世界に導こうとしていることの現れなのかもしれない。ただ、日常生活の中で、人は、自分にとっての理想的な世界を心に抱きながらも、現実にはなかなかその理想的な世界に飛び込めない悩みを抱えながら、時として垣間見ることのできる理想世界を心の糧として生きているのではないだろうか。

次回の討議を令和2年1月31日(金)とした。​      以 上

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