- 2018-01-24 (水) 23:45
- 2018年レポート
- 開催日時
- 平成30年1月19日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 「秩序」について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 下山、大瀧(千)、伊藤、望月
討議内容
今回は秩序について議論した。この人間文化研究会で、秩序をテーマに議論するのは今回が初めて。それだけ、秩序という言葉は、日常使っていても、議論するほどのものではなく、秩序は秩序として一人一人の心の中に、あるイメージが必然的に抱かれてきていたということなのかもしれない。その秩序を改めて問い直してみると、論理的にはなかなか説明できないものを内に秘めていることがわかってくる。
私たちが、日常抱いている秩序の意味合いは、規律であったり、正しいことを乱さない状態であったり、作法であったりと、人間社会を穏便に維持していくための価値判断のようなものである。ただ、秩序は、人間社会だけとかかわるものではなく、秩序を意味するコスモスが、宇宙を意味しているように、自然の営みとも深くかかわっている。
宇宙物理学者たちが、その営みを探求していけばいくほど、宇宙が極めて秩序だった調和した世界であることに驚かされてくるという。その秩序は、宇宙の営みだけではなく、分子生物学が明らかにしてきているように、DNAの働きや、一つ一つの細胞の中での遺伝子の振る舞いなども、秩序だったメカニズムによって、生命が維持されている。
前回、昆虫の社会が極めて統制の取れた営みがなされていることを議論したが、そこにも見えざる秩序が存在している。動物の世界においても、群れであるとか、サル社会のボスの存在であるとか、あるいは縄張りなどに見られる動物相互の関わり合いの中にも、秩序が存在していて、その秩序が存在しているから、何十万種とも、何百万種ともいわれる生物種が、それぞれの環境の中で、生命を維持することができている。植物の世界を見ても、広葉樹林や針葉樹林などに見られるように、それぞれの種によって空間的に区分けされていて、そこにも見えざる秩序の存在を感じることができる。
このように、生命の営みは、基本的には、見えざる秩序が存在していて、その秩序によって、生態系が保持されていることになる。そして、こうした秩序は、宇宙の営みから、人間以外の生物全てに本能的に与えられていて、その秩序に基づいて行動しているから、あらゆる生命体が、長い期間にわたって生命を維持することができているのであろう。
これに対して、人間は、他の生物と同じように、誕生した時からこの秩序が与えられているのであるが、何らかの理由によって、時としてその秩序が乱されてしまうことがある。人類の歴史を振り返ってみると、個人と個人との殺し合い、民族と民族との間での争い、さらには国家と国家との間での戦争と、人と人とが争い、尊い命が人間の力によって失われてきた。まさに、秩序の乱れが、人の生命を奪ってきた。
人間社会だけに起きてくるこの秩序の乱れはいったい何に起因しているのであろうか。それは、人間に理性が与えられたことによるように思える。その理性が与えられたことで、本能とかかわった心と、理性とかかわった心とが併存し、そこに秩序の乱れを生み出す源があるように思える。
生物学者が細胞の働きや様々な臓器の働きなどを調べていくと、それらが、全体で一つのシステムとなるような統制のとれた営みをしていることに驚かされてくるという。そこには全体で一つという調和の世界が作られている。そして、その調和が乱されるのが病気ということになる。
人間は、理性を持ったことによって、全体で一つの世界を部分に分解し、部分によって物事を理解しようとしてきた。この流れは、科学の世界を見れば明らかであろう。ギリシア時代には哲学として、宇宙のことも心のことも同じ土俵にあったものが、次第に哲学から科学が分離し、その科学も、多種多様な専門分野が生まれてきている。宇宙も、生物も、生命ということでは、元々一つのものであるのだろうが、そうしたものが部分に分解され、その部分が別々に議論されるようになってきた。
医学の分野にしても、内科と外科という区別だけであったものが、現在では様々な専門分野に細分化され、その細分化された世界だけで専門家が生まれ、その細分化された狭い世界だけで病気を治療しようとしてきている。そこでは、体全体で一つ、心も肉体も含めて一つという世界からほど遠い世界がつくられてきてしまっている。そして、全体で一つという世界を見る存在がないために、元々秩序のあった世界が乱されてしまうことになり、生命破壊へと導かれてしまうように思える。
全ての生命体には、その生命を維持するために、全体を一つの調和されたものに維持させようとする秩序が埋め込まれている。それは、人間社会においてもまったく同じことだ。全体を一つの調和させたものにするものの存在がなくては、社会の秩序は保たれては行くまい。では、その全体を一つに調和したものにさせているのは一体何なのだろうか。それは、愛なのかもしれない。モンテニューがエセーの中で、死は恐ろしくはない、恐ろしいのは、ひきつった顔をして見守る人たちだといっているが、逆に、愛のこもった対応は、死をも乗り越えてしまうように思える。秩序の源は、一人一人の心の内に秘められた愛なのではないだろうか。そして、現代社会に起きているいじめ、企業の不正、高齢者の孤独死などなど、こうした秩序の乱れは、愛の欠如に端を発しているのかもしれない。
それと、秩序とかかわって、エントロピーという概念がある。自然界は、始め秩序があったものが、段々と乱されていく流れにあって、これはエントロピー増大の法則といわれているが、逆にエントロピーを減少させ、秩序をもたらすものとして創造の営みがある。要するに秩序は創造によって生み出されるということだ。こうしたことを考えると、創造と深いかかわりのある知恵と愛とが欠如するにつれ、人間も、人間社会も秩序が乱れてくるということであろう。
次回の討議を平成30年3月16日(金)とした。 以 上
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