- 2005-08-09 (火) 0:07
- 2005年レポート
- 開催日時
- 平成17年7月29日(金) 14:00〜17:00
- 討議テーマ
- 楽
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 土岐川、山崎、桐、下山、望月
討議内容
今回は「楽」と題して議論した。「楽」には、「らく」と「楽しい」という二つの響きがあるが、「らく」は主として、つらい状態からの脱出した時の感覚であり、「楽しい」は、気持ちのいいことが持続している状態であると下山さんの調べてくれた辞書には書かれているとのこと。
重い荷物を持っていて、それを誰か他の人に持ってもらったときなどは「らく」な状態であるし、疲れた身体を休めるために床についたような時も「らく」な状態である。「らく」には、先に述べたようなつらい状態から脱出した後の静的な状態がある。そして、それは、自分の身体が疲れた状態から解放されていく自己治癒的状態である。そこでは、外部の何かとかかわったり、外部の何かに刺激されたりといった、外的環境との係わりは少ない。
また、「らく」は、肉体だけではなく、精神的に抱いていた重荷から開放されたような場合に感じる心でもある。学生達が、校則や試験といったものから開放され、自由な身になった時には「らく」と感じるし、サラリーマンが、義務や責務から解放された時にも「らく」になったと感じるであろう。このように、「らく」は、肉体的にも精神的にも、ある束縛から解放された状態を表現しているようだ。
これに対して、「楽しい」というのは、面白いTV番組を見ていて楽しかったり、音楽を聞くことが楽しかったり、ゲームをしていることが楽しかったりと、外的なものとかかわりながら、それによって快い精神状態が生まれてきている状態である。自分自身がそのものとなんらかのかかわりを持つことで、そこに快い世界が生まれてくる。それを楽しいと感じている。
「らく」が、肉体とも精神とも同じようにかかわっているのに対して、「楽しい」というのは、主として精神とかかわっている。このことは、「らく」という感覚が、生物一般にも見られる感覚であるのに対して、「楽しい」というのは人間的なものであることを物語っているように思える。日向ぼっこをする猫や犬の感覚は「らく」な感覚の中にあるのかもしれない。
一見異なった感覚に思える「らく」と「楽しい」との間に、癒しという言葉で表現できる共通したものがありそうだ。「らく」は先に述べてきたように、疲れた身体や精神が癒されている状態であるし、「楽しい」は、その楽しさを生み出すものとのかかわりによって、心が癒されている。「らく」は、自己治癒的な癒しの状態であり、外部とのかかわりを遮断した状態で癒されていくのに対して、「楽しい」は、五感、そして体全体とかかわりながら、能動的な営みの中で癒されている状態である。
人類の営みを見ると、古代の人たちに比べると、現代人は、生活して行く上で極めて「らく」になった。食物の獲得はもちろんのこと、水、火、情報の獲得なども昔の人たちよりはるかに「らく」になった。そうした「らく」な生活環境の中で、次第に「楽しい」ものを求め、生み出す社会へと変化してきている。経済の中心をなしている自動車、家電製品、情報機器など、どの一つをとっても、それらが人間社会に「楽しい」ものをもたらしていることが分かる。そして、その「楽しい」ものへの執着は益々激しさを増し、新しい製品や情報が次々に生み出されては消え去っている。外部の刺激やものとかかわった楽しさは、刹那的なものであるから、人間は絶えず新しいものを求め続けることになる。そこでは、楽しさへのあくことのない欲求が、物や情報の耐久年数をちぢめ、激しい消費が生み出されていく。それは自然環境破壊とも重なり合ってくる。人間の楽しさへの欲求が、人間自身の生命を縮めることにもなりかねない。
「楽しい」という言葉とのかかわりで「快楽」と「悦楽」という言葉がある。前者は刹那的な楽しさであるのに対して、後者は、半恒久的な楽しさであろう。そして、「快楽」が外的刺激とかかわるこれまで述べてきた楽しさであるのに対して、「悦楽」は、外部刺激によらず、自らの知恵によって獲得するより高い精神世界とかかわった楽しさであろう。したがって、「楽しい」という言葉の中には、先に人間的なものと表現したが、その人間的な楽しさの中で、低き楽しさから高き楽しさといった垂直方向の質的差異が秘められているように思える。
論語の一文に、「これを知る者はこれを好む者にしかず、これを好む者はこれを楽しむ者にしかず。」というのがあるが、これを単に上で述べた快楽的な世界での楽しみということでとらえてしまうと、どことなく陳腐な響きになってしまうが、悦楽な世界とかかわった楽しみととらえてみるならば、この中で表現されている楽しむ者というのが、高き楽しさとかかわった人を表現していて、そこにはなんとも味わいのある響きが生まれてくる。人間社会が、低き楽しさを求めるだけではなく、知恵とかかわった高き楽しさを求める社会になっていくところに人間社会の進化があるように思える。
次回の討議を平成17年9月20日(火)とした。
以 上
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