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第105回 「徳」

開催日時
平成17年9月20日(火) 14:00〜17:00
討議テーマ
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
土岐川、下山、松本、望月

討議内容

今回は「徳」と題して議論した。徳ということに関して考えていくと、なかなかその本質がつかめないことが分かってくる。これまでのテーマと違い、徳自体を自分自身で感じることがないからなのかもしれない。徳とは、道徳とか、人徳とかいった言葉によって間接的にその有り様を感じてはいるけれど、徳そのものを日常生活の中で感じることは極めて少ない。

徳という漢字の成り立ちを考えると、素直な心に従って行動することが起源らしい。ただ、子供の心も素直であるから、その子供の素直な心に従った行動に対して、あの子は徳があるといった表現はあまりぴんとこない。徳には、社会的な規範を熟知した大人が、子供のような素直な心に従って実社会の中で行動していく時に現れる何かなのであろう。

徳とかかわってよく用いられる言葉に人徳がある。ある人が何かのミスをしてしまった時、本来なら厳しい叱責をこうむるのであるが、そういうこともなく許される時、それは人徳だよといった用い方をよくする。その時の人徳には、その人のそれまでに培ってきた信頼や性格の温厚さなど、いくつかの要素が集積されている。大人でありながら、赤子のような愛らしさ、それは単に表情や態度といったことではなく、心の世界に愛らしさのようなものを生み出さしているもの、それが徳と深く係わっているように思える。

徳は、人を引きつける力があるが、人を引きつけるということで徳と似ている表現としてカリスマがある。徳もカリスマも、共に人を引きつける力を持っていて似ているような雰囲気を感じさせるが、突き詰めていくと両者の間には大きな異なりがあるようだ。カリスマ性を持った人は、なぜか分からないけれども人を引きつける力を秘めているが、それは、その人がなんともいえない神秘性を秘めているからではないだろうか。どこかしら人を幻惑させてしまうような神秘性を秘めていて、その神秘性は、人をある方向に導く力がある。カリスマ性は、人をひきつけるだけではなく、人の行動までもある方向に導いていく力がある。これに対して、徳の方は、人間としての温かみを感じさせるものがあり、引きつけられるけれども、行動を共にしたりということとは別なような気がする。もちろん、カリスマ性を持った人に、徳もあるであろうし、徳を持った人がリーダーとして活躍することもあるであろうが、カリスマ性というのは、どこかしら神秘的な力を秘めていて、それがなんだか分からないものであるのに対して、徳の方は、やさしさであったり、思いやりであったりといった自分と相手との係わりの中に対等な何かが存在する。カリスマ性が、ガキ大将の心のようなものであるのに対して、徳と称されるものは、大将にはならなくても、静かな行動の中に人を思いやり優しく包み込む力を秘めているといえるであろう。

儒教の世界では、五徳という言葉があるが、その意味するところは、温、良、泰、倹、譲という五つの徳目であるという。これらの言葉の意味するものは、これまで述べてきた徳とかかわるイメージと共鳴するところがある。相手を思いやる温かな心、子供のような素直な心、質素倹約で、あまりでしゃばらない。こうした心は、一体何に根ざしているのであろうか。それを一言で自然の心とでも表現できるのかもしれないけれど、その心は、道教の言うところの道と深く係わっているように思える。そして、その道に導く心構えが道徳として日常生活の規範となっているのかもしれない。

徳とかかわって人徳という言葉があるが、キリストや仏陀に対して、あの人たちには人徳があったという表現は、どこかしら不自然さを感じさせる。徳というのが自然な心にその端を発していて、その心は宗教的な心と共鳴するものではあるけれども、聖人といわれる人たちにその徳を用いることにはどこかしら違和感を感じさせる。それは、徳というものが、生まれながらにして与えられている心の状態であるからなのではないだろうか。そして、聖人といわれる人たちは、その徳として表現された心のさらに奥に控えた徳の心の源を覚知した人たちであり、それは徳よりもさらに高い心を得ていると感じているからなのではないだろうか。すなわち、徳とは、人間として生まれたままの心の中にすでに組み込まれた心であり、その徳を積み重ねながら、それを仏教では功徳という言葉で表現しているが、さらに高い心の世界を目指すところに、道徳であるとか、功徳であるといった営みがかかわっているということではないだろうか。

徳とは、人間に与えられた崇高なる心ではあるけれども、人は、その徳の心を踏み台にして、さらに高い心を獲得しようと無意識に努力しようとしている生物なのかもしれない。

次回の討議を平成17年11月25日(金)とした。

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