- 2006-08-15 (火) 20:39
- 2006年レポート
- 開催日時
- 平成18年7月28日(金) 14:00〜17:00
- 討議テーマ
- 運命
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 下山、望月
討議内容
今回は「運命」と題して議論した。運命という言葉と似た意味の言葉として運というのがある。運命ということについて議論する前に、運について議論してみた。運という言葉の持つ意味合いは、幸運、不運といった表現があるように、幸、不幸と深くかかわる何かである。そして、運がいいとか運が悪いとかいった表現に見られるように、幸や不幸を運んでくる力のようなものに使われているようだ。
宝くじに当たる人はよくあたるし、当たらない人は全く当たらないように、宝くじ一つをとっても、そこには、当たりやすい人、当たりにくい人がいるようで、そうした当たりやすさといったものが、運と深く係わっているように思える。それは、単に偶然そうなっているというよりも、当たる当たらないという現象の背後に、何らかの力が関与しているように思える。そして、その力を人は直感的に感じ、それを運と表現しているのではないだろうか。
ただ、運というのは、人間の欲と深くかかわっていて、運がいいとか悪いとかいっているその良い、悪いは、人間の欲望を判断基準にしている。金銭的に欲のない人に、宝くじに当たる当たらないは猫に小判になってくるであろうし、名声や地位に全く興味のない人には、出世の良し悪しは、運と言えるような価値などないであろう。どんなに金運に恵まれても、どんなに名声や地位を得たとしても、人生の締めくくりで不幸のどん底に落ちてしまったなら、あの人は運の悪かった人と言われてしまうであろう。逆に、それほどお金持ちでもなく、平々凡々の人生を大過なく送った人には、あの人は運がよい人生を送ったと最後に評価されるであろう。このように考えてくると、運というのには、人間の欲とかかわった刹那的な幸不幸をもたらすものと、人生という長いスパンで幸不幸とかかわってくるものがありそうだ。
いずれにしても、人の日々の営みの中で、自分の意識できる意志とはちがった何かが働いていて、それが運、不運をもたらしているように思える。そして、そのいくつかは、予知能力と多かれ少なかれかかわっているのではないだろうか。人間にしても、動物にしても、瞬時瞬時の行動は、自分を取り巻く環境全てとかかわりながら、その中で、一瞬先を予測して行動している。鳥の枝に止まる様子などをみていると、それが先を読んでの行動であることがよく分かる。車の運転にしても先を予測しながら運転していて、先がよく見える人ほど事故の少ない運転ができるといわれている。
先を知ることで、危険を回避したり、事件に巻き込まれることから身を守ったりすることができる。イントネシア沖の大地震による津波にしても、予測できていたら、あれほどの大惨事には至らなかったであろう。株の取引にしても、予測できたら大金持ちになることもできるであろう。そして、私たちは、そうした予知能力を誰でも無意識の世界に秘めていて、瞬時瞬時、先のことを予測しながら生きているのではないだろうか。ただ、それが無意識の世界に秘められた力であるから、そのことを意識して行動してはいないけれど、絶えず感じながら行動しているのではないだろうか。そして、そのことを強く感じることのできる人に、予感といった形で表れてきて、その予感の有る無しが、幸不幸の機縁となって現実世界に起きてきているのかもしれない。
精神分析者であったユングが、その晩年の研究で共時的な世界を扱っていたが、それは、易学と深くかかわっている。あることを深く思いながら、易を進めていくと、易の示した結果が、自分の人生を予測したものになってくることがあるが、それは、今の中に未来が秘められているということを示していて、それを共時性と名付けている。運というのは、時空の世界の因果とは異なった、共時的な世界での営みが深く関与しているのではないだろうか。
運とはそのように、無意識の世界と深くかかわり、幸運を自分の意志で向い入れることもできないことはない。これに対して、運命という言葉の中には、どちらかというと与えられた事象に対する諦めにも似た意味合いが込められている。自分がやりたいとは思ってもいないのに、自分の意志とは直接かかわりのないところから与えられてしまった人生、そうしたことに対して、運命という言葉が与えられているように思える。天命というのは、天から与えられたという意味では、運命と同じように、自分の意志とはかかわりのないところから与えられたものではあるが、天命には、それを自分の意志で、喜びをもってなしていくという目的的な営みがあるのに対して、運命の方は、仕方なくやらなければならないという諦念の思いが込められているように思える。ベートーベンの「運命」の始まりの曲は、その諦念の思いを表現したものではないだろうか。
宿命、運を天に任す、人間万時塞翁が馬、一期一会といったこととかかわらせながら、もう少し議論をしてみたかったが、時間と出席者の数との係わりで、そうしたところまで議論を広げることができなかった。またの機会としたい。
次回の討議を平成18年9月6日(水)とした。 以 上
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