- 2010-02-11 (木) 0:26
- 2010年レポート
- 開催日時
- 平成22年1月22日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- こころ
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 土岐川、下山、松本、大瀧、大瀧(ち)、望月
討議内容
今回は、「こころ」と題して議論した。こころという言葉で思い出すのは、夏目漱石の著書『こころ』だ。親友を裏切って恋人を得たが、親友が自殺したために罪悪感に苦しみ、自らも死を選ぶ孤独な明治の知識人の内面を描いた作品と書評には書かれているが、そこには、恋、愛、友情、嫉妬、競争心、我欲、罪悪感、宗教心、倫理観といった、人間のこころの中に起きる様々な心模様が描かれている。改めて漱石の『こころ』に目をやる時、漱石がこの小説に『こころ』と名付けた意味が分かるような気がする。
こころとは、上で述べたような、感情、価値観、情緒、欲求などなど、様々な心模様を浮かび上がらせるカンバスのようなものだ。真っ白なカンバスというこころの世界に、様々な欲や、感情が描き出される。ただ、カンバスと違って、何も描かれていない時、こころは捕まえることのできないものとしてあり続けている。それは、まさに空なる世界と表現できるものかもしれない。その空なる世界を人は生まれながらにして内で感じ取っていて、それをこころであると暗黙のうちに思っているのであろう。だから、こころとは一体何かと教わらなくても、人はこころと表現されただけで、それぞれのこころを理解できる。
物の豊かさからこころの豊かさといわれて久しいが、そのこころのありようは定義づけられてもいないし、それぞれが、それぞれの感覚でこころの豊かさを思い描いている。ある人にとっては、こころの豊かさというのは、文化的なことに親しむことであるかもしれないし、ある人にとっては、欲をなくすことであるかもしれないし、ある人にとっては、働くだけではなく、遊びもしっかりすることであるのかもしれない。それらは、ゆとりであったり、創造の営みであったり、人を思いやるこころであったりするが、そうした思いは、人がこころのもつ意味合いを直感的に感じているからなのであろう。
ゆとりというのは、こころは本来時間に支配されないもの、すなわち悠久な命と係わったもの、文化的な営みというのは、創造性と係わったもの、そして、相手を思いやるこころは、愛と係わったこころの世界である。すなわち、こころの基盤には、悠久な命、創造性、愛といったものと係わる何かが秘められているということだ。人がこころの豊かさとして、思い描いている世界は、悠久性、創造性、愛といったことと深く係わっているように思える。
こころとは何かを考えるとき、ロボットを考えてみるとこころのありようが分かってくる。ロボットには、人間の抱いている様々な能力が込められている。記憶力は人間以上であるし、判断力もある。言葉も、記憶さえしておけば、一人の人間が抱いている言葉以上のものを持つことができる。囲碁やチェスのプロが、ロボットと競技をすることが時として話題になるが、ロボットのほうが勝利することが起きてきている。これから技術がさらに進んでいくと、ほとんど人間と変わらない、あるいは、ある部分では人間より優れたロボットが生まれてくるであろう。それでも、ロボットにこころがあるとは言わないであろう。そうしたことを考えると、こころとは、外から与えられたものではなく、内から自然に生まれてくる何かであるといえる。それは、創造性と係わったもの。空気を読むことのできる能力。そういったものがこころの基盤にあるように思える。
こうしたことを考えると、こころとは、先に述べたカンバスとか、器とかいった無機的なものではなく、創造性を秘めたものといえるのではないだろうか。見える世界のものだけではなく、見えない世界のものと係わりながら、新たなものを生み出してくる力、それがこころのように思える。だとすると、そうした創造的な能力は、森羅万象の中に秘められているから、全てのものの中にこころがあるということなのだろうか。動物が動き回るのも、植物が太陽に向かって伸びていくのも、太陽系や銀河系宇宙が作られてきたのも、そこには創造的な営みが係わっている。だから、全てのものの中にこころが秘められていることになってくる。でも、ロボットにはこころはない。
こうしたことを考えてくると、こころには、二つの意味があるような気がしてくる。一つは、人間だけに限られたもので、そこには、先に述べたような愛であるとか、創造性であるとかいったものが秘められている。そうしたものが、理性や欲と係わってこころの世界を多様なものへと変化させている。もう一つのこころは、森羅万象の中に秘められた創造の世界で、この世界があるから、宇宙は進化してきた。
こころとは、この宇宙にあり続けているものであり、森羅万象の源となっているものであり、創造性を秘めたもの、そのこころが、人間になってこころとして感じられているものになっているのではないだろうか。
次回の討議を平成22年3月26日(金)とした。 以 上
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コメント:1
- 土岐川 10-02-11 (木) 10:20
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「全てのものの中にこころが秘められていることになってくる。でも、ロボットにはこころはない。」という記載から思いつきました。ロボットは “全てのもの” に含まれないのか? 私のこころが歪んでいるのかしらん。でも、このことは、“ロボット=人間が作るもの” と考えると、ロボットは、都市やアート(=人工)に読み替えることができそうです。都市が自然と乖離していることの奥には、人間が創造する力は、万物に備わっているこころを創造物に織り込むところまでは届きにくいことを示しているのかもしれません。創造力を過信するな、想像力をはたらかせて、創造力を鍛えよう、ということかもしれません。