ホーム > 2010年レポート > 第133回 「自由」

第133回 「自由」

開催日時
平成22年5月28日(金) 14:00~17:00
討議テーマ
自由
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
下山、大瀧、望月

討議内容

今回は、「自由」と題して議論した。普段私たちは、自由になりたい、自由になったらこれこれのことをしたいといったように、自由になることを夢見ているが、その自由とは一体何だろうか。

サラリーマン生活をしていると、自由というのは、定年退職し、会社組織からの縛りがなくなったときに得られるものと多くの人は思っている。確かに、退職し、毎日が日曜日になり、毎日24時間が自分の好きなことに使えるとなると自由がそこにあるように思える。

 サラリーマン時代にあれこれとやろうと思っていてもできなかったことを、退職した後、ひと通りやり終えるのにそれほど時間はかからない。そうしたことが全て終わってくると、時間をもてあますことになってくる。そのもてあます時間をある人は趣味に、ある人は体を鍛えるためにいろいろと計画を立てていくのだが、そうしたことによって、今度はサラリーマン時代よりも忙しい日課を過ごすことになってしまい、不自由さ感じるようになることにもなってしまう。

趣味をするにもお金はかかる。サラリーマン時代には、毎月一定のお金が入ってくるので、お金のことよりも自由になる時間を求めようとする。今度は退職して、時間的には自由にはなったけれど、お金のことが気になってそれほど自由気ままな生活ができなくなってくる。こう考えてくると、時間の束縛からの解放、経済的不安からの解放というのが自由と係わっていると思えてくる。

では、時間の束縛や、経済的不安といったものから解放されている人、たとえば天皇陛下や、大金持ちである人は、自由であるのだろうか。確かに、こういう一見恵まれているように見える人達は、時間の束縛や、経済的不安からは解放されてはいるであろうけれど、家族や世間といったものと微妙に係わりながら、また違った不自由さを抱いているのではないだろうか。まだ若いのに働いていないというのは世間の目が気になってくるであろうし、社会的に有名になってしまうと、自由に街を動き回ることもなかなかできないであろう。有名人や王族の不自由さを垣間見させてくれる映画が「ローマの休日」であるようにも思える。自分の身を隠さなければ、自由に行動できないというのは、また違った不自由さである。

こうしたことを考えると、私たち人間は、まるで十二単の着物を着ているように、様々な不自由さを背負いながら生きていることが分かってくる。サラリーマンが時間の束縛という不自由さを取り除くと、その次には、経済的不安や、病気、あるいは老後に対する不安といった新たな不自由さの要因が表れてくる。人間は、本質的に自由になれない生物なのだろうか。

いつも忙しく動き回っている蟻や蜂、あるいは鳥たち、そうした生物は、自由なのだろうか。彼らが自由と感じているかどうかは別として、人間の目から見る限り彼らは自由のように思える。えさを求めて忙しく動き回っている蟻や蜂も、彼らはその動き回ることが自由なのではないだろうか。それは、彼らの行動が本能のままであるからであろう。こうして考えてみると、本能に従って生きることが自由ということと係わりそうだ。そして、人間が自由に生きるためには、人間も本能に従って生きるということであろう。では一体人間の本能とは何であろうか。

確かに我々人間には、食欲、性欲といった動物的本能がある。でも、それは人間だけに与えられた本能ではない。蟻や蜂の本能は、食欲や性欲といった動物や昆虫に共通した本能の他に、種としての本能をもっていて、その種としての本能に従って生きていることが自由であった。では、人間種としての本能とは一体何なのであろうか。

人間種としての本能、それは、生きることの意味、生きがい、そうしたことを求めようとすることの中にあるように思える。どんなに経済的に恵まれ、どんなに社会的に高い地位にいる人であっても、自分自身の心の中から生まれてくる本能的な呼びかけにはどうすることもできまい。その呼びかけとは、人生如何に生きるのかということではないだろうか。その問いに答えを見いだそうとすること、それが人間の本能と深く係わっているように思える。それは、富や名声といった動物的欲求とは異なり、一人ひとりに平等に与えられた人間的知恵と深く係わっているように思える。その知恵の芽を伸ばし、精神的に進化することの中に、人間としての本能が見えてくるのではないだろうか。すなわち、まだ埋もれている人間としての知恵を高めることこそ人間の本能、生きることの意味を覚知することへの道であるように思える。

禅仏教の教えに、「随所に主」という言葉がある。自分自身の中にある本当の自分に目覚めたとき、随所に主という感覚が得られるそうだ。人との比較ではなく、一人ひとりに平等に与えられた知恵を高め、本当の自分自身に目覚め、その自分自身に従って行動することが人間の本能であり、そこに本当の意味での自由があるように思える。

次回の討議を平成22年7月30日(金)とした。       以 上

コメント:0

コメントフォーム
情報を記憶する

ホーム > 2010年レポート > 第133回 「自由」

このサイトについて
月別アーカイブ
最近の投稿記事
最近のコメント

Page Top