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第136回 「良心」

開催日時
平成22年11月26(金) 14:00~17:00
討議テーマ
良心について
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
塚田、土岐川、下山、大瀧、飯野、水野、望月

討議内容

今回の討議には、はるばる山形から飯野さんが参加してくれました。また、水野さんも短時間ではありましたが初めて参加してくれました。

今回は、「良心」と題して議論した。良心というのは、いつも心の隅に控えているというよりも、何か悪いことをしようとする時や、してしまったような時に、突然頭を挙げてくるような何かだ。ただ、そのことをもう少し詳しく掘り下げて考えてみると、何か悪いことをしようとする時に現われてくるのが良心であって、何か悪いことをしてしまった時に現われてくるのは罪悪感である。罪悪感は、良心の意志を無視して、ある行為を行った時に現われてくる感情ということになる。すなわち、良心というのは、我々人間をある正しい方向に向かわせようとする指南役のようなものだ。その良心の意志に従って行動している時にはこころは清らかで気持ちがいいのだが、その意志に反した行動をしてしまった時には罪悪感に襲われることになる。

 ある医師が、親族である患者さんを手術して、その手術が成功しなかった時、その医師の受ける心の傷は、親族以外の患者さんの手術が不成功に終わった時とは比較にならないほど深いらしい。その心の傷は、一体何故に生まれてくるのだろうか。その一つは、愛する者の命を自分の技術によって長らえさせることができなかったという後悔からくるものであろう。そして、その後悔を生み出させている源には、もっとこうしたら成功したのではないか、もっと自分がこのことに努力していたら成功していたのではないのかという、自分の努力のいたらなさに対する自責の念がある。その反省を促しているものにも良心が係わっているように思える。先に述べたように、良心というのは正しい方向に向かわせようとする力であるから、正しい方向に向かっての努力不足というのは、良心の呵責を受けることになる。

では、一体その正しい方向というのはどの方向なのであろうか。殺人犯人に対する裁判に、一般社会から選ばれた人が裁判員として参加することがあるが、その判決で、死刑の判決が出された時、社会人から選ばれた裁判員の心は深く傷つくらしい。それは、自分たちの判断によって、一人の人間を死に至らしめてしまうという良心の呵責からくるものであろう。そうすると、良心の示している正しい方向の一つには、罪を憎んで人を憎まずという言葉が示すように、罪のために、人を死に追いやってはいけないということになってくる。とすると、良心には、悪いことをさせないということの他に、生きるものを殺してはいけないということへの価値意識のようなものがありそうだ。

良心が悪いことをさせない心だとすると、悪いこととは一体どのようなことなのだろうか。法律に死刑が書かれている以上、極悪人には死刑を宣告したとしても、それは悪いことではない。だから死刑の判決自体は、悪ということはできない。そうすると、先の裁判員の心の傷は、一体どこから来るのだろうか。死刑は、その人を死に追いやり、その人の心の中にあるかもしれない少しばかりの良いこころをもなくさせてしまう。ひょっとしたら、この罪人には、心の底の底に良い心があって、無期懲役にさせることでその心をもっと大きくさせ、再生させることができるのではないかと、そうした思いが、裁判員の心の中に秘められているのではないだろうか。すなわち、人間である以上、どんな罪人であっても、心の中には良いこころが秘められている。その心を伸ばしてあげようとするのが良心と係わっているということではないだろうか。心を清くし、正しいことをなすことで、より高い精神世界に導こうとするのが良心であるが、それと同じように、相手の心もより高い精神世界に導びいてあげようとするのも良心の働きなのであろう。

こうして考えてくると、良心というのは、本能と深いかかわりをもっているように思える。人間以外の生物に良心と呼べるものはないのかもしれないが、そうした生物のもつ本能は、それぞれの生物を環境と係わって、生命を維持させようとする働きであり、それは、人間の良心とも共鳴するものであろう。ただ、人間の場合は、富を得て、地位を得てという動物的欲求を満たすことが本能ではなく、人間としての精神世界をより高めていくことが人として生きることであり、そう生きようとすることが人間に与えられた本能なのではないだろうか。富や名声や地位といったものを捨てても、為さなければならないものがある。それは、ある意味良心によって促されるものなのであろうが、その時の良心は、人間を動物的な欲求への執着から解き放ち、より崇高なる精神世界へと導く力となっている。そして、その良心は、時として愛と共鳴し、時として善と共鳴し、そして、時として正義と共鳴するようなものなのかもしれない。

次回の討議を平成23年1月21日(金)とした。       以 上

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