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第21回 「コミュニケーション」

開催日時
平成5年3月2日(火) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
霧島、山田、広野、徳永、塚田、土岐川、望月

討議内容

今回も前回に引続きコミュニケーションをテーマに話し合った。今回の焦点は、通信技術の関与しない、人間が本質的に持つ対面型のコミュニケーションを話題の中心に置いた。

先ず始めに、定義は別として、コミュニケーションとは一体何なのであろうかということについて考えてみた。その中で出てきたのが、コミュニケーションは、とにかく対話する二人の人間が、互いに高め合うことにあるということである。高め合うということの意味の曖昧さはさておくとして、この一つの結論をさらに深く考えてみると、そこには、今まで全く知らなかったことを知るという好奇な心に対する充足欲求がある。例えば、この研究会のように、幸福について討議し、それに対する認識が高まってくると、次にはコミュニケーションについての本質的な疑問が生まれ、まだはっきりとは認識できていないものに対して、知りたいという欲求が起こってくる。このように、新しい疑問に対して、次々と情報を得ていくことが、高めるということの一つの側面であるように思える。

しかし、この事が果して、本当に心を充足しているのであろうか。確かにコミュニケーションすることの欲求は、食欲と同じように、ある本能的なものによって左右されているのであろうが、そこには、食欲のように、空腹時に繰り返し食物を求める行為とはどこかしら異なったものがあるように思える。それは、現在社会にみられるように、数限りのない情報の氾濫の中で、次々に現れてくる情報を追い求めることの空しさを、多くの人達が次第に感じ始めてきている事実からも伺えよう。それは、情報という結果を求めるのではなく、ある目的を遂行することによって得られるプロセスの中から生まれてくる何かを求めているように思える。時間的に、点で捉えることの出来る何かではなく、時間の流れ全てに含まれる何かである。音楽に例えてみるならば、一つ一つの音そのものに喜びを感じるのではなく、それぞれの音が時間の流れの中で醸し出すメロディーにこそ、心動かされるものがあるのと同じように。これらの事を考えてみると、コミュニケーションすることのその本質は、本能的なものではあるけれども、外部から与えられたもので充足する食欲的なものではなく、自らの内の中で(脳と表現してもよいかも知れないけれども)何かが変化し、新しいものが芽生えることにあるように思える。知るという「点」から得られる受動的なものではなく、それらの情報が契機となって、何かを創造し、その創造するという意志的な行為が、新しい認識を可能とさせるような知恵を育んでいる、そんな何かを追い求めていくことを欲しているのではないだろうか。新しい知恵を目覚めさせたいとする欲求が、無意識のうちに「高める」という表現になって現れてきたように思える。

しかし、コミュニケーションすることの目的には、上で述べたような崇高な欲求からくるものの他に、まだいくつかの異なった欲求からくるものがある。例えば、他人の噂話に花が咲き、その種のコミュニケーションをすることに快さを感じることは日常多くの人が経験することであろう。しかし、この快さを良心ある人が繰り返していくならば、先に述べたような高めるという方向とは全く反対の方向に向かっている自分に次第に気が付いてくるはずである。このときの快さは、高めることとは違った何かがそこに存在している。それは、それぞれの人の幸福感とも係わってくるのであるが、自分の幸せを、他人の不幸、あるいは、他の人が身分的にも、人間的にも自分より下であるということに求める消極的な幸福感からくる喜びである。噂話の多くが、他人の悪い事に係わる内容であるということを見てもこの事ははっきりといえるであろう。しかし、井戸端会議的なコミュニケーションの快さが、このような消極的な幸福感からのみ来ているようには思われない。そこには、他者に対する情報もさることながら、無意識に感じているもう一つの側面があるように思われる。その無意識に感している側面は、逆にコミュニケーションしたくない状況を考えてみるならばよりはっきりとしてくる。

コミュニケーションしたくない状況として、在日イラン人とのコミュニケーションのことが上げられた。その理由として、何か危害を加えられないだろうかという危機感と、外見からくる衛生感の違いとが上げられたが、その底には、民族によって異なる価値観や、異なる文化に根ざした違和感があり、根本に於て、互いに理解し合えないのではないかということを直感的に感じとっていることにあるようだ。そして、この直感からくる一つの見方は、先に述べた井戸端会議的なコミュニケーションの快さが、単に、他人の噂話だけにあるのではないということを物語っているといえよう。そこには、無意識ながらも、同じ心の世界を共通に持ち得ているという暗黙の快さが存在しているように思える。そして、同じ心の場を作り出すための働きが、噂話にあるという逆説的な捉え方もできるように思える。コミュニケーションの作用の一つが、コミュニケーションに加わっている人達の心に、同じ心の場を生み出すことであり、同じ心の場を共有することが快さとして感じ取られているのではなかろうか。

打ち合せという言葉の意味は、和楽器の演奏に先だって、各人の打楽器の音を合わせるということからきているといわれる。それは、演奏に加わる者の場を共有するための一つの手段である。そして、一度音合わせがなされた後では、各人が各人の技量の元に演奏に参加することになる。この打楽器の演奏の中には、コミュニケーションの持つ二つの本質的作用が存しているように思える。一つは、打ち合せそのものの意味が示したように、共通な場を共有するということ。そして、もう一つは、その共通な場の中で、各人が、自分の技量によって弾くことに対応した、各人の意見の主張がある。前者は、意識的には余りはっきりと捉えることはできないが、確かに感じる作用であり、井戸端会議の中で生み出される場の雰囲気はこれに対応する。そして、後者の要因は、意識的にはっきりと捉えることの出来る意味情報であり、噂話などのような話題がこれに属そう。

和楽器の演奏には、指揮者のような演奏者全員の心を一致させる存在がない。そして、その必要性のなさは、打ち合せという作業の中で生み出される共通な手段と、各人の直感的な感覚とによって生み出される場の働きにあるように思える。この場の働きは、ミトコンドリアのベン毛の動きにもみることが出来る。ミトコンドリアには沢山のベン毛があるが、ミトコンドリアが、動きの向きを変えるような時、数多くあるベン毛の中のある一つのベン毛が少しだけ動きを変えると、それに呼応して、全体のベン毛が少しずつ動きを変えていくとのこと。この動きの変化には、脳のような全体を司る機能が関与しているのではなく、それぞれのベン毛が持つ感覚によって行われているらしい。この動きは、魚の大群が一斉に方向を変えたり、鳥の群れが一斉に方向を変えたりするときの動きとも共鳴する作用であろう。この瞬間的な変化に対応する動きは、視覚や聴覚といった認識作用からくるものではなく、全体で構成されている一つの安定な場を個々のものが本性的に感じていて、その場の変化に対して、変化した新たな場をより安定な状態に保とうとする直感的知覚からくる動きであるように思える。それは、人間の体の構成においてもいえることで、一つ一つの細胞は、全体としての調和を保ちつつ、独自な判断で機能を果たしている。

以上のように、私たちの環境は、自分という個と、集団という多との調和の中で機能しており、自分という個を意識させている多くの情報は五感から入る情報であり、多との係わりの中で察知している場は、直感的な知覚に根ざしているのではなかろうか。そして、コミュニケーションの働きは、個と多との調和を図ることにあるように思える。

ある宗教においては、教祖の人が、信者に対して、何も語らずその場にいるだけで、信者の人達は感激し、涙を流すことがあるという。これは、信者達の作る共通な場のなかで、各自の心の中で行われる自我と自己との対話によって、崇高な自己を垣間見たことによるのではなかろうか。通常、自己は、各自の無意識の世界の奥深くにあり、意識できないが、全ての人は、そこから発せられるエネルギーをなんとなく感じているのであろう。ユングによると、このエネルギーが突如として爆発したときに精神異常をきたすという。そして、精神異常になった人に対する一つの治療方法が、黙ってその人の悩みを聞いて上げることであるという。前回の打ち合せの時にも話題になったが、電話の一つの効用が、独り言であるのと同しように、人間は、外的なコミュニケーションを通して、自我と自己とのコミュニケーションをなしているのであり、隠された無意識の中の自己を自覚することにコミュニケーションの本質があるように思える。そして、この自己の発見を無意識に欲しているところに、一番始めに言ったような「コミュニケーションは自分を高めることにある」という直感的な解答が生まれてさたものと思われる。

次回は、4月20日(火)、福祉教育研究会主宰・木原教久様に講演戴き、その後で引続きコミュニケーションに関して討議したいと思います。

配布資料

  • 認識の時空像 (土岐川)
  • 日仏友好のモニュメント事業のあらまし(古館)

以上

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