1993年レポート
第27回 「宗教」
- 2005-04-08 (金)
- 1993年レポート
- 開催日時
- 平成5年12月1日(水) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 多田、山田、広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回も前回に引続き、宗教について話し合った。過去二回の討議は、主として、社会現象としての宗教ブームを、第三者的な立場に立って話し合ってきたが、今回は、我々自身が宗教というものの中に入って、自分自身と係わりのあるものとしての宗教をも含めて討義を進めた。
過去二回の討議内容を振り返ると、現在社会の中で起きている宗教ブームの原因としていくつかのものが考えられる。それらを包括するならば、世の中が、人間の付き合いにしても、社会の価値観にしても、企業の価値観にしても、論理的であり、科学的事実に対する価値追求というものに思考が片寄ってきていることが考えられる。すなわち、意識できるものに対しては価値を置く一方で、なんとなくしか感じることの出来ないものに対しては、切り捨てて行くという時代背景がある。これを、人間の脳生理学的考えから表現すると、論理牲を主として司る左脳的な働きが、非論理的で、フィーリングを感じさせる右脳的な働きよりも優位に立つような社会構造になってきていると表現できるかも知れない。左脳の働きと、右脳の働きは、あたかもシーソーの対局にそれぞれ存在していて、それぞれの比重の大小関係によって、絶えず上に上がったり、下に下がったりしている状態にたとえることが出来る。左脳優位な現在社会においては、このシーソーを平衡状態に戻そうとする力が、「右脳と係わりのある宗教心の高まりとなって現れているようにも考えられる。我々人類の歴史も、何百年という長い期間を学位にみるならば、左脳と右脳のシーソーゲームによって出来上がってきているのかも知れない。
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第26回 「社会現象としての宗教の高まり」
- 2005-04-08 (金)
- 1993年レポート
- 開催日時
- 平成5年12月1日(水) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 多田、山田、広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回も前回に引続き、宗教について話し合った。過去二回の討議は、主として、社会現象としての宗教ブームを、第三者的な立場に立って話し合ってきたが、今回は、我々自身が宗教というものの中に入って、自分自身と係わりのあるものとしての宗教をも含めて討義を進めた。
過去二回の討議内容を振り返ると、現在社会の中で起きている宗教ブームの原因としていくつかのものが考えられる。それらを包括するならば、世の中が、人間の付き合いにしても、社会の価値観にしても、企業の価値観にしても、論理的であり、科学的事実に対する価値追求というものに思考が片寄ってきていることが考えられる。すなわち、意識できるものに対しては価値を置く一方で、なんとなくしか感じることの出来ないものに対しては、切り捨てて行くという時代背景がある。これを、人間の脳生理学的考えから表現すると、論理牲を主として司る左脳的な働きが、非論理的で、フィーリングを感じさせる右脳的な働きよりも優位に立つような社会構造になってきていると表現できるかも知れない。左脳の働きと、右脳の働きは、あたかもシーソーの対局にそれぞれ存在していて、それぞれの比重の大小関係によって、絶えず上に上がったり、下に下がったりしている状態にたとえることが出来る。左脳優位な現在社会においては、このシーソーを平衡状態に戻そうとする力が、「右脳と係わりのある宗教心の高まりとなって現れているようにも考えられる。我々人類の歴史も、何百年という長い期間を学位にみるならば、左脳と右脳のシーソーゲームによって出来上がってきているのかも知れない。
- 開催日時
- 平成5年10月25日(月) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、菅沼、佐藤、望月
討議内容
今回から新たなメンバーとして、菅沼様が参加して下さいました。菅沼様は、現在フジテレビ商品研究所に勤務されていて、様々な商品についての評価研究をなさっています。学生時代には、バスケット部に属していたり、筝曲をなさったりされていて、現在は、陶芸を学んでいるとのこと。特に、陶芸を通して人生哲学なるものを知ったとか。多彩な趣味の中で培われた人生観を、この研究会で大いに語って戴きたいと思います。
今回も前回に引続き、社会現象としての宗教の高まりについてというテーマで議論した。社会現象としての宗教の高まりは、前回に検討したように、その原因として、いくつかのことが考えられるが、その大きな要因には、マスメディアがもたらしたファッション性が考えられないだろうか。確かに、人生を考え、様々な苦しさから開放されることを望んで宗教に入っていく人達もいるのであろうが、友達が入っているから私も入るといったようなファッション性もかなり影響しているのかも知れない。ただ、そのファッション性にしても、ミニスカートがはやったような一過性のものではなく、人間の本性としての宗教願望的な欲求と係わりがあるように思える。
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第25回 「社会現象としての宗教の高まり」
- 2005-04-08 (金)
- 1993年レポート
- 開催日時
- 平成5年12月1日(水) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 多田、山田、広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回も前回に引続き、宗教について話し合った。過去二回の討議は、主として、社会現象としての宗教ブームを、第三者的な立場に立って話し合ってきたが、今回は、我々自身が宗教というものの中に入って、自分自身と係わりのあるものとしての宗教をも含めて討義を進めた。
過去二回の討議内容を振り返ると、現在社会の中で起きている宗教ブームの原因としていくつかのものが考えられる。それらを包括するならば、世の中が、人間の付き合いにしても、社会の価値観にしても、企業の価値観にしても、論理的であり、科学的事実に対する価値追求というものに思考が片寄ってきていることが考えられる。すなわち、意識できるものに対しては価値を置く一方で、なんとなくしか感じることの出来ないものに対しては、切り捨てて行くという時代背景がある。これを、人間の脳生理学的考えから表現すると、論理牲を主として司る左脳的な働きが、非論理的で、フィーリングを感じさせる右脳的な働きよりも優位に立つような社会構造になってきていると表現できるかも知れない。左脳の働きと、右脳の働きは、あたかもシーソーの対局にそれぞれ存在していて、それぞれの比重の大小関係によって、絶えず上に上がったり、下に下がったりしている状態にたとえることが出来る。左脳優位な現在社会においては、このシーソーを平衡状態に戻そうとする力が、「右脳と係わりのある宗教心の高まりとなって現れているようにも考えられる。我々人類の歴史も、何百年という長い期間を学位にみるならば、左脳と右脳のシーソーゲームによって出来上がってきているのかも知れない。
- 開催日時
- 平成5年10月25日(月) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、菅沼、佐藤、望月
討議内容
今回から新たなメンバーとして、菅沼様が参加して下さいました。菅沼様は、現在フジテレビ商品研究所に勤務されていて、様々な商品についての評価研究をなさっています。学生時代には、バスケット部に属していたり、筝曲をなさったりされていて、現在は、陶芸を学んでいるとのこと。特に、陶芸を通して人生哲学なるものを知ったとか。多彩な趣味の中で培われた人生観を、この研究会で大いに語って戴きたいと思います。
今回も前回に引続き、社会現象としての宗教の高まりについてというテーマで議論した。社会現象としての宗教の高まりは、前回に検討したように、その原因として、いくつかのことが考えられるが、その大きな要因には、マスメディアがもたらしたファッション性が考えられないだろうか。確かに、人生を考え、様々な苦しさから開放されることを望んで宗教に入っていく人達もいるのであろうが、友達が入っているから私も入るといったようなファッション性もかなり影響しているのかも知れない。ただ、そのファッション性にしても、ミニスカートがはやったような一過性のものではなく、人間の本性としての宗教願望的な欲求と係わりがあるように思える。
- 開催日時
- 平成5年9月14日(火) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 古館、広野、西山、土岐川、鈴木、望月
討議内容
今回は、社会現象としての宗教の高まりについてというテーマで議論した。この議論にはいる前に、本当に社会現象として、宗教が高まってきているのかについて、日経新聞の宗教に係わる過去10年間の記事件数の変化を調べてみた。1980年には50件であったものが、1990年には約400件と、この10年間でほぼ10倍になっており、年々増加していく傾向にある。また、鈴木さんが、国際日本文化センターと共同で開催している「密教」についての講義にも、年々参加する人が増えてきているとのこと。これらのことからしても、宗教が何等かな形で、人々の関心事となっているという社会現象の一端がうかがえよう。
それでは何故、いま宗教への関心がこのように高まってきているのであろうか。一つの要因としては、社会全体が、個人の行動や考え方に対して、自由を認める風潮が高くなってきたことがあげられよう。従来の軍国主義的な権威や権限の支配下で人々が行動を抑圧されるという状態ではなく、何をやっても許される個人の自由を尊ぶ社会環境になってきた。そのため、長期的にみたときには、何をやっていいのか、何を生きる目的として生きていったらいいのかが自分自身で見いだせなくなってきており、その曖昧とした心の悩みを、宗教に求めようとしてきていることが考えられる。
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第24回 「人類進化の上で果たす男と女の役割」
- 2005-04-08 (金)
- 1993年レポート
- 開催日時
- 平成5年12月1日(水) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 多田、山田、広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回も前回に引続き、宗教について話し合った。過去二回の討議は、主として、社会現象としての宗教ブームを、第三者的な立場に立って話し合ってきたが、今回は、我々自身が宗教というものの中に入って、自分自身と係わりのあるものとしての宗教をも含めて討義を進めた。
過去二回の討議内容を振り返ると、現在社会の中で起きている宗教ブームの原因としていくつかのものが考えられる。それらを包括するならば、世の中が、人間の付き合いにしても、社会の価値観にしても、企業の価値観にしても、論理的であり、科学的事実に対する価値追求というものに思考が片寄ってきていることが考えられる。すなわち、意識できるものに対しては価値を置く一方で、なんとなくしか感じることの出来ないものに対しては、切り捨てて行くという時代背景がある。これを、人間の脳生理学的考えから表現すると、論理牲を主として司る左脳的な働きが、非論理的で、フィーリングを感じさせる右脳的な働きよりも優位に立つような社会構造になってきていると表現できるかも知れない。左脳の働きと、右脳の働きは、あたかもシーソーの対局にそれぞれ存在していて、それぞれの比重の大小関係によって、絶えず上に上がったり、下に下がったりしている状態にたとえることが出来る。左脳優位な現在社会においては、このシーソーを平衡状態に戻そうとする力が、「右脳と係わりのある宗教心の高まりとなって現れているようにも考えられる。我々人類の歴史も、何百年という長い期間を学位にみるならば、左脳と右脳のシーソーゲームによって出来上がってきているのかも知れない。
- 開催日時
- 平成5年10月25日(月) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、菅沼、佐藤、望月
討議内容
今回から新たなメンバーとして、菅沼様が参加して下さいました。菅沼様は、現在フジテレビ商品研究所に勤務されていて、様々な商品についての評価研究をなさっています。学生時代には、バスケット部に属していたり、筝曲をなさったりされていて、現在は、陶芸を学んでいるとのこと。特に、陶芸を通して人生哲学なるものを知ったとか。多彩な趣味の中で培われた人生観を、この研究会で大いに語って戴きたいと思います。
今回も前回に引続き、社会現象としての宗教の高まりについてというテーマで議論した。社会現象としての宗教の高まりは、前回に検討したように、その原因として、いくつかのことが考えられるが、その大きな要因には、マスメディアがもたらしたファッション性が考えられないだろうか。確かに、人生を考え、様々な苦しさから開放されることを望んで宗教に入っていく人達もいるのであろうが、友達が入っているから私も入るといったようなファッション性もかなり影響しているのかも知れない。ただ、そのファッション性にしても、ミニスカートがはやったような一過性のものではなく、人間の本性としての宗教願望的な欲求と係わりがあるように思える。
- 開催日時
- 平成5年9月14日(火) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 古館、広野、西山、土岐川、鈴木、望月
討議内容
今回は、社会現象としての宗教の高まりについてというテーマで議論した。この議論にはいる前に、本当に社会現象として、宗教が高まってきているのかについて、日経新聞の宗教に係わる過去10年間の記事件数の変化を調べてみた。1980年には50件であったものが、1990年には約400件と、この10年間でほぼ10倍になっており、年々増加していく傾向にある。また、鈴木さんが、国際日本文化センターと共同で開催している「密教」についての講義にも、年々参加する人が増えてきているとのこと。これらのことからしても、宗教が何等かな形で、人々の関心事となっているという社会現象の一端がうかがえよう。
それでは何故、いま宗教への関心がこのように高まってきているのであろうか。一つの要因としては、社会全体が、個人の行動や考え方に対して、自由を認める風潮が高くなってきたことがあげられよう。従来の軍国主義的な権威や権限の支配下で人々が行動を抑圧されるという状態ではなく、何をやっても許される個人の自由を尊ぶ社会環境になってきた。そのため、長期的にみたときには、何をやっていいのか、何を生きる目的として生きていったらいいのかが自分自身で見いだせなくなってきており、その曖昧とした心の悩みを、宗教に求めようとしてきていることが考えられる。
- 開催日時
- 平成5年7月22日(木) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 古館、広野、塚田、徳永、西山、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回は、人類進化の上で果たす男と女の役割と題して討議を行った。この議題を論じるに当たり、まず始めに、人類の進化とは何かについて考えてみた。人類の進化を考えてみると、そこには、生物学的な進化と、科学技術が示すように、物質的な進化とがある。物質的な進化としては、食べたいものがいつでもどこでも食べられるという生物としての基本的欲求の充足や、大阪・東京間を日帰りできるような手段の発展など、人間の持っている能力を科学技術によって拡大してきていることがあげられる。これに対して、生物学的な進化としては、精神面での進化が考えられる。マズローの人間の基本的欲求の五段階説の是非はあろうが、五段階説を基本に考えてみるならば、最も基本的な生理的な欲求は社会的にみて充足されるような状況にあり、次第に高次の欲求である自己実現的な欲求充足へと世の中が動き始めているように思える。しかしながら、議論として、自己実現とは一体何であるのか、また、進化を自己実現と結び付けてしまうと、議論が無意味に陥ってしまう危険性があるという指摘もあって、これ以上進化について話し合うことをやめ、男と女の性差について話を進めた。
最もはっきりしている性差は、女性しか子供を生むことが出来ないということ、また、体格的な面から分かるように、男性の方が筋力たくましく力持ちであるということである。そして、この基本的な性差は、人類の最も基本的な営みである、食物を獲得すること、そして、家族あるいは集団を外敵から守るという必要性から、男性は外に働きかけ、女性は子供を育て、内に働くという社会構造を自然に生み出してきた。これらの役割分担は、必然性の高いものであり、それが基本になって、社会構造、文化、価値観などが出来上がってきた。その結果として、知的能力の進化と共に、男性はかくあるべし、女性はかくあるべしといった、価値観や、概念が自然に生まれ、それが社会の様々な分野において、男女の役割分担を益々はっきりと分けてきたものと考えられる。
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第23回 「コミュニケーション」
- 2005-04-08 (金)
- 1993年レポート
- 開催日時
- 平成5年12月1日(水) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 多田、山田、広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回も前回に引続き、宗教について話し合った。過去二回の討議は、主として、社会現象としての宗教ブームを、第三者的な立場に立って話し合ってきたが、今回は、我々自身が宗教というものの中に入って、自分自身と係わりのあるものとしての宗教をも含めて討義を進めた。
過去二回の討議内容を振り返ると、現在社会の中で起きている宗教ブームの原因としていくつかのものが考えられる。それらを包括するならば、世の中が、人間の付き合いにしても、社会の価値観にしても、企業の価値観にしても、論理的であり、科学的事実に対する価値追求というものに思考が片寄ってきていることが考えられる。すなわち、意識できるものに対しては価値を置く一方で、なんとなくしか感じることの出来ないものに対しては、切り捨てて行くという時代背景がある。これを、人間の脳生理学的考えから表現すると、論理牲を主として司る左脳的な働きが、非論理的で、フィーリングを感じさせる右脳的な働きよりも優位に立つような社会構造になってきていると表現できるかも知れない。左脳の働きと、右脳の働きは、あたかもシーソーの対局にそれぞれ存在していて、それぞれの比重の大小関係によって、絶えず上に上がったり、下に下がったりしている状態にたとえることが出来る。左脳優位な現在社会においては、このシーソーを平衡状態に戻そうとする力が、「右脳と係わりのある宗教心の高まりとなって現れているようにも考えられる。我々人類の歴史も、何百年という長い期間を学位にみるならば、左脳と右脳のシーソーゲームによって出来上がってきているのかも知れない。
- 開催日時
- 平成5年10月25日(月) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、菅沼、佐藤、望月
討議内容
今回から新たなメンバーとして、菅沼様が参加して下さいました。菅沼様は、現在フジテレビ商品研究所に勤務されていて、様々な商品についての評価研究をなさっています。学生時代には、バスケット部に属していたり、筝曲をなさったりされていて、現在は、陶芸を学んでいるとのこと。特に、陶芸を通して人生哲学なるものを知ったとか。多彩な趣味の中で培われた人生観を、この研究会で大いに語って戴きたいと思います。
今回も前回に引続き、社会現象としての宗教の高まりについてというテーマで議論した。社会現象としての宗教の高まりは、前回に検討したように、その原因として、いくつかのことが考えられるが、その大きな要因には、マスメディアがもたらしたファッション性が考えられないだろうか。確かに、人生を考え、様々な苦しさから開放されることを望んで宗教に入っていく人達もいるのであろうが、友達が入っているから私も入るといったようなファッション性もかなり影響しているのかも知れない。ただ、そのファッション性にしても、ミニスカートがはやったような一過性のものではなく、人間の本性としての宗教願望的な欲求と係わりがあるように思える。
- 開催日時
- 平成5年9月14日(火) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 古館、広野、西山、土岐川、鈴木、望月
討議内容
今回は、社会現象としての宗教の高まりについてというテーマで議論した。この議論にはいる前に、本当に社会現象として、宗教が高まってきているのかについて、日経新聞の宗教に係わる過去10年間の記事件数の変化を調べてみた。1980年には50件であったものが、1990年には約400件と、この10年間でほぼ10倍になっており、年々増加していく傾向にある。また、鈴木さんが、国際日本文化センターと共同で開催している「密教」についての講義にも、年々参加する人が増えてきているとのこと。これらのことからしても、宗教が何等かな形で、人々の関心事となっているという社会現象の一端がうかがえよう。
それでは何故、いま宗教への関心がこのように高まってきているのであろうか。一つの要因としては、社会全体が、個人の行動や考え方に対して、自由を認める風潮が高くなってきたことがあげられよう。従来の軍国主義的な権威や権限の支配下で人々が行動を抑圧されるという状態ではなく、何をやっても許される個人の自由を尊ぶ社会環境になってきた。そのため、長期的にみたときには、何をやっていいのか、何を生きる目的として生きていったらいいのかが自分自身で見いだせなくなってきており、その曖昧とした心の悩みを、宗教に求めようとしてきていることが考えられる。
- 開催日時
- 平成5年7月22日(木) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 古館、広野、塚田、徳永、西山、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回は、人類進化の上で果たす男と女の役割と題して討議を行った。この議題を論じるに当たり、まず始めに、人類の進化とは何かについて考えてみた。人類の進化を考えてみると、そこには、生物学的な進化と、科学技術が示すように、物質的な進化とがある。物質的な進化としては、食べたいものがいつでもどこでも食べられるという生物としての基本的欲求の充足や、大阪・東京間を日帰りできるような手段の発展など、人間の持っている能力を科学技術によって拡大してきていることがあげられる。これに対して、生物学的な進化としては、精神面での進化が考えられる。マズローの人間の基本的欲求の五段階説の是非はあろうが、五段階説を基本に考えてみるならば、最も基本的な生理的な欲求は社会的にみて充足されるような状況にあり、次第に高次の欲求である自己実現的な欲求充足へと世の中が動き始めているように思える。しかしながら、議論として、自己実現とは一体何であるのか、また、進化を自己実現と結び付けてしまうと、議論が無意味に陥ってしまう危険性があるという指摘もあって、これ以上進化について話し合うことをやめ、男と女の性差について話を進めた。
最もはっきりしている性差は、女性しか子供を生むことが出来ないということ、また、体格的な面から分かるように、男性の方が筋力たくましく力持ちであるということである。そして、この基本的な性差は、人類の最も基本的な営みである、食物を獲得すること、そして、家族あるいは集団を外敵から守るという必要性から、男性は外に働きかけ、女性は子供を育て、内に働くという社会構造を自然に生み出してきた。これらの役割分担は、必然性の高いものであり、それが基本になって、社会構造、文化、価値観などが出来上がってきた。その結果として、知的能力の進化と共に、男性はかくあるべし、女性はかくあるべしといった、価値観や、概念が自然に生まれ、それが社会の様々な分野において、男女の役割分担を益々はっきりと分けてきたものと考えられる。
- 開催日時
- 平成5年6月11日(金) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 多田、広野、徳永、西山、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回から、新たに鈴木様がメンバーに加わって下さいました。鈴木様は、現在行動科学研究所の所長をされており、企業からの要請によって、企画書の作成や人材開発などを仕事にされています。元々は脳外科をやりたかったそうで、二つの大学の医学部に所属したり、写真技術を身につけたりもしていて、現在では趣味と仕事とが一致しているとのことです。様々な経歴を持っておられる方で、これらの経験を踏まえ、この研究会に新しい息吹を吹き込んで下さるものと期待しております。
今回も、過去三回のテーマであるコミュニケーションについて引続き討議を進めた。これまで三回の討議で得られた結果を要約すると、コミュニケーションの果たす役割として、大きく分けて二つのものがありそうだ。一つは、コミュニケーションする個人の中に新しい知恵を芽生えさせることであり、もう一つは、蓄積した情報の違いや、感性の違いによって出来上がってしまう異なったメディアを融合するための手段である。後者の役割は、コミュニケーションに参加する人の心の中に共通な心の世界を作り出すことであるということもできよう。
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第22回 「コミュニケーション (福祉との係わりから)」
- 2005-04-08 (金)
- 1993年レポート
- 開催日時
- 平成5年12月1日(水) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 多田、山田、広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回も前回に引続き、宗教について話し合った。過去二回の討議は、主として、社会現象としての宗教ブームを、第三者的な立場に立って話し合ってきたが、今回は、我々自身が宗教というものの中に入って、自分自身と係わりのあるものとしての宗教をも含めて討義を進めた。
過去二回の討議内容を振り返ると、現在社会の中で起きている宗教ブームの原因としていくつかのものが考えられる。それらを包括するならば、世の中が、人間の付き合いにしても、社会の価値観にしても、企業の価値観にしても、論理的であり、科学的事実に対する価値追求というものに思考が片寄ってきていることが考えられる。すなわち、意識できるものに対しては価値を置く一方で、なんとなくしか感じることの出来ないものに対しては、切り捨てて行くという時代背景がある。これを、人間の脳生理学的考えから表現すると、論理牲を主として司る左脳的な働きが、非論理的で、フィーリングを感じさせる右脳的な働きよりも優位に立つような社会構造になってきていると表現できるかも知れない。左脳の働きと、右脳の働きは、あたかもシーソーの対局にそれぞれ存在していて、それぞれの比重の大小関係によって、絶えず上に上がったり、下に下がったりしている状態にたとえることが出来る。左脳優位な現在社会においては、このシーソーを平衡状態に戻そうとする力が、「右脳と係わりのある宗教心の高まりとなって現れているようにも考えられる。我々人類の歴史も、何百年という長い期間を学位にみるならば、左脳と右脳のシーソーゲームによって出来上がってきているのかも知れない。
- 開催日時
- 平成5年10月25日(月) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、菅沼、佐藤、望月
討議内容
今回から新たなメンバーとして、菅沼様が参加して下さいました。菅沼様は、現在フジテレビ商品研究所に勤務されていて、様々な商品についての評価研究をなさっています。学生時代には、バスケット部に属していたり、筝曲をなさったりされていて、現在は、陶芸を学んでいるとのこと。特に、陶芸を通して人生哲学なるものを知ったとか。多彩な趣味の中で培われた人生観を、この研究会で大いに語って戴きたいと思います。
今回も前回に引続き、社会現象としての宗教の高まりについてというテーマで議論した。社会現象としての宗教の高まりは、前回に検討したように、その原因として、いくつかのことが考えられるが、その大きな要因には、マスメディアがもたらしたファッション性が考えられないだろうか。確かに、人生を考え、様々な苦しさから開放されることを望んで宗教に入っていく人達もいるのであろうが、友達が入っているから私も入るといったようなファッション性もかなり影響しているのかも知れない。ただ、そのファッション性にしても、ミニスカートがはやったような一過性のものではなく、人間の本性としての宗教願望的な欲求と係わりがあるように思える。
- 開催日時
- 平成5年9月14日(火) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 古館、広野、西山、土岐川、鈴木、望月
討議内容
今回は、社会現象としての宗教の高まりについてというテーマで議論した。この議論にはいる前に、本当に社会現象として、宗教が高まってきているのかについて、日経新聞の宗教に係わる過去10年間の記事件数の変化を調べてみた。1980年には50件であったものが、1990年には約400件と、この10年間でほぼ10倍になっており、年々増加していく傾向にある。また、鈴木さんが、国際日本文化センターと共同で開催している「密教」についての講義にも、年々参加する人が増えてきているとのこと。これらのことからしても、宗教が何等かな形で、人々の関心事となっているという社会現象の一端がうかがえよう。
それでは何故、いま宗教への関心がこのように高まってきているのであろうか。一つの要因としては、社会全体が、個人の行動や考え方に対して、自由を認める風潮が高くなってきたことがあげられよう。従来の軍国主義的な権威や権限の支配下で人々が行動を抑圧されるという状態ではなく、何をやっても許される個人の自由を尊ぶ社会環境になってきた。そのため、長期的にみたときには、何をやっていいのか、何を生きる目的として生きていったらいいのかが自分自身で見いだせなくなってきており、その曖昧とした心の悩みを、宗教に求めようとしてきていることが考えられる。
- 開催日時
- 平成5年7月22日(木) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 古館、広野、塚田、徳永、西山、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回は、人類進化の上で果たす男と女の役割と題して討議を行った。この議題を論じるに当たり、まず始めに、人類の進化とは何かについて考えてみた。人類の進化を考えてみると、そこには、生物学的な進化と、科学技術が示すように、物質的な進化とがある。物質的な進化としては、食べたいものがいつでもどこでも食べられるという生物としての基本的欲求の充足や、大阪・東京間を日帰りできるような手段の発展など、人間の持っている能力を科学技術によって拡大してきていることがあげられる。これに対して、生物学的な進化としては、精神面での進化が考えられる。マズローの人間の基本的欲求の五段階説の是非はあろうが、五段階説を基本に考えてみるならば、最も基本的な生理的な欲求は社会的にみて充足されるような状況にあり、次第に高次の欲求である自己実現的な欲求充足へと世の中が動き始めているように思える。しかしながら、議論として、自己実現とは一体何であるのか、また、進化を自己実現と結び付けてしまうと、議論が無意味に陥ってしまう危険性があるという指摘もあって、これ以上進化について話し合うことをやめ、男と女の性差について話を進めた。
最もはっきりしている性差は、女性しか子供を生むことが出来ないということ、また、体格的な面から分かるように、男性の方が筋力たくましく力持ちであるということである。そして、この基本的な性差は、人類の最も基本的な営みである、食物を獲得すること、そして、家族あるいは集団を外敵から守るという必要性から、男性は外に働きかけ、女性は子供を育て、内に働くという社会構造を自然に生み出してきた。これらの役割分担は、必然性の高いものであり、それが基本になって、社会構造、文化、価値観などが出来上がってきた。その結果として、知的能力の進化と共に、男性はかくあるべし、女性はかくあるべしといった、価値観や、概念が自然に生まれ、それが社会の様々な分野において、男女の役割分担を益々はっきりと分けてきたものと考えられる。
- 開催日時
- 平成5年6月11日(金) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 多田、広野、徳永、西山、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回から、新たに鈴木様がメンバーに加わって下さいました。鈴木様は、現在行動科学研究所の所長をされており、企業からの要請によって、企画書の作成や人材開発などを仕事にされています。元々は脳外科をやりたかったそうで、二つの大学の医学部に所属したり、写真技術を身につけたりもしていて、現在では趣味と仕事とが一致しているとのことです。様々な経歴を持っておられる方で、これらの経験を踏まえ、この研究会に新しい息吹を吹き込んで下さるものと期待しております。
今回も、過去三回のテーマであるコミュニケーションについて引続き討議を進めた。これまで三回の討議で得られた結果を要約すると、コミュニケーションの果たす役割として、大きく分けて二つのものがありそうだ。一つは、コミュニケーションする個人の中に新しい知恵を芽生えさせることであり、もう一つは、蓄積した情報の違いや、感性の違いによって出来上がってしまう異なったメディアを融合するための手段である。後者の役割は、コミュニケーションに参加する人の心の中に共通な心の世界を作り出すことであるということもできよう。
- 開催日時
- 平成5年4月20日(火) 14:00〜17:00
- 開催場所
- KDD目黒研究所
- 参加者
- 古舘、高岡、山田、広野、塚田、土岐川、佐藤、望月、木原孝久様(福祉教育研究会)
討義内容
今回は、福祉教育研究会の木原様を講師にお迎えして、コミュニケーションについて引続き討議した。
木原さんがコミュニケーションという言葉で最初に思い至ったのは、コミュニケーションとは、触れ合いではないかということである。人間の作業が細分化されるにしたがって、人間と人間とを直接結び付ける機会が次第に少なくなってきている。昔は、何かをなそうとしてもそこには必ず人が介在していた。例えば、電車の改札にしても、従来は、駅長さんが改札をしており、そこでは、何気なく交わされる挨拶が、心と心を結び付けるものになっていた。今では、自動改札が導入され、それが当り前な状況になりつつある。そこには、自分自身が切符を機械に入れる作業があるだけで、人との触れ合いは全くなくなってしまう。銀行にしても、お金の引出しや入金が、機械化され、今まで人と人との間で直接お金の授受があったものが、そこに機械が介在するようになってきた。先頃起こった偽札事件は、人間の介在しない社会システムの中で起きた犯罪と言える。このように、私たちの生活は、知らず知らずのうちに、人と人との直接的な触れ合いが機械化されることによって希薄になっているといえる。そして、このような状況の中で生活する我々は、人間と人間との触れ合いの希薄さに対するストレスとも言える精神異常をきたしているのかもしれない。
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第21回 「コミュニケーション」
- 2005-04-08 (金)
- 1993年レポート
- 開催日時
- 平成5年12月1日(水) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 多田、山田、広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回も前回に引続き、宗教について話し合った。過去二回の討議は、主として、社会現象としての宗教ブームを、第三者的な立場に立って話し合ってきたが、今回は、我々自身が宗教というものの中に入って、自分自身と係わりのあるものとしての宗教をも含めて討義を進めた。
過去二回の討議内容を振り返ると、現在社会の中で起きている宗教ブームの原因としていくつかのものが考えられる。それらを包括するならば、世の中が、人間の付き合いにしても、社会の価値観にしても、企業の価値観にしても、論理的であり、科学的事実に対する価値追求というものに思考が片寄ってきていることが考えられる。すなわち、意識できるものに対しては価値を置く一方で、なんとなくしか感じることの出来ないものに対しては、切り捨てて行くという時代背景がある。これを、人間の脳生理学的考えから表現すると、論理牲を主として司る左脳的な働きが、非論理的で、フィーリングを感じさせる右脳的な働きよりも優位に立つような社会構造になってきていると表現できるかも知れない。左脳の働きと、右脳の働きは、あたかもシーソーの対局にそれぞれ存在していて、それぞれの比重の大小関係によって、絶えず上に上がったり、下に下がったりしている状態にたとえることが出来る。左脳優位な現在社会においては、このシーソーを平衡状態に戻そうとする力が、「右脳と係わりのある宗教心の高まりとなって現れているようにも考えられる。我々人類の歴史も、何百年という長い期間を学位にみるならば、左脳と右脳のシーソーゲームによって出来上がってきているのかも知れない。
- 開催日時
- 平成5年10月25日(月) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、菅沼、佐藤、望月
討議内容
今回から新たなメンバーとして、菅沼様が参加して下さいました。菅沼様は、現在フジテレビ商品研究所に勤務されていて、様々な商品についての評価研究をなさっています。学生時代には、バスケット部に属していたり、筝曲をなさったりされていて、現在は、陶芸を学んでいるとのこと。特に、陶芸を通して人生哲学なるものを知ったとか。多彩な趣味の中で培われた人生観を、この研究会で大いに語って戴きたいと思います。
今回も前回に引続き、社会現象としての宗教の高まりについてというテーマで議論した。社会現象としての宗教の高まりは、前回に検討したように、その原因として、いくつかのことが考えられるが、その大きな要因には、マスメディアがもたらしたファッション性が考えられないだろうか。確かに、人生を考え、様々な苦しさから開放されることを望んで宗教に入っていく人達もいるのであろうが、友達が入っているから私も入るといったようなファッション性もかなり影響しているのかも知れない。ただ、そのファッション性にしても、ミニスカートがはやったような一過性のものではなく、人間の本性としての宗教願望的な欲求と係わりがあるように思える。
- 開催日時
- 平成5年9月14日(火) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 古館、広野、西山、土岐川、鈴木、望月
討議内容
今回は、社会現象としての宗教の高まりについてというテーマで議論した。この議論にはいる前に、本当に社会現象として、宗教が高まってきているのかについて、日経新聞の宗教に係わる過去10年間の記事件数の変化を調べてみた。1980年には50件であったものが、1990年には約400件と、この10年間でほぼ10倍になっており、年々増加していく傾向にある。また、鈴木さんが、国際日本文化センターと共同で開催している「密教」についての講義にも、年々参加する人が増えてきているとのこと。これらのことからしても、宗教が何等かな形で、人々の関心事となっているという社会現象の一端がうかがえよう。
それでは何故、いま宗教への関心がこのように高まってきているのであろうか。一つの要因としては、社会全体が、個人の行動や考え方に対して、自由を認める風潮が高くなってきたことがあげられよう。従来の軍国主義的な権威や権限の支配下で人々が行動を抑圧されるという状態ではなく、何をやっても許される個人の自由を尊ぶ社会環境になってきた。そのため、長期的にみたときには、何をやっていいのか、何を生きる目的として生きていったらいいのかが自分自身で見いだせなくなってきており、その曖昧とした心の悩みを、宗教に求めようとしてきていることが考えられる。
- 開催日時
- 平成5年7月22日(木) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 古館、広野、塚田、徳永、西山、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回は、人類進化の上で果たす男と女の役割と題して討議を行った。この議題を論じるに当たり、まず始めに、人類の進化とは何かについて考えてみた。人類の進化を考えてみると、そこには、生物学的な進化と、科学技術が示すように、物質的な進化とがある。物質的な進化としては、食べたいものがいつでもどこでも食べられるという生物としての基本的欲求の充足や、大阪・東京間を日帰りできるような手段の発展など、人間の持っている能力を科学技術によって拡大してきていることがあげられる。これに対して、生物学的な進化としては、精神面での進化が考えられる。マズローの人間の基本的欲求の五段階説の是非はあろうが、五段階説を基本に考えてみるならば、最も基本的な生理的な欲求は社会的にみて充足されるような状況にあり、次第に高次の欲求である自己実現的な欲求充足へと世の中が動き始めているように思える。しかしながら、議論として、自己実現とは一体何であるのか、また、進化を自己実現と結び付けてしまうと、議論が無意味に陥ってしまう危険性があるという指摘もあって、これ以上進化について話し合うことをやめ、男と女の性差について話を進めた。
最もはっきりしている性差は、女性しか子供を生むことが出来ないということ、また、体格的な面から分かるように、男性の方が筋力たくましく力持ちであるということである。そして、この基本的な性差は、人類の最も基本的な営みである、食物を獲得すること、そして、家族あるいは集団を外敵から守るという必要性から、男性は外に働きかけ、女性は子供を育て、内に働くという社会構造を自然に生み出してきた。これらの役割分担は、必然性の高いものであり、それが基本になって、社会構造、文化、価値観などが出来上がってきた。その結果として、知的能力の進化と共に、男性はかくあるべし、女性はかくあるべしといった、価値観や、概念が自然に生まれ、それが社会の様々な分野において、男女の役割分担を益々はっきりと分けてきたものと考えられる。
- 開催日時
- 平成5年6月11日(金) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 多田、広野、徳永、西山、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回から、新たに鈴木様がメンバーに加わって下さいました。鈴木様は、現在行動科学研究所の所長をされており、企業からの要請によって、企画書の作成や人材開発などを仕事にされています。元々は脳外科をやりたかったそうで、二つの大学の医学部に所属したり、写真技術を身につけたりもしていて、現在では趣味と仕事とが一致しているとのことです。様々な経歴を持っておられる方で、これらの経験を踏まえ、この研究会に新しい息吹を吹き込んで下さるものと期待しております。
今回も、過去三回のテーマであるコミュニケーションについて引続き討議を進めた。これまで三回の討議で得られた結果を要約すると、コミュニケーションの果たす役割として、大きく分けて二つのものがありそうだ。一つは、コミュニケーションする個人の中に新しい知恵を芽生えさせることであり、もう一つは、蓄積した情報の違いや、感性の違いによって出来上がってしまう異なったメディアを融合するための手段である。後者の役割は、コミュニケーションに参加する人の心の中に共通な心の世界を作り出すことであるということもできよう。
- 開催日時
- 平成5年4月20日(火) 14:00〜17:00
- 開催場所
- KDD目黒研究所
- 参加者
- 古舘、高岡、山田、広野、塚田、土岐川、佐藤、望月、木原孝久様(福祉教育研究会)
討義内容
今回は、福祉教育研究会の木原様を講師にお迎えして、コミュニケーションについて引続き討議した。
木原さんがコミュニケーションという言葉で最初に思い至ったのは、コミュニケーションとは、触れ合いではないかということである。人間の作業が細分化されるにしたがって、人間と人間とを直接結び付ける機会が次第に少なくなってきている。昔は、何かをなそうとしてもそこには必ず人が介在していた。例えば、電車の改札にしても、従来は、駅長さんが改札をしており、そこでは、何気なく交わされる挨拶が、心と心を結び付けるものになっていた。今では、自動改札が導入され、それが当り前な状況になりつつある。そこには、自分自身が切符を機械に入れる作業があるだけで、人との触れ合いは全くなくなってしまう。銀行にしても、お金の引出しや入金が、機械化され、今まで人と人との間で直接お金の授受があったものが、そこに機械が介在するようになってきた。先頃起こった偽札事件は、人間の介在しない社会システムの中で起きた犯罪と言える。このように、私たちの生活は、知らず知らずのうちに、人と人との直接的な触れ合いが機械化されることによって希薄になっているといえる。そして、このような状況の中で生活する我々は、人間と人間との触れ合いの希薄さに対するストレスとも言える精神異常をきたしているのかもしれない。
- 開催日時
- 平成5年3月2日(火) 14:00〜17:00
- 開催場所
- KDD目黒研究所
- 参加者
- 霧島、山田、広野、徳永、塚田、土岐川、望月
討議内容
今回も前回に引続きコミュニケーションをテーマに話し合った。今回の焦点は、通信技術の関与しない、人間が本質的に持つ対面型のコミュニケーションを話題の中心に置いた。
先ず始めに、定義は別として、コミュニケーションとは一体何なのであろうかということについて考えてみた。その中で出てきたのが、コミュニケーションは、とにかく対話する二人の人間が、互いに高め合うことにあるということである。高め合うということの意味の曖昧さはさておくとして、この一つの結論をさらに深く考えてみると、そこには、今まで全く知らなかったことを知るという好奇な心に対する充足欲求がある。例えば、この研究会のように、幸福について討議し、それに対する認識が高まってくると、次にはコミュニケーションについての本質的な疑問が生まれ、まだはっきりとは認識できていないものに対して、知りたいという欲求が起こってくる。このように、新しい疑問に対して、次々と情報を得ていくことが、高めるということの一つの側面であるように思える。
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第20回 「コミュニケーション」
- 2005-04-08 (金)
- 1993年レポート
- 開催日時
- 平成5年12月1日(水) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 多田、山田、広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回も前回に引続き、宗教について話し合った。過去二回の討議は、主として、社会現象としての宗教ブームを、第三者的な立場に立って話し合ってきたが、今回は、我々自身が宗教というものの中に入って、自分自身と係わりのあるものとしての宗教をも含めて討義を進めた。
過去二回の討議内容を振り返ると、現在社会の中で起きている宗教ブームの原因としていくつかのものが考えられる。それらを包括するならば、世の中が、人間の付き合いにしても、社会の価値観にしても、企業の価値観にしても、論理的であり、科学的事実に対する価値追求というものに思考が片寄ってきていることが考えられる。すなわち、意識できるものに対しては価値を置く一方で、なんとなくしか感じることの出来ないものに対しては、切り捨てて行くという時代背景がある。これを、人間の脳生理学的考えから表現すると、論理牲を主として司る左脳的な働きが、非論理的で、フィーリングを感じさせる右脳的な働きよりも優位に立つような社会構造になってきていると表現できるかも知れない。左脳の働きと、右脳の働きは、あたかもシーソーの対局にそれぞれ存在していて、それぞれの比重の大小関係によって、絶えず上に上がったり、下に下がったりしている状態にたとえることが出来る。左脳優位な現在社会においては、このシーソーを平衡状態に戻そうとする力が、「右脳と係わりのある宗教心の高まりとなって現れているようにも考えられる。我々人類の歴史も、何百年という長い期間を学位にみるならば、左脳と右脳のシーソーゲームによって出来上がってきているのかも知れない。
- 開催日時
- 平成5年10月25日(月) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、菅沼、佐藤、望月
討議内容
今回から新たなメンバーとして、菅沼様が参加して下さいました。菅沼様は、現在フジテレビ商品研究所に勤務されていて、様々な商品についての評価研究をなさっています。学生時代には、バスケット部に属していたり、筝曲をなさったりされていて、現在は、陶芸を学んでいるとのこと。特に、陶芸を通して人生哲学なるものを知ったとか。多彩な趣味の中で培われた人生観を、この研究会で大いに語って戴きたいと思います。
今回も前回に引続き、社会現象としての宗教の高まりについてというテーマで議論した。社会現象としての宗教の高まりは、前回に検討したように、その原因として、いくつかのことが考えられるが、その大きな要因には、マスメディアがもたらしたファッション性が考えられないだろうか。確かに、人生を考え、様々な苦しさから開放されることを望んで宗教に入っていく人達もいるのであろうが、友達が入っているから私も入るといったようなファッション性もかなり影響しているのかも知れない。ただ、そのファッション性にしても、ミニスカートがはやったような一過性のものではなく、人間の本性としての宗教願望的な欲求と係わりがあるように思える。
- 開催日時
- 平成5年9月14日(火) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 古館、広野、西山、土岐川、鈴木、望月
討議内容
今回は、社会現象としての宗教の高まりについてというテーマで議論した。この議論にはいる前に、本当に社会現象として、宗教が高まってきているのかについて、日経新聞の宗教に係わる過去10年間の記事件数の変化を調べてみた。1980年には50件であったものが、1990年には約400件と、この10年間でほぼ10倍になっており、年々増加していく傾向にある。また、鈴木さんが、国際日本文化センターと共同で開催している「密教」についての講義にも、年々参加する人が増えてきているとのこと。これらのことからしても、宗教が何等かな形で、人々の関心事となっているという社会現象の一端がうかがえよう。
それでは何故、いま宗教への関心がこのように高まってきているのであろうか。一つの要因としては、社会全体が、個人の行動や考え方に対して、自由を認める風潮が高くなってきたことがあげられよう。従来の軍国主義的な権威や権限の支配下で人々が行動を抑圧されるという状態ではなく、何をやっても許される個人の自由を尊ぶ社会環境になってきた。そのため、長期的にみたときには、何をやっていいのか、何を生きる目的として生きていったらいいのかが自分自身で見いだせなくなってきており、その曖昧とした心の悩みを、宗教に求めようとしてきていることが考えられる。
- 開催日時
- 平成5年7月22日(木) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 古館、広野、塚田、徳永、西山、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回は、人類進化の上で果たす男と女の役割と題して討議を行った。この議題を論じるに当たり、まず始めに、人類の進化とは何かについて考えてみた。人類の進化を考えてみると、そこには、生物学的な進化と、科学技術が示すように、物質的な進化とがある。物質的な進化としては、食べたいものがいつでもどこでも食べられるという生物としての基本的欲求の充足や、大阪・東京間を日帰りできるような手段の発展など、人間の持っている能力を科学技術によって拡大してきていることがあげられる。これに対して、生物学的な進化としては、精神面での進化が考えられる。マズローの人間の基本的欲求の五段階説の是非はあろうが、五段階説を基本に考えてみるならば、最も基本的な生理的な欲求は社会的にみて充足されるような状況にあり、次第に高次の欲求である自己実現的な欲求充足へと世の中が動き始めているように思える。しかしながら、議論として、自己実現とは一体何であるのか、また、進化を自己実現と結び付けてしまうと、議論が無意味に陥ってしまう危険性があるという指摘もあって、これ以上進化について話し合うことをやめ、男と女の性差について話を進めた。
最もはっきりしている性差は、女性しか子供を生むことが出来ないということ、また、体格的な面から分かるように、男性の方が筋力たくましく力持ちであるということである。そして、この基本的な性差は、人類の最も基本的な営みである、食物を獲得すること、そして、家族あるいは集団を外敵から守るという必要性から、男性は外に働きかけ、女性は子供を育て、内に働くという社会構造を自然に生み出してきた。これらの役割分担は、必然性の高いものであり、それが基本になって、社会構造、文化、価値観などが出来上がってきた。その結果として、知的能力の進化と共に、男性はかくあるべし、女性はかくあるべしといった、価値観や、概念が自然に生まれ、それが社会の様々な分野において、男女の役割分担を益々はっきりと分けてきたものと考えられる。
- 開催日時
- 平成5年6月11日(金) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 多田、広野、徳永、西山、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回から、新たに鈴木様がメンバーに加わって下さいました。鈴木様は、現在行動科学研究所の所長をされており、企業からの要請によって、企画書の作成や人材開発などを仕事にされています。元々は脳外科をやりたかったそうで、二つの大学の医学部に所属したり、写真技術を身につけたりもしていて、現在では趣味と仕事とが一致しているとのことです。様々な経歴を持っておられる方で、これらの経験を踏まえ、この研究会に新しい息吹を吹き込んで下さるものと期待しております。
今回も、過去三回のテーマであるコミュニケーションについて引続き討議を進めた。これまで三回の討議で得られた結果を要約すると、コミュニケーションの果たす役割として、大きく分けて二つのものがありそうだ。一つは、コミュニケーションする個人の中に新しい知恵を芽生えさせることであり、もう一つは、蓄積した情報の違いや、感性の違いによって出来上がってしまう異なったメディアを融合するための手段である。後者の役割は、コミュニケーションに参加する人の心の中に共通な心の世界を作り出すことであるということもできよう。
- 開催日時
- 平成5年4月20日(火) 14:00〜17:00
- 開催場所
- KDD目黒研究所
- 参加者
- 古舘、高岡、山田、広野、塚田、土岐川、佐藤、望月、木原孝久様(福祉教育研究会)
討義内容
今回は、福祉教育研究会の木原様を講師にお迎えして、コミュニケーションについて引続き討議した。
木原さんがコミュニケーションという言葉で最初に思い至ったのは、コミュニケーションとは、触れ合いではないかということである。人間の作業が細分化されるにしたがって、人間と人間とを直接結び付ける機会が次第に少なくなってきている。昔は、何かをなそうとしてもそこには必ず人が介在していた。例えば、電車の改札にしても、従来は、駅長さんが改札をしており、そこでは、何気なく交わされる挨拶が、心と心を結び付けるものになっていた。今では、自動改札が導入され、それが当り前な状況になりつつある。そこには、自分自身が切符を機械に入れる作業があるだけで、人との触れ合いは全くなくなってしまう。銀行にしても、お金の引出しや入金が、機械化され、今まで人と人との間で直接お金の授受があったものが、そこに機械が介在するようになってきた。先頃起こった偽札事件は、人間の介在しない社会システムの中で起きた犯罪と言える。このように、私たちの生活は、知らず知らずのうちに、人と人との直接的な触れ合いが機械化されることによって希薄になっているといえる。そして、このような状況の中で生活する我々は、人間と人間との触れ合いの希薄さに対するストレスとも言える精神異常をきたしているのかもしれない。
- 開催日時
- 平成5年3月2日(火) 14:00〜17:00
- 開催場所
- KDD目黒研究所
- 参加者
- 霧島、山田、広野、徳永、塚田、土岐川、望月
討議内容
今回も前回に引続きコミュニケーションをテーマに話し合った。今回の焦点は、通信技術の関与しない、人間が本質的に持つ対面型のコミュニケーションを話題の中心に置いた。
先ず始めに、定義は別として、コミュニケーションとは一体何なのであろうかということについて考えてみた。その中で出てきたのが、コミュニケーションは、とにかく対話する二人の人間が、互いに高め合うことにあるということである。高め合うということの意味の曖昧さはさておくとして、この一つの結論をさらに深く考えてみると、そこには、今まで全く知らなかったことを知るという好奇な心に対する充足欲求がある。例えば、この研究会のように、幸福について討議し、それに対する認識が高まってくると、次にはコミュニケーションについての本質的な疑問が生まれ、まだはっきりとは認識できていないものに対して、知りたいという欲求が起こってくる。このように、新しい疑問に対して、次々と情報を得ていくことが、高めるということの一つの側面であるように思える。
- 開催日時
- 平成5年1月26日(火) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー(株)東京支社
- 参加者
- 古館、多田、高岡、山田、広野、西山、徳永、塚田、土岐川、佐藤、望月
討議内容
今回から、新たに四名の皆様がメンバーに加わって下さいました。西山様は、(株)アーバンクラブの取締役で、働き続けている人々の幸せとは何かを模索し、それを仕事面で反映させていらっしゃいます。旅行が趣味で、現在までに50ヵ国余を旅行されているとのことです。徳永様は、NTTヒューマンインタフェース研究所に勤務されており、ニューロコンピュータやニューラルネットに関心を持ってられます。趣味は、凧上げだそうで、かつては相当こっていたそうです。塚田様は、三年前までNTTに勤務されており、徳永様が現在所属されている研究所の所長を勤められ、現在は、松下電器産業(株)の東京通信システム研究所の所長をされていらっしゃいます。趣味は、コントラクトブリッジ、小唄、海外家族旅行だそうです。土岐川(ときがわ)様は、(株)日展に勤務されており、博物館や博覧会の企画や設計等をされています。仕事が面白く、趣味も仕事とのことです。以上、様々な経歴と趣味をお待ちの新メンバーの方々が、新しい観点から人間文化研究会をリードされて行かれることを期待しています。
今回からコミュニケーションをテーマに話し合った。今回は、コミュニケーションのもつ意味の曖昧さを曖昧のままにして、コミュニケーションと関わる事柄について思うに任せて話を進めた。第一番目に話題になったのが電話である。コミュニケーションから電話という連想は、それだけ電話というものがコミュニケーションを暗黙のうちに代表している何かであるのであろう。コミュニケーションの持つ多様性の中で、電話の果たす役割は、人間のコミュニケーションに関わる何かを強調して表現させている手段なのかも知れない。確固とした目的のない電話で話す二人の会話をよく調べてみると、二人は、自分自身が納得しているだけで、それぞれ全く別々の事柄について話しているらしい。これはまだ本会での議論にはなってないが、コミュニケーションをその基本から考えてみるならば、自分自身との会話、すなわち独り言に帰するところがあり、電話の果たす役割の一つには、対話ではなかなか出来ない独り言を、無意識のうちに行うことが出来ることではないだろうか。昼の世界と違う世界が電話の中にあり、昼の世界は、外との係わりの中に存在するコミュニケーションであり、電話の中の世界は、自分自身の内なる世界の中でのコミュニケーションになっているのかも知れない。
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