- 2014-07-19 (土) 5:11
- 2014年レポート
- 開催日時
- 平成26年5月30日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 「情報」について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 下山、大瀧(茂)、伊藤(雅)、望月
討議内容
今回は、「情報」と題して議論した。このテーマは、過去何回か議論されていたが、情報化の急速な発展の中で、改めて情報とは何かについて考えてみることにした。
久しぶりに電車に乗って驚いたことは、乗客のほとんど100パーセントに近い人が、スマホのような携帯端末に夢中になっていることだ。携帯電話が登場した頃、車内で携帯電話で話をしている人に、何とも言えない違和感を感じたものだが、段々と車内では携帯電話で話さないことが暗黙のマナーになってきて、今では車内で携帯電話で話をしている人をほとんど見かけなくなった。そして、それとは対照的に、今は、ほとんどの人が、車内で携帯電話(スマホ)や携帯端末器を静かに見やる光景となった。それと、読み終わった新聞が、車内の棚に残されているのも少なくなったが、新聞や本といったものが、スマホで見ることができるようになったのが、その一つの要因であることは間違いなかろう。
本も新聞も電子化され、携帯端末器で読める時代、それは確かに便利ではあるが、何かを切り落としてしまっているようにも思える。というのは、新聞にしても、本にしても、我々が見ているのは、必ずしも目の焦点が当てられている箇所だけではないからだ。見えないところも見ているというのは、読んでいるときには気づかないが、前に読んだところが気になって読み返そうとするとき、そのページに、あるいはその近くのページに直線的に帰ることができる。それは、新聞や本に書かれた文字という情報だけを我々が見ているのではなく、目には直接入ってこない箇所までも見ているからなのではないだろうか。ところが、電子化された新聞や本でそうしたことをしようとすると、本や新聞で体験しているような簡単な検索にはなかなかたどり着くことができない。それは、電子化された情報では、画面に現れてきているものしか我々は見ていないからではないだろうか。すなわち、情報の電子化というのは、我々の無意識と係わった情報を切り落としているということだ。そんなことを考えると、スマホに夢中になっている人間たちは、友達関係にしても、家族の係わりにしても、さらには社会との係わりにおいても、目に見える世界だけしか見れていない、すなわち、行間を読む目を持たない人間へと変わってしまうのではないかと危惧されてくる。それは、まさに空気の読めない人間になってしまうということだ。そして、人間の本来持っている検知能力を退化させてしまうということではないだろうか。
人類が、文字や画像による情報の洪水を受けるようになったのは、それほど遠い昔ではない。パソコン、携帯電話といったものが生まれる以前、我々の身体に飛び込んでくる情報は、五感と深く係わる自然からのものであった。鳥の声、風の音、草木の臭い、花の香り、そして、空の青さや海の青さ、夕日の美しさや新緑の鮮やかさだった。そして、そうした自然からの情報に、趣や、季節の移ろいを感じ、詩が生まれ、歌が口ずさまれていた。でも、どうだろうか、今の時代、スマホを手にする若者たちに、そうした自然との係わりがあるのだろうか。目に見える情報の渦に巻き込まれ、人間が本来持っている情緒性や、直感といったものが、次第に心の隅に追いやられてしまっているのかもしれない。
そうした自然との係わりは、人間以外の動物や鳥、昆虫にも当然ある。夜明け前の鳥たちのさえずりは、日の出前のなにかを感じ取っているから生まれてきているのであろう。サケが何千キロもの海を旅した後、産卵に訪れるのは、自身が生まれた川。その場所をサケたちは、故郷の臭いによって記憶しているらしい。伝書鳩にしても、育てられた家から何百キロも離れたところに運ばれ、そこで放たれても、きちんと家に戻っていくらしい。その方向感覚は、誰に教わったわけでもない。伝書鳩の生来持っている何らかの感覚が、そのことを可能にさせているのであろう。それが、地磁気をとらえているのか、はたまた宇宙からやってくる電磁波をとらえているのか、その情報源は分かってはいないらしいが、何等かの情報を伝書鳩は生来持っている感覚でとらえて、帰る道を見つけ出しているのだという。
こうしたことを考えると、この世に生を受けたありとあらゆる生物は、自身が生きていくために必要な情報をキャッチできる感覚を生来持ち得ているということになる。そして、情報とは、本来そうしたものなのかもしれない。でも人間だけは、自らの手で新たな情報を作り出し、その情報によって快楽を得、本来生きるために必要な情報をキャッチする能力を心の底に追いやってしまってきているのかもしれない。韓国船セウォル号の悲劇は、そうした現代社会を生きる人間の側面を垣間見せる事故のようにも思える。
次回の討議を平成26年7月18日(金)とした。 以 上
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