- 2011-09-20 (火) 23:42
- 2011年レポート
- 開催日時
- 平成23年9月9日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 時間について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 塚田、土岐川、高須、松本、大瀧、望月
討議内容
今回は、「時間」と題して議論した。毎日時間とかかわって生活しているが、いざ時間とは何かと考えてみると、なかなか答えの見つからないものであることがわかる。時間と深くかかわってくることは、変化である。変化がなければ時間も存在しないであろう。目に見える世界、耳に聞こえてくる世界、五感が捉える世界に変化があるから時間は生まれてくるように思える。ただ、変化があれば時間があると考えてしまうと、人間以外の動物や昆虫などにも時間があることになるが、それははたして真実なのだろうか。
動物でもないし、昆虫でもないから、彼らに人間の感じるような時間感覚があるのかどうかわからないが、直感的には、彼らには人間が感じるような時間感覚はないように思える。でも、彼らには、昼と夜の変化の中で、また季節の変化の中で、それらの変化にあった行動をとる能力が秘められている。その能力は、時間とはかかわっていないのだろうか。
人間にしても、感じる時間は、人によっても、場面においても異なってくる。せっかちな人は、時間の流れを早く感じているのかもしれないし、のんびりした人は、時間の流れをゆっくり感じているのかもしれない。こうした時間のかかわり方は、個々人でも違うだろうし、民族によっても異なっているようだ。インドネシアの人たちの時間感覚は、ゴムの時間といわれるように、決められた時間に大きな幅ができているらしい。
こうした時間感覚の異なりは、いったい何によってもたらされるのだろうか。時計の刻む時間、それは万人が共有できる絶対的な時間である。その時間を基準にしながらも、個々人の感じる時間に異なりが生まれてきているということは、もう一つ時計の刻む時間とは異なる個々人の心の中で感じる時間が存在しているからであろう。時計が刻む絶対的な時間を白色で表現すると、心の内にそれとはまったく異なる黒色の時間があって、その混ぜ具合によって、白から黒までのさまざまな濃淡が生まれ、それが個々人の感じる時間の異なりになっているように思える。では一体黒色の時間とはなんなのだろうか。それこそ、変化に依存しない時間、すなわち在りつづけている普遍的な何かのように思える。そして、動物も昆虫も、この普遍的な時間を基盤にして日々の行動を行っているように思える。すなわち、時計の刻む時間感覚は、人間だけが持っているものであり、人間は、この時計の刻む時間と、動物や昆虫も抱いている普遍的な時間基盤とを無意識のうちに混合させて日々の生活を営んでいるのではないだろうか。そして、時間という言葉で表現されているものは、時計の刻む時間とかかわったもので、どうやら、それは、人間だけに与えられた時間感覚のように思える。
したがって、過去、未来という感覚も、人間だけに与えられたものであろう。過去は記憶とかかわったイメージであるし、未来は予測とかかわったイメージである。そうしたイメージを抱ける力があるから、過去も未来も生まれてくる。ただ、動物にしても、獲物を狙うときなど、獲物の動きを予測してそれをとらえているが、それは動物にも未来感覚があるということではないのだろうか。
ただ、動物の抱くその未来感覚は、人間の抱く未来のイメージとは異なっているように思える。動物が抱く未来感覚は、今の中に体感とともに宿っている。それは、未来のイメージではなく、今の感覚の中にすでに体全体の感覚として宿っているものである。その感覚は、すでに遺伝子によって与えられているものもあるであろうし、経験に基づいた学習によって得られたものであるかもしれない。ただ、いずれにしても、それは今の感覚としてある。これに対して、人間の抱く未来イメージは、感覚ではなく、概念的なイメージである。体感的ではなく、知識的なイメージである。過去の記憶も全く同じであろう。人間の抱く過去のイメージは、体感的ではなく、知識的イメージである。
そして、こうしたことを考えてくると、過去や未来という時間軸上でのイメージを作り上げ、そうしたイメージが時間ともかかわってくるということから、時間とは、人間の概念の世界だけに存在するものであるということが言えるであろう。そして、その概念の世界の中で、時が流れ、年を取り、死を迎えることになる。だから、年を取ることも、死も、人間の概念の世界にだけ存在しているものということになる。
変化だけに目を向けると、すべてが無常となり、淋しくなってくる。淋しいから詩が生まれ、歌が生まれてくるのだが、その変化の根底で、変化せずに在りつづけているものがあるから、年をとっても私は若い時の私のままでいることができる。その私は今感じている私そのものであり、それは、変わらずに在りつづけているものである。詩が生まれ、歌が生まれてくるのも、在りつづけるものを無意識に感じながら、変化していくものを感じているからであり、人間の歴史も文化も、人間の概念の中で生み出されたものということになってくる。そういう意味で、時計が刻む時間は、人間だけに与えられた言葉の一つなのかもしれない。
次回の討議を平成23年11月11日(金)とした。 以 上
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