- 2016-10-08 (土) 14:50
- 2016年レポート
- 開催日時
- 平成28年9月23日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 「不安」について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 下山、大瀧、木村、望月
討議内容
今回は不安について議論した。経済戦略としてのアベノミクスがなかなかうまくいっていない。その根底には、多くの人が将来に対して不安を抱き、たとえお金があっても、将来のためにお金を使わないという要因がありそうだ。先日問題となった富山県議の政務活動費の不正受給も、議員を辞めた後の生活に不安を感じるので、ついそういうことをしてしまったという。そうした議員が一人や二人ではなく、10人近くもいて、同じような動機によって不正受給していたというところに、現代社会に潜む不安感の根強さが感じられてくる。
この社会に漂う不安感、それはいったい何に起因しているのだろうか。統計的なデータに基づいたものではないが、ここ20年程を振り返ってみるとき、日本社会に不安感が増大してきているように思える。生活保護者の数が戦後最大になってきていたり、非正規雇用者の比率が増大してきていたり、シングルマザーの家庭に象徴的に現れているワーキングプア―の問題、夫婦共働きでないと生活できていけない家庭での子育ての問題、父や母の介護のために会社を辞めなければならない介護離職の問題などなど、日本社会は経済不安の渦の中に巻き込まれてきているように思える。
また、そうした直接的な経済問題だけではなく、高度医療技術の発展によって、遺伝子での病気診断や、健康診断などにおける病気への不安。さらに、病気を治療するための新たな薬の開発や医療技術の開発などによって、高額な医療費がかかるかもしれないという不安。そうした不安は、50代、60代といった高齢化への道を歩んでいる人たちはもちろんのこと、まだ若い世代においてものしかかってきている。また、高齢者においても、子供を育て上げ、夫婦二人の生活の中で、いずれは一人暮らしになって、不自由な体を抱えながらどうやって生きていったらいいのか、といった不安は付きまとってくる。
こうした誰もが必ず体験してくる高齢化の問題のほかに、東日本大震災や熊本地震のように、いつ自然災害によって、日常生活が壊されてしまうかわからないという不安も抱えるようになってきている。原発の問題、テロの問題、といったものも、近年とみに浮上してきた不安要素の一つになっている。
こうした不安の増加の一つの要因に情報量の増大とのかかわりがある。先の医療の問題においても、DNAによる遺伝子診断は、まだ病気になっていない人に対して、将来病気になる可能性を示唆することになるが、それは不安を増大させる要因であることは間違いない。高齢化社会における一人暮らしの高齢者の生活情報も、若い人たちの将来に不安を生み出すことになるだろうし、世界の様々な地で起きているテロや戦争の情報も、日常生活の中に不安感を生み出してきている。こうした情報は、安心感を与えるものにもなっているが、現代社会を見てみるとき、様々な情報は、不安を煽り立てるものの方が多いような思いがする。
それでは、こうした不安感を起こさせている源はいったい何だろうか。経済的なもの、すなわちお金とのかかわり、そして、身の健康や安全に関するものが不安感の原因と考えられるが、さらにそのお金や健康とのかかわりを考えてみると、それは、死とのかかわり、死への恐怖といったものと深く結び付いているように思える。
老後の資金への不安は、生活が維持できなくなってしまうということへの不安であるが、それは、結局、そうした生活では死んでしまう、命を維持できなくなってしまうという不安と結びついてくる。病気に関しても、病気への不安は、その背後に死とのかかわりが深く結び付いている。だから、現代人が抱える不安の源は、経済的なものであれ、健康に関するものであれ、テロや震災に関するものであれ、その源には生と死の問題が根を張っていることが分かってくる。
ただ、生と死の問題は、現代人だけに投げかけられている問題ではなく、どんな時代においても、同じように人間に投げかけられていた問題である。それなのになぜ現代人の不安感は、以前より増大しているように思えるのであろうか。その一つは、先に述べたように情報量の増大にあるが、それとはまったく異なった要因として、人間自身が、そして人間社会が生命そのものから遠ざかってきてしまっていることに起因しているように思える。
それは、愛の欠如ともいえるかもしれないが、一人一人が、自我の欲求だけを伸ばし、社会もその自我の欲求を満たさせようとあらゆるものを生み出してきていて、自我の台頭している社会になってきているということだ。
ノーベル賞競争、オリンピックメダル獲得競争、宇宙開発競争などなど、ヒーロー、ヒロインを生み出す社会になってきているが、それは、なにも限られた人だけの特権ではなくなってきている。ネット社会の中で、一人一人が容易にヒーローやヒロインになれる環境が生まれてきている。こうした環境の中で、一人一人が、自分自身の心の内を見つめるということを怠り、意識は他との比較に集中し、心が外へ外へと向かってしまっている。それは、自身の心の底にある生命から離れていることになるし、隣人愛からも遠のいていくことになる。それは、まさにバベルの塔そのものではないだろうか。エゴが台頭する時代、それは、人間社会に不安をもたらす大きな要因なのではないだろうか。
次回の討議を平成28年11月25日(金)とした。 以 上
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