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第26回 「社会」

開催日時
平成29年11月17日(金) 14:00~17:00
討議テーマ
「社会」について
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
下山、大瀧、大瀧(千)、伊藤、望月

討議内容

今回は社会について議論した。私たちは時として、日本社会とか、社会の変化とか、ネット社会とか、社会という言葉を何気なく使っているが、その社会が意味しているものはいったい何なのだろうか。

社会という言葉の意味しているものをよく考えてみると、それは目に見えないものであることがわかる。日本社会というのも、その社会が示しているのは、文化であったり、環境であったり、教育や犯罪状況であったりと、場面場面で異なってくる。社会がなにか物体のように四次元の世界に確定したものとして存在しているのではなく、一人一人が感じとっている何かである。そこには、歴史的な流れがかかわっていたり、民族的な気質がかかわっていたり、文化や価値観といったものもかかわってくる。そして、そうしたものは、一人だけの生活の中で生まれてくるものではなく、大勢の人によって作り上げられているものである。

 ただ、そうしたものであっても、一人一人はなんとなく全体的な雰囲気を感じ取っていて、それを社会という言葉によって代弁している。だから、何かを話しているときに、今の日本社会であるとか、社会はこうであるとか、一人一人があたかも物質的なもののように確固としたものとして社会をとらえている。それは、一人一人の無意識の世界でとらえられた何かであり、人との語らいを通して感じ取られてくるものであったり、TVや新聞などから入ってくる情報によって感じ取られているものであったりして、そうしたものが心の中に蓄積して、ある確定的なものとしてのイメージを創出してくることになる。そのイメージ的なものを一般的に社会という言葉で表現しているのであろう。

人間社会だけを考えていると、社会という言葉の意味しているものが、どこかしら捉えどころのないものになってしまうが、ハチやアリの世界に目をやると、社会の存在が浮き彫りになってくる。ハチ社会であるとか、アリ社会であるとか、生物学者だけではなく、一般的に、ハチやアリの世界を社会と表現している。何千匹、何万匹といわれるハチやアリが、個々体はてんでバラバラな行動をしているように見えても、全体的に見てみると、巣作りであったり、獲物の獲得であったり、一つの統制の取れた世界が広がっていて、それを社会として捉えていることがわかる。

こうした昆虫の生態を研究している研究者によると、女王バチと働きバチとは全く同じゲノムを持っているのにもかかわらず、成長してくる過程で、体つきも、機能も、そして、行動様態も違ってくるという。何千、何万と産み付けられた卵からかえった幼虫は、最初の三日間は同じローヤルゼリーを与えられるけれど、三日目以降は、女王バチになる数匹だけにローヤルゼリーが与えられ続けて、そのほかのものには、違ったものが与えられるらしい。その食事の変化が、同じDNAを持ちながら、異なった体をつくり、女王バチや働きバチの違いを生み出しているという。こうして、ハチ社会は、全体で一つの統制の取れた世界を作り出している。

こうした営みは、誰に教えられたわけでもなく、ハチが誕生した時から本能的に与えられているハチの営みである。そして、その本能的なものがもたらす全体の動きを社会とわれわれは捉えていることになる。ハチたちの個々の動きは環境によって異なっていても、全体としてみたときには、統制の取れた行動となって集約されてくるが、個々体の営みは、目に見えない何かによって動かされている。その目に見えないものが、ハチ全体で統制の取れたものになるように個々体の営みを制御し、ハチ社会としてとらえられるものを生み出しているのであろう。

それと同じことが、人間の心の世界でも繰り広げられているのではないだろうか。人間が感じる社会というのは、一人一人の無意識の世界でとらえられた人間集団のうねりであり、全体の動きの状態であろう。時の流れとともにゆっくりと変化している人間集団のうねりを無意識の世界で感じ取り、それを社会と表現しているのではないだろうか。だから、社会というのは、目に見える世界に存在しているのではなく、一人一人の心の内で感じ取られているもの、社会は一人一人の心の内にあるものということである。

その人間社会が向かう方向は、ハチやアリの社会のように確定してはいない。でも、ハチやアリの無意識の世界に、本能と表現されるものを生み出す内的世界が与えられているように、人間にも人間の本能と考えられる心の世界が広がっていて、一人一人の人間が、その人間としての本能的心で生きていくところに、理想的な人間社会が待っているのかもしれない。ただ、人間は、アリやハチのように、与えられた内的世界のままに生きることができず、あれこれと意識的に考え、判断し、我欲も芽生えてくることによって、人間に与えられた本能から離れた心の世界で日々生活をしていることになる。だから、様々な場面で争いが起きることになるが、そうした争う心の中で、理想とも思える本能的心に引き戻そうとしているのが、良心であったり、愛であったりするのであろう。だから、理想的な人間社会というのは、貧富の格差もない、上も下もない、愛にあふれた社会ということになってくる。人間社会が、アリやハチの社会のような理想的な社会に向かっていくのか、それとも人間的本能から離れた心によって破滅的な社会に向かっていくのか、それは一人一人の心の有り様にかかっているように思われる。

次回の討議を平成30年1月19日(金)とした。       以 上

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