- 2018-03-21 (水) 21:23
- 2018年レポート
- 開催日時
- 平成30年3月16日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 「秩序」について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 下山、伊藤、望月
討議内容
今回は勇気について議論した。平昌オリンピック、パラリンピックでの選手の活躍の中で、多くの人が、メダリストたちの活躍に勇気をもらったと語っているのを耳にしてきたが、その勇気とはいったい何なのだろうか。
下山さんは、幼い頃、祖母の暮らす実家に初めて一人で訪れたときのことを回想して、あの時の行動は勇気そのものだったと語っている。誰もが小さい頃にはよく体験することだが、病気になって初めて一人で病院に行ったこと、一人で初めて学校や塾に行ったこと、などなど、人生の中で初めて何かにチャレンジする時、その時の行動は、勇気そのもののような気がする。そこには、まだ体験したことのない世界が待ち受けている未知との遭遇があり、不安や恐怖が渦巻いている。その不安や恐怖を乗り越えて、新たなことにチャレンジする、そこに勇気の原点がある。
ただ、その不安や恐怖を乗り越えてまで未知の世界に足を踏み入れようとするのは、その未知の世界に何か心を動かされるものがあるからであろう。祖母の暮らす実家に初めて一人で行ってみたいという思いの中には、祖母との語らい、祖母のやさしさといった、そこには、子供心をくすぐるほんのりとした温かなものがある。その温かなものを求めて、恐怖や不安に打ち勝ち、未知なる世界にチャレンジする。
勇気というのは、恐怖心や不安感といった心の抵抗を乗り越えて、新たな世界にチャレンジしていく行動力である。でも、その行動力が生まれるためには、背中を押してくれる何かが必要であろう。オリンピックやパラリンピックでのメダル獲得を目指して頑張る選手達の心の内には、できるだろうか、勝てるだろうかという不安や恐怖が渦巻いているに違いない。でも、そういう不安を乗り越えて、頑張らせる原動力には、メダルを取りたい、チャンピョンになりたい、皆を喜ばせたいといった夢や希望がある。そうしたものがあるから、厳しい練習も乗り越えることができる。
新たな仕事にチャレンジしていくという転職にしても、そこには転職する勇気がある。そして、そこにも、新たな世界に対する不安は横たわっていても、その不安を乗り越えてまで行動に踏み切らせる何かがある。それは、もっと自分の実力を伸ばせられるからとか、もっと自分の好きなことに全力を傾けられるからといった夢があるからだ。
こうした夢や希望に後押しされて生まれてくる勇気のほかに、いじめを目撃した時に、いじめられている人を守ってあげたり、慣習にとらわれている旧態依然の組織の中で、新たな組織を目指して行動していく、まさに革命的なその行動の背後には、夢とか希望といったものとは違った何かがあるように思う。その何かとは、正しいこと、本当に大切なものを守るためといった動機付けである。本当に大切なものを守るために、強い抵抗にあっても行動していく。その行動こそ勇気そのものである。
では一体その本当に大切なものとは何なのだろうか。たぶん、その本当に大切なものは、人間である以上、程度の差はあれ、誰の心にも共通に秘められているものであろう。それは、真理や愛といったものではないだろうか。人を愛し思いやる心、その心は、正義ともかかわってくるのだろうが、先のいじめられている人を守ろうとする行動というのは、まさに愛に背中を押されての行動であろう。革命にしても、それまでの組織が一握りの人だけに有利な組織で、多くの人にとって不幸な組織に対して立ち上がる行動であるが、その動機の根底には真理や人類愛があるのではないだろうか。
ただ、どうだろうか、その愛と勇気との係わりを考えるとき、吹雪の中で我が子を守って亡くなっていった父親、海でおぼれている孫を助けようとして亡くなっていった祖父、踏切にたたずんでいる老人を救おうとして自身の命を失っていった人、そういう人たちの行動は、勇気という言葉では片づけられない崇高なものがある。こうした行動には、考えて行動するという余裕はないように思える。それは、間髪を入れずに行われる行動であり、愛そのものを原点としたものであろう。
こうして考えてくると、勇気といわれる行動には、人間としての理性の働きが、行動する前に控えているように思えてくる。愛や真理に根差したものであれ、夢や希望に根差したものであれ、行動に移す前に、不安や恐怖と理性との間に戦いがあるように思える。その戦いは、理想と現実、あるいは、自我と自己との戦いなのであろうが、生きるべきか死ぬべきかといった思案がある。だから、勇気というのは、思案に基づいた行動であるといえるのではないだろうか。
行動的には勇気ともとれるものに無謀というのがある。この行為は、勇気と似て非なるものであるが、それは、思案もせずに危険な世界に衝動的に飛び込む行為である。ただ、それは先の愛に根差した間髪を入れずに行われる行為とは、やはり似て非なるもののように思える。
勇気の反対のものとして臆病がある。やらねばならないとわかっていても、それをやることが正しいと思っていても、不安、恐怖、怠惰といった心の抵抗にあって、思っていることを実行に移せない。それが臆病であるが、勇気というのは、その裏返しで、これまで述べてきたように、正しいと思うこと、やらねばならないと思うことを、不安や恐怖といった心の抵抗に打ち勝って、実践していくことであろう。そして、その勇気を繰り返すことで、段々と心が磨かれていくのであろう。オリンピック、パラリンピックでのメダリストたちの演技や言葉によって勇気が与えられるのは、日常生活の中でともすると惰性的な生活に陥っていた心に火がともされ、もっと頑張らなくてはという新たな世界に目覚めさせてくれるからなのではないだろうか。
次回の討議を平成30年5月25日(金)とした。 以 上
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