- 2020-02-08 (土) 17:29
- 2020年レポート
- 開催日時
- 令和2年1月31日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 「人間の未来」について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 土岐川、下山、大瀧(茂)、岩崎(晴)、伊藤、望月
討議内容
今回は、人間の未来について議論した。まず、出席者全員に、人間の未来に関して、楽観的に思うか、悲観的に思うか、表現してもらった。科学技術の発展によって、明るい未来が予想されるという意見、環境問題や人口問題を考えるとそれほど楽観的には思えないという意見、さまざまな情報があふれることで、不安が煽り立てられてしまうという意見など、楽観、悲観、双方織り交ざった意見であった。
そんな中で、共通した意見は、科学技術と人間社会との結びつきは、ますます強くなってくるであろうことは予想に難くないということだった。TVの特別番組などで、未来の技術を予測したり、それを基本にした社会システムを予想したりしているが、そんな中で、最も強調されている技術として、AIとロボットの技術開発があるが、これらの技術が急進することは間違いなかろう。AIとロボットを組み合わせた接客サービスや、AIを内蔵したペットロボット、さらには、持ち主に代わって旅行するロボット旅行の登場など、AIとロボット、さらには通信ネットワークと結びついて、新たな社会が築かれていくことは確かであろう。
こうした技術の発達は、家に居ながらにして海外旅行ができたり、一人暮らしであっても、語り合えるロボットが同居してくれたりと、家に閉じこもっていてもなに不自由なく暮らしていける環境を作りつつある。現在でもすでに日常化している通信販売が、さらに多様化し、食品にしても、お弁当にしても、ネットで自由に注文でき、宅配してもらえる環境になってくると、そして、仕事はネットを使い、在宅勤務になってくると、家に閉じこもる環境はますますエスカレートしてくるであろう。
学校教育にしても、タブレットや電子黒板を使った教育が行われ, PCが一人一台与えられてくるにしたがって、週の1日は、在宅学習ということも起きてくるであろうし、それが頻繁になってくると、在宅学習が学校教育に置き換わってきてしまう可能性もある。子供たちは、ネットを介して遊び始め、ネットを介して塾通いをし、ネットを介してスポーツが行われたりもしてくるかもしれない。
医療にしても、今、家でできる健康診断としては、血圧検査、血糖値検査、尿検査ぐらいであろうが、これが、簡易なDNA分析器や血液検査器などが家庭にも入ってくると、家に居ながらにして、人間ドック的なものができてしまったり、病気診断を受けることができてきたりするのは予想に難くない。こうして考えてくると、人間の未来には、「在宅」というのが一つのキーワードになってくる。家が、ある時には、旅行する電車や飛行機内になったり、ある時には、診療を受ける病院になったり、ある時には本や資料を調べる図書館になったり、そして、ある時には教室になってきたりする。そうした基本には、情報と通信ネットワークとがある。
その一方で、情報が多くなることによって、不安も増大してくる危険性もある。一人一人のゲノムが分析されるにしたがって、将来の病気の予測がされたり、今でも行われつつある出生前診断など、情報によって不安感が増長されるということも起きてくるであろう。
また、技術の進歩によって、宇宙に行ってみたい、長く生きたい、ゲームをしたい、などなど、今まで考えもしなかった技術の登場によって、人間の潜在的な欲求がくすぐられ、その欲求がますますエスカレートしていく状況が生まれてくるであろう。そうした欲求を満たすためには、お金が必要になり、そこに格差が広がる社会が生まれてくるように思える。
ただ、そうした中で、人間の心の世界に目を向けていくなら、社会変化によって、ますます増長する欲の世界とは対照的に、100年経っても、1000年経っても変わらない人間の心がある。まさに人間の心の不易流行である。流行の心は、社会の変化に左右され、それを求めようと必死になる。その一方で、人間としてこの世に生まれてきたことの意味を考え、生きがいを求めようとする人間として変わることのない心がある。
前者は、人間の我欲と結びついた心であり、後者は、悠久な生命と結びついた心である。これまで、先哲や聖人が残した言葉の中には、この二つの心と結びついたものがある。仏教の経典の一つである法華経の中で語られている火宅の譬えは、家が火事で燃え尽きそうになっていることに気付かず遊戯に夢中になっている人の世界を描き出したものだが、それは、まさに我欲に心が奪われ、人間として、本来求めなければいけないものを求めようとしないことへの警鐘を鳴らしたものだ。また、聖書に語られている狭き門より入れというのも、我欲にしばられた世界から離れることへの導きであろう。
人間の作り出している社会、それは先端技術を基盤にして、世のため人のためという枕詞によって推進されているけれど、その枕詞に秘められたものをよく考えてみると、それらの多くは世の人の欲のためということにならないだろうか。そして、それは、人間社会を火宅の世界深くにますます追い込んでいる営みのようにも思える。
この流れを変えることは、ほとんど不可能であろう。だから、人間の未来において大切なことは、一人一人が火宅から脱出する努力を自らしていくことではないだろうか。それは、時として、TVやスマホというものから自らを開放し、自身の心の内から生まれてくる生命からの声に耳を傾ける時間と場とを持つということなのかもしれない。そして、ここにも火宅の中にとどまる人と火宅から出ていく人との二極分離が起きてくるように思える。
次回の討議を令和2年3月19日(木)とした。 以 上
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