- 2006-04-04 (火) 20:35
- 2006年レポート
- 開催日時
- 平成18年3月7日(火) 14:00〜17:00
- 討議テーマ
- 幸福な人生
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 土岐川、塚田、下山、徳留、内田、望月
討議内容
今回は「幸福な人生」と題して議論した。今回のテーマは、ただ幸せということだけではなく、幸福な人生として、人生がかかわっている。それは、ゲームに夢中になったり、好きなことをやっている時の刹那的な快楽からくるところの幸せではなく、一人一人の人生を振り返って見た時に、この世に人間として生まれてきたことを感謝して死んでいけるかどうか、人生の集大成として幸福であるとはどういうことなのかということである。
もちろん、刹那的な快楽であっても、その快楽の中で死んでいくことができたら、それは幸せな人生だったのかもしれないけれども、それでは、なんだか動物の生き方とあまり変わりがないように思えてくる。誰でもが経験していることであろうけれど、あまり遊びだけに興じていると、はたしてこれで自分の人生はいいのだろうかという反省の心が自然に芽生えてくる。その芽生えは、人間社会が作り上げた価値基準、例えば、大学に行って勉強し、それなりに知識を身に付け、会社勤めをしてといったシナリオに乗ることへの無意識な引力から生まれてきていることも多分にあるではあろうけれど、それとは切り離されて、人間の本質と係わっているように思える。
その罪悪感とも思える心は、無意識的にではあるけれども、人間がこの世に生まれてきたことの意味を知り、生まれてきた目的をはたすことへ意識を向けさせるためのものではないだろうか。そして、それは、一人ひとりに与えられた使命感のようなものかもしれない。単なる刹那的な快楽の中にふけっていたのでは、動物と何ら変るところはない。人間が人生というものを抱いているというのは、どこかで、精神的な成長を求めているからなのではないだろうか。
スポーツ選手のインタビューで、よく耳にする言葉に、人間的に成長したという言葉があるが、これは、スポーツを通して、日々の練磨の中で、精神的に成長したことを意味している。動物には、多分、この内面的な成長というものはないであろう。自然のままの動きの中で、内的世界はどの個体も同じようなものに成長していく。それは、個々体の努力によって成長していくというよりも、すでに生命体として与えられたものの中での成長である。これに対して、人間は、自らの意志によって自身の精神世界を高めていくことができる。人間として生まれた中で、幸福な人間としての人生は、こうした精神的な成長と深く係わっているように思える。
天命という言葉があるが、天命を知ったものは、多分幸せな人生を送ることができるであろう。そして、誰しも、漠然とはしているけれども、自分自身に与えられた使命とか役割といったものを具体的に求めているのではないだろうか。そして、その漠然としていたものが、何らかのきっかけによって、はっきりと自分自身の心の中で形作られた時、それは天命を知ったことになる。
天命を知ることが早ければ早いほど、人生を充実したものにすることができるのであろう。というのは、日々の営みが、天命としてのはっきりとした目標に向かっての営みになっているから、時の流れと共に、それが豊かなものへと成長してくるからである。天命のはっきりしていない人生では、ある時には右に行き、ある時には左に行くというふうにして、目的が定まっていないために、時流に流され、環境に流されて、あるものをしっかりと成長させることができなくなってしまう。それは、刹那的な快楽に陥っているのとよく似た営みである。
結婚しないまま、ある年齢になってしまった女性の中には、結婚していないこと、子供がいないことに対して、どうしようもない寂しさと、切なさを感じている人がいる。男性にしても、同じような状況の中で、同じようなことを感じている人がいる。それは、動物としての役割を果たしていないという、無意識の抵抗なのかもしれない。どんなにお金があっても、どんなに名声をはせたとしても、その寂しさ、満たされなさを解消することはできないという。そんなことを考えると、人間には、動物的役割と、人間として生まれてきた使命感との両方があって、少なくとも、そのどちらかを満たしていないと、人間としての人生に満足感を抱くことができなくなってしまうのではないだろうか。
過去の歴史を振り返ってみる時、男性に宗教者や思想家、芸術家が多いのは、女性が、子供を産み、子供を育てるという本能的な役割感が強いのに対して、男性の場合には、動物としての役割感が希薄であるから、使命感というか、精神的なものへのこだわりに関心が向けられていたからなのかもしれない。
刹那的な快楽は、自分自身の楽しみ、それは、エゴ的な楽しみと表現できるかもしれないが、それに対して、役割感は、子供を育てることに代表されるように、自分の営みが他者との係わりに向けられている。同じように、使命感にしても、どこかで、他者との係わりの中で繰り広げられるものである。これらのことを考えると、幸福な人生というのは、人間として生まれてきたことの役割と使命とをはっきりと覚知し、他者との係わりの中で、その役割と使命とを発揮し続けることにあるように思える。
次回の討議を平成18年4月28日(金)とした。 以 上
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