- 2007-06-04 (月) 20:20
- 2007年レポート
- 開催日時
- 平成19年5月25日(金) 14:00〜17:00
- 討議テーマ
- 人格
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 土岐川、下山、松本、吉野、小沢、佐藤、望月
討議内容
今回は「人格」と題して議論した。最近の教育論の要として、教育による人格形成という言葉をよく耳にする。教育と人格形成ということを足がかりに、人格について議論してみた。
人格という言葉の響きからイメージするのは、どこかしら、形にはめられたような、硬い感じがするという。参加者の中には、その硬さのイメージから、人格のある人につまらなさを感じもすると言う。格という言葉が、人間の理性が作り上げた杓子定規的なものを生み出しているように思えるらしい。ただ、そういったイメージとは対照的に、人の精神としてのあるべき望ましい崇高なる状態に人格を位置付けてもいる。それと、人格とは、人が決めるものであって、本人が決めるものではない。精神修行のために一人人里離れた所に遁世して、どんなに精神的な進化を遂げたとしても、人は、その人を人格者として認めはしまい。人格とは、人と人との係わりの中で感じられる何かである。
それではということで、歴史上の人物で、人格者をイメージする人を挙げてもらった。人格者として挙げられた人は、ガンジー、マザーテレサ、それから、昭和天皇もそう位置付けられるかもしれないと言う意見もあった。これに対して、歴史上著名な人物ではあるけれども、人格者とはいえないのではないかという人として、織田信長、ヒットラー、ナポレオンなどの名前が挙げられた。これらの人物の違いは一体何なのだろうか。
人格者として挙げられた人も、人格者ではないとして挙げられた人も、共通点は、共にリーダーシップを持っているということである。その人の生き方、あるいは考え方に共鳴した多くの人が、その人を慕い、その人の指導の下についていった。ただ、違うのは、織田信長にしても、ヒットラーにしても、ナポレオンにしても、人を傷つけたり殺したりしている。この人たちを人格者としてイメージできないのは、その点にあるらしい。
これらの人たちは、確かに、その時代において、人々の心を動かすだけの思想や、夢を抱いていたのであろう。しかし、その思想や夢が、天下取りであったり、人を支配することであったりと個人のエゴ的なものに根ざしていた。これに対して、ガンジーや、マザーテレサといった人は、エゴに基づいた行動というよりも、人として共通に抱く思想や、愛といったものを核として行動していったように思える。人の行動がエゴに基づいたものなのか、それとも純粋に人間愛に基づいたものかによって、その人の格がイメージされているのかもしれない。
こうしたことを考えると、人格者というのが、イソップの物語にある「北風と太陽」と共鳴するものを感じさせる。旅人のコートを脱がすことが戦いの目的であったこの物語で、北風は、力づくで旅人のコートを脱がそうとする。それは、まさに織田信長やヒットラーの生き方と重なり合ってくる。これに対して、太陽は、暖かな光を燦燦と投げかけ、旅人の意志でコートを脱がそうとする。それは、ガンジーやマザーテレサの生き方に共鳴してくる。すなわち、人格者と言われる人は、一人一人の意志を大切にし、その意志が人類共通の愛のこころから生まれてくる意志に明かりをともすことのできる人ではないだろうか。そうして考えると、人格とは、先ずは愛の心と深くかかわっているということであろう。ただ、愛だけでは、人格というイメージから離れてしまう。愛の心を基本的には抱きながらも、それとはまた別な何かも加味されているように思える。それが、礼儀であったり、相手の気持ちを考えてあげることであったり、さらには、社会的に常識人として生きることのできるマインドであったりと、人間として中庸的に生きる心を持ちえていることも人格と深くかかわってくる。
論語の中に、君子和して同ぜず、という一文があるが、この君子の意味しているものが、人格者と重なり合ってくる。社会の一員として、常識的な行動をとる、それは、和することでもある。しかし、和しているだけでは君子とはいえない。それは人格者でもない。和するこころを持ちながら、自身の目指すあるものをしっかりと貫き通す、それは、同ぜずという態度になってくるのであろうが、そうした信念をもちえていることも人格と深くかかわってくるようだ。
こうして考えてくると、人格とは、普通の人として、社会と調和の取れた営みをしながら、同時に、崇高なる目的をもって、その目的達成のための信念を貫き通す意志の強さを持っていることではないだろうか。そこには、周りの人たちと共鳴しながらも、自分の生きる信念をしっかりと貫き通す、生命力にあふれた生き方がある。そして、その信念が、先に述べた織田信長や、ヒットラーの天下取のようなエゴ的な信念ではなく、人々の幸福に役に立つことをなすという崇高なる目的に向かっての信念であるようだ。
次回の討議を平成19年7月27日(金)とした。
以 上
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