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2007年レポート

第118回 「男と女」

開催日時
平成19年11月30日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
男と女
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
下山、内田、吉野、大滝、望月

討議内容

今回は、「男と女」と題して議論した。男と女が生物的に違っていることは確かだが、そのことと人間社会における男と女の営み、考え方、といったもので何か異なることがあるのであろうか。自分のことを表現する言葉として、男の場合には、私、僕、俺、我、手前、小生、拙者などと多様にあるが、女の場合には、私、あたしといった言葉しか思い当たらない。この違いはどこからくるのであろうか。そこには、男と女の営みの異なりが表現されてはいないだろうか。女は内において営むのに対して、男は外の世界とかかわり、それだけ異なった多くの場面に遭遇する。そのことが、自分を表現する言葉に多様性が生まれてきていると言えないだろうか。

この女は内で働き、男は外で働くという生活スタイルは、人間の本性的なものなのであろうか、それとも、それは、人間社会の作り出したものであって、そうしたことは、時代と共に、そして環境と共に変わっていくものなのだろうか。

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第117回 「五十年後の人間社会」

開催日時
平成19年11月30日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
男と女
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
下山、内田、吉野、大滝、望月

討議内容

今回は、「男と女」と題して議論した。男と女が生物的に違っていることは確かだが、そのことと人間社会における男と女の営み、考え方、といったもので何か異なることがあるのであろうか。自分のことを表現する言葉として、男の場合には、私、僕、俺、我、手前、小生、拙者などと多様にあるが、女の場合には、私、あたしといった言葉しか思い当たらない。この違いはどこからくるのであろうか。そこには、男と女の営みの異なりが表現されてはいないだろうか。女は内において営むのに対して、男は外の世界とかかわり、それだけ異なった多くの場面に遭遇する。そのことが、自分を表現する言葉に多様性が生まれてきていると言えないだろうか。

この女は内で働き、男は外で働くという生活スタイルは、人間の本性的なものなのであろうか、それとも、それは、人間社会の作り出したものであって、そうしたことは、時代と共に、そして環境と共に変わっていくものなのだろうか。

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開催日時
平成19年9月21日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
五十年後の人間社会
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
土岐川、内田、吉野、望月

討議内容

今回は、「五十年後の人間社会」と題して議論した。50年という時の流れが、一体どのくらいの社会変化をもたらすものなのか、そのことを考えるために、先ずは、50年前の日本の社会について思い出してみることにした。

50年前といえば、一般人の中に、TVや電話といったものがまだ広まっていなかった時である。TVはあったけれど、町に数台、お店の前に置かれ、大衆が、それを見ようとTVの周りに群がっていた時代である。電話にしても、それほど普及していなくて、電話を持っている家から呼び出してもらうような程度であった。ダイヤル式の電話になるまでには、まだ相当の年月を要していた。

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第116回 「人間」

開催日時
平成19年11月30日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
男と女
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
下山、内田、吉野、大滝、望月

討議内容

今回は、「男と女」と題して議論した。男と女が生物的に違っていることは確かだが、そのことと人間社会における男と女の営み、考え方、といったもので何か異なることがあるのであろうか。自分のことを表現する言葉として、男の場合には、私、僕、俺、我、手前、小生、拙者などと多様にあるが、女の場合には、私、あたしといった言葉しか思い当たらない。この違いはどこからくるのであろうか。そこには、男と女の営みの異なりが表現されてはいないだろうか。女は内において営むのに対して、男は外の世界とかかわり、それだけ異なった多くの場面に遭遇する。そのことが、自分を表現する言葉に多様性が生まれてきていると言えないだろうか。

この女は内で働き、男は外で働くという生活スタイルは、人間の本性的なものなのであろうか、それとも、それは、人間社会の作り出したものであって、そうしたことは、時代と共に、そして環境と共に変わっていくものなのだろうか。

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開催日時
平成19年9月21日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
五十年後の人間社会
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
土岐川、内田、吉野、望月

討議内容

今回は、「五十年後の人間社会」と題して議論した。50年という時の流れが、一体どのくらいの社会変化をもたらすものなのか、そのことを考えるために、先ずは、50年前の日本の社会について思い出してみることにした。

50年前といえば、一般人の中に、TVや電話といったものがまだ広まっていなかった時である。TVはあったけれど、町に数台、お店の前に置かれ、大衆が、それを見ようとTVの周りに群がっていた時代である。電話にしても、それほど普及していなくて、電話を持っている家から呼び出してもらうような程度であった。ダイヤル式の電話になるまでには、まだ相当の年月を要していた。

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開催日時
平成19年7月27日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
人間
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
塚田、土岐川、下山、桐、大滝、小沢、大滝(ち)、望月

討議内容

今回は、大滝さんが、奥様を連れて夫婦で参加してくれました。奥様は、何度かこの人文研に参加したいと思っていたそうですが、仕事の都合上、なかなか参加することができず、やっと参加する機会を得たとのことです。新しい視点から、意見を述べてもらえることを期待しています。

今回は、「人間」と題して議論した。私たちは、日常当たり前のように人間という言葉をつかっているが、その当たり前と思える人間とは一体何かについて考えてみると、なかなか難しい問題を含んでいることが分かる。先ず、人間を考える上で、二つの異なった側面から考えることができる、一つは、生物学的にとらえた人間であり、もう一つは、精神面からとらえた人間である。前者は、生物学が追い求めてきた人間としての定義がある。直立歩行をし、火を使い、言葉によるコミュニケーションをすることのできる生物である。そして、一般的には、チンパンジーとの共通祖先から、漸次的に進化したものであり、万物の霊長として進化の頂点に立っていると考えられている。

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第115回 「人格」

開催日時
平成19年11月30日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
男と女
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
下山、内田、吉野、大滝、望月

討議内容

今回は、「男と女」と題して議論した。男と女が生物的に違っていることは確かだが、そのことと人間社会における男と女の営み、考え方、といったもので何か異なることがあるのであろうか。自分のことを表現する言葉として、男の場合には、私、僕、俺、我、手前、小生、拙者などと多様にあるが、女の場合には、私、あたしといった言葉しか思い当たらない。この違いはどこからくるのであろうか。そこには、男と女の営みの異なりが表現されてはいないだろうか。女は内において営むのに対して、男は外の世界とかかわり、それだけ異なった多くの場面に遭遇する。そのことが、自分を表現する言葉に多様性が生まれてきていると言えないだろうか。

この女は内で働き、男は外で働くという生活スタイルは、人間の本性的なものなのであろうか、それとも、それは、人間社会の作り出したものであって、そうしたことは、時代と共に、そして環境と共に変わっていくものなのだろうか。

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開催日時
平成19年9月21日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
五十年後の人間社会
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
土岐川、内田、吉野、望月

討議内容

今回は、「五十年後の人間社会」と題して議論した。50年という時の流れが、一体どのくらいの社会変化をもたらすものなのか、そのことを考えるために、先ずは、50年前の日本の社会について思い出してみることにした。

50年前といえば、一般人の中に、TVや電話といったものがまだ広まっていなかった時である。TVはあったけれど、町に数台、お店の前に置かれ、大衆が、それを見ようとTVの周りに群がっていた時代である。電話にしても、それほど普及していなくて、電話を持っている家から呼び出してもらうような程度であった。ダイヤル式の電話になるまでには、まだ相当の年月を要していた。

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開催日時
平成19年7月27日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
人間
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
塚田、土岐川、下山、桐、大滝、小沢、大滝(ち)、望月

討議内容

今回は、大滝さんが、奥様を連れて夫婦で参加してくれました。奥様は、何度かこの人文研に参加したいと思っていたそうですが、仕事の都合上、なかなか参加することができず、やっと参加する機会を得たとのことです。新しい視点から、意見を述べてもらえることを期待しています。

今回は、「人間」と題して議論した。私たちは、日常当たり前のように人間という言葉をつかっているが、その当たり前と思える人間とは一体何かについて考えてみると、なかなか難しい問題を含んでいることが分かる。先ず、人間を考える上で、二つの異なった側面から考えることができる、一つは、生物学的にとらえた人間であり、もう一つは、精神面からとらえた人間である。前者は、生物学が追い求めてきた人間としての定義がある。直立歩行をし、火を使い、言葉によるコミュニケーションをすることのできる生物である。そして、一般的には、チンパンジーとの共通祖先から、漸次的に進化したものであり、万物の霊長として進化の頂点に立っていると考えられている。

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開催日時
平成19年5月25日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
人格
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
土岐川、下山、松本、吉野、小沢、佐藤、望月

討議内容

今回は「人格」と題して議論した。最近の教育論の要として、教育による人格形成という言葉をよく耳にする。教育と人格形成ということを足がかりに、人格について議論してみた。

人格という言葉の響きからイメージするのは、どこかしら、形にはめられたような、硬い感じがするという。参加者の中には、その硬さのイメージから、人格のある人につまらなさを感じもすると言う。格という言葉が、人間の理性が作り上げた杓子定規的なものを生み出しているように思えるらしい。ただ、そういったイメージとは対照的に、人の精神としてのあるべき望ましい崇高なる状態に人格を位置付けてもいる。それと、人格とは、人が決めるものであって、本人が決めるものではない。精神修行のために一人人里離れた所に遁世して、どんなに精神的な進化を遂げたとしても、人は、その人を人格者として認めはしまい。人格とは、人と人との係わりの中で感じられる何かである。

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第114回 「向上心」

開催日時
平成19年11月30日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
男と女
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
下山、内田、吉野、大滝、望月

討議内容

今回は、「男と女」と題して議論した。男と女が生物的に違っていることは確かだが、そのことと人間社会における男と女の営み、考え方、といったもので何か異なることがあるのであろうか。自分のことを表現する言葉として、男の場合には、私、僕、俺、我、手前、小生、拙者などと多様にあるが、女の場合には、私、あたしといった言葉しか思い当たらない。この違いはどこからくるのであろうか。そこには、男と女の営みの異なりが表現されてはいないだろうか。女は内において営むのに対して、男は外の世界とかかわり、それだけ異なった多くの場面に遭遇する。そのことが、自分を表現する言葉に多様性が生まれてきていると言えないだろうか。

この女は内で働き、男は外で働くという生活スタイルは、人間の本性的なものなのであろうか、それとも、それは、人間社会の作り出したものであって、そうしたことは、時代と共に、そして環境と共に変わっていくものなのだろうか。

つづきを読む

開催日時
平成19年9月21日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
五十年後の人間社会
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
土岐川、内田、吉野、望月

討議内容

今回は、「五十年後の人間社会」と題して議論した。50年という時の流れが、一体どのくらいの社会変化をもたらすものなのか、そのことを考えるために、先ずは、50年前の日本の社会について思い出してみることにした。

50年前といえば、一般人の中に、TVや電話といったものがまだ広まっていなかった時である。TVはあったけれど、町に数台、お店の前に置かれ、大衆が、それを見ようとTVの周りに群がっていた時代である。電話にしても、それほど普及していなくて、電話を持っている家から呼び出してもらうような程度であった。ダイヤル式の電話になるまでには、まだ相当の年月を要していた。

つづきを読む

開催日時
平成19年7月27日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
人間
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
塚田、土岐川、下山、桐、大滝、小沢、大滝(ち)、望月

討議内容

今回は、大滝さんが、奥様を連れて夫婦で参加してくれました。奥様は、何度かこの人文研に参加したいと思っていたそうですが、仕事の都合上、なかなか参加することができず、やっと参加する機会を得たとのことです。新しい視点から、意見を述べてもらえることを期待しています。

今回は、「人間」と題して議論した。私たちは、日常当たり前のように人間という言葉をつかっているが、その当たり前と思える人間とは一体何かについて考えてみると、なかなか難しい問題を含んでいることが分かる。先ず、人間を考える上で、二つの異なった側面から考えることができる、一つは、生物学的にとらえた人間であり、もう一つは、精神面からとらえた人間である。前者は、生物学が追い求めてきた人間としての定義がある。直立歩行をし、火を使い、言葉によるコミュニケーションをすることのできる生物である。そして、一般的には、チンパンジーとの共通祖先から、漸次的に進化したものであり、万物の霊長として進化の頂点に立っていると考えられている。

つづきを読む

開催日時
平成19年5月25日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
人格
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
土岐川、下山、松本、吉野、小沢、佐藤、望月

討議内容

今回は「人格」と題して議論した。最近の教育論の要として、教育による人格形成という言葉をよく耳にする。教育と人格形成ということを足がかりに、人格について議論してみた。

人格という言葉の響きからイメージするのは、どこかしら、形にはめられたような、硬い感じがするという。参加者の中には、その硬さのイメージから、人格のある人につまらなさを感じもすると言う。格という言葉が、人間の理性が作り上げた杓子定規的なものを生み出しているように思えるらしい。ただ、そういったイメージとは対照的に、人の精神としてのあるべき望ましい崇高なる状態に人格を位置付けてもいる。それと、人格とは、人が決めるものであって、本人が決めるものではない。精神修行のために一人人里離れた所に遁世して、どんなに精神的な進化を遂げたとしても、人は、その人を人格者として認めはしまい。人格とは、人と人との係わりの中で感じられる何かである。

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開催日時
平成19年3月29日(木) 14:00〜17:00
討議テーマ
向上心
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
土岐川、下山、吉野、望月

討議内容

今回は「向上心」と題して議論した。向上心というと、夏目漱石の著書「こころ」の中で、「精神的に向上心のないものはばかだ」というくだりが思い出される。人間として生まれてきた限り、一人一人には、それぞれの目標があり、それにチャレンジしようとする意欲がある。勉強にしても、良い成績をとろうと努力するし、スポーツ選手にしてみても、試合に勝つために努力したり、記録をぬりかえるために努力したりする。そうした努力は、すべて向上心に根ざしている。

向上心には、こうしたはっきりとした目標を定めて、それに向かう向上心の他に、修行僧が、崇高なる境地を求めて修行するように、具体的にはっきりとしたものは見えていないけれど、見えざる目標を目指すという向上心がある。この二つの向上心は、同じものなのであろうか。それとも、全く別なものなのだろうか。

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第113回 「働く」

開催日時
平成19年11月30日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
男と女
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
下山、内田、吉野、大滝、望月

討議内容

今回は、「男と女」と題して議論した。男と女が生物的に違っていることは確かだが、そのことと人間社会における男と女の営み、考え方、といったもので何か異なることがあるのであろうか。自分のことを表現する言葉として、男の場合には、私、僕、俺、我、手前、小生、拙者などと多様にあるが、女の場合には、私、あたしといった言葉しか思い当たらない。この違いはどこからくるのであろうか。そこには、男と女の営みの異なりが表現されてはいないだろうか。女は内において営むのに対して、男は外の世界とかかわり、それだけ異なった多くの場面に遭遇する。そのことが、自分を表現する言葉に多様性が生まれてきていると言えないだろうか。

この女は内で働き、男は外で働くという生活スタイルは、人間の本性的なものなのであろうか、それとも、それは、人間社会の作り出したものであって、そうしたことは、時代と共に、そして環境と共に変わっていくものなのだろうか。

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開催日時
平成19年9月21日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
五十年後の人間社会
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
土岐川、内田、吉野、望月

討議内容

今回は、「五十年後の人間社会」と題して議論した。50年という時の流れが、一体どのくらいの社会変化をもたらすものなのか、そのことを考えるために、先ずは、50年前の日本の社会について思い出してみることにした。

50年前といえば、一般人の中に、TVや電話といったものがまだ広まっていなかった時である。TVはあったけれど、町に数台、お店の前に置かれ、大衆が、それを見ようとTVの周りに群がっていた時代である。電話にしても、それほど普及していなくて、電話を持っている家から呼び出してもらうような程度であった。ダイヤル式の電話になるまでには、まだ相当の年月を要していた。

つづきを読む

開催日時
平成19年7月27日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
人間
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
塚田、土岐川、下山、桐、大滝、小沢、大滝(ち)、望月

討議内容

今回は、大滝さんが、奥様を連れて夫婦で参加してくれました。奥様は、何度かこの人文研に参加したいと思っていたそうですが、仕事の都合上、なかなか参加することができず、やっと参加する機会を得たとのことです。新しい視点から、意見を述べてもらえることを期待しています。

今回は、「人間」と題して議論した。私たちは、日常当たり前のように人間という言葉をつかっているが、その当たり前と思える人間とは一体何かについて考えてみると、なかなか難しい問題を含んでいることが分かる。先ず、人間を考える上で、二つの異なった側面から考えることができる、一つは、生物学的にとらえた人間であり、もう一つは、精神面からとらえた人間である。前者は、生物学が追い求めてきた人間としての定義がある。直立歩行をし、火を使い、言葉によるコミュニケーションをすることのできる生物である。そして、一般的には、チンパンジーとの共通祖先から、漸次的に進化したものであり、万物の霊長として進化の頂点に立っていると考えられている。

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開催日時
平成19年5月25日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
人格
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
土岐川、下山、松本、吉野、小沢、佐藤、望月

討議内容

今回は「人格」と題して議論した。最近の教育論の要として、教育による人格形成という言葉をよく耳にする。教育と人格形成ということを足がかりに、人格について議論してみた。

人格という言葉の響きからイメージするのは、どこかしら、形にはめられたような、硬い感じがするという。参加者の中には、その硬さのイメージから、人格のある人につまらなさを感じもすると言う。格という言葉が、人間の理性が作り上げた杓子定規的なものを生み出しているように思えるらしい。ただ、そういったイメージとは対照的に、人の精神としてのあるべき望ましい崇高なる状態に人格を位置付けてもいる。それと、人格とは、人が決めるものであって、本人が決めるものではない。精神修行のために一人人里離れた所に遁世して、どんなに精神的な進化を遂げたとしても、人は、その人を人格者として認めはしまい。人格とは、人と人との係わりの中で感じられる何かである。

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開催日時
平成19年3月29日(木) 14:00〜17:00
討議テーマ
向上心
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
土岐川、下山、吉野、望月

討議内容

今回は「向上心」と題して議論した。向上心というと、夏目漱石の著書「こころ」の中で、「精神的に向上心のないものはばかだ」というくだりが思い出される。人間として生まれてきた限り、一人一人には、それぞれの目標があり、それにチャレンジしようとする意欲がある。勉強にしても、良い成績をとろうと努力するし、スポーツ選手にしてみても、試合に勝つために努力したり、記録をぬりかえるために努力したりする。そうした努力は、すべて向上心に根ざしている。

向上心には、こうしたはっきりとした目標を定めて、それに向かう向上心の他に、修行僧が、崇高なる境地を求めて修行するように、具体的にはっきりとしたものは見えていないけれど、見えざる目標を目指すという向上心がある。この二つの向上心は、同じものなのであろうか。それとも、全く別なものなのだろうか。

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開催日時
平成19年2月2日(金) 14:00〜17:00
討議テーマ
働く
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
土岐川、下山、松本、小沢、佐藤、望月

討議内容

今回、小沢さんが新たに参加してくれました。小沢さんは、現在「心のカウンセリング基金」を主宰する二十代のお嬢様です。若い感性で、新鮮な息吹を吹き込んでくれることを期待しています。

今回は「働く」と題して議論した。働くという言葉で一番始めに連想されるのは、収入を得ること、お金を得ることであろう。人間が生きていくためには、働いてお金を得ることが何よりも大切であることには間違いなかろう。だから、働くことの根底には、お金を得るためという目的があることは確かである。しかし、働くことが必ずしもお金を得ることのためではないことは、専業主婦の家事について考えればすぐ気がつくことである。

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