- 2007-04-11 (水) 8:45
- 2007年レポート
- 開催日時
- 平成19年3月29日(木) 14:00〜17:00
- 討議テーマ
- 向上心
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 土岐川、下山、吉野、望月
討議内容
今回は「向上心」と題して議論した。向上心というと、夏目漱石の著書「こころ」の中で、「精神的に向上心のないものはばかだ」というくだりが思い出される。人間として生まれてきた限り、一人一人には、それぞれの目標があり、それにチャレンジしようとする意欲がある。勉強にしても、良い成績をとろうと努力するし、スポーツ選手にしてみても、試合に勝つために努力したり、記録をぬりかえるために努力したりする。そうした努力は、すべて向上心に根ざしている。
向上心には、こうしたはっきりとした目標を定めて、それに向かう向上心の他に、修行僧が、崇高なる境地を求めて修行するように、具体的にはっきりとしたものは見えていないけれど、見えざる目標を目指すという向上心がある。この二つの向上心は、同じものなのであろうか。それとも、全く別なものなのだろうか。
わたしたちが、日常体験することの多くは、はっきりとした目標があって、それに向かって努力しようとすることにかかわった向上心である。この向上心は、単なる人との比較、人より優れたものになるという、そのことのためだけの向上心なのであろうか。それとも、その根底には、何かもっと奥の深いものが存在しているのであろうか。
確かに、スポーツ選手には、記録更新であるとか、金メダルであるとか、ある具体的な目標があり、そうした目標を目指すことが向上心であるようには見えるけれど、それと同時に、たとえ金メダルは取れなかったとしても、精一杯努力して悔いることのない戦いができたときには、それなりの満足感を得ることはできよう。その満足感は、向上心の根源と共鳴する何かなのではないだろうか。
要するに、ある具体的な目標は、向上心が抱いている本来の目標を目指さそうとさせる水先案内人のような働きをしているのではないかということだ。それは、金メダル勝者が、具体的な目標を達成したから、それでスポーツ人生に幕を下ろすということではないことから見ても推測できる。金メダルという頂点の裏側に、何かそれとは違ったものが存在している、そのことを感じるから、さらなる努力をしようとするのではないのだろうか。
確かに、記録であるとか、金メダルであるといった具体的な目標はあるのであるが、その背後には、そうした目標とは全く異なった無意識的な目標が控えているということだ。そして、その無意識的な目標というのは、先に述べた修行僧の崇高なる境地を求めて修行する向上心と合い通じるものなのではないだろうか。
すなわち、人間一人一人のこころの中には、ある方向に向けて精神的に進化させようとする無意識的な力が共通に働いていて、それが直接こころに働きかけているのが、修行僧の崇高なる境地を求める営みにつながってくるし、それが、仮想的な目的を与えて間接的に働きかけているのが、スポーツ選手に代表される目的的な営みになっているのではないかということだ。
時として、立派なスポーツ選手や、偉大なる科学者が、自分の目指していた目標が、全て手中に入ってしまったとき、生きる目標を失い、そのことが契機となって修行僧と同じ世界に入っていくという例があるが、これらのことは、まさに、一人一人の抱く向上心が、修行僧の求める崇高なる境地へと精神を進化させようとする力であることを意味していないだろうか。
自然は失敗しないけれど、人間には失敗がある。それは、失敗する能力ともいえる。そして、その失敗する能力の根底には、崇高なるものに向かわせようとする向上心が働いているのであろう。だから、人間の作ってきた文化や文明は、失敗を繰り返しながら、結果として向上心の表現されたものであるともいえる。
アインシュタインの導き出したE=mC2という法則が、原子爆弾を生み出し、それによって人間の歴史の中でやってはいけないこと、すなわち失敗を経験すると、原子爆弾の製造に反対する力が働き、新たな社会を形成していく。教育にしても、失敗の連続の中から、よりすぐれた教育へと向かうことになっていこう。医療にしても、臓器移植に代表される高度医療技術が、失敗を繰り返しながら、新たな医療として確立されていく。要するに、人間は失敗を繰り返しながら、ある未知なる目標に向かって努力しているということだ。そして、その未知なるものこそ、精神的進化へと導く道であり、それは、宗教的なものと共鳴する世界であろう。
こうして考えてくると、水が高きところから低きところへと流れていくように、そして、それは重力という力によって営まれているように、人間の心も、低きところから高きところに向かって進化するよう、向上心という力が作用していることになる。そして、そうした力が先天的に人間の心の中に宿っているということは、この世の流れは、単に気まぐれにあるのではなく、ある目的的なものを根底に秘めているのではないかと思えてくる。
次回の討議を平成19年5月25日(金)とした。
以 上
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