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第138回 「二十年後の人間社会について」

開催日時
平成23年3月25(金) 14:00~17:00
討議テーマ
二十年後の人間社会ついて
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
塚田、土岐川、下山、松本、大瀧、望月

討議内容

今回は、「20年後の人間社会」と題して議論した。人間文化研究会が始まったのがちょうど20年前であり、そのことを頭において今回のテーマを考えたというのもあるが、10年後では少し近すぎるし、かといって50年後では、議論しても意味があまりないということで、20年後の人間社会、特に人間の生き方、心の問題などに主体をおいて議論してみることにした。

 過去、人間文化研究会で、「21世紀の人間社会」をテーマに議論したことがある(1995年12月・第35回)。ちょうど、今から15年ほど前のこと。そこでは、過去20年の間に新たに生まれたものを列記していて、それらのものから、過去20年の間に人間の生み出してきたものが、「自動化」、「利便牲」、「快適牲」、「情報化」、「健康」、「省力化」、「余暇の増大」、「自由」、「スピードアップ」等と係わっていることを語っている。特にこの時期は、湾岸戦争が情報化のうねりと重なり、戦争が茶の間で見られたこともあって、情報化に伴ってバーチャルとリアルの境界が少なくなっていくことを予測している。

これらのうねりは、現代も続いているし、これから20年後においても、今以上に加速していくことは確かであろう。特に、インターネットの作る社会は、20年前には想像だにできなかったことで、現代発展しつつあるソーシャルネットワーク、ツウィッター、ブログ、といったネットを介しての意見交換、主張、出会いといった場がバーチャルではあるけれど、リアルなものとして新たな人間社会の一角を占めていくことは間違いなかろう。

インターネットは、国境を越え、地球上のどこからでも、どこへでも、いつでも、だれとでも自由に情報を共有することのできる社会を作り上げてきた。情報が瞬時的に地球全てに伝わる人間社会は、政治はもちろん、経済活動においても、地球社会が同時に変化する状況を作り上げてきている。これらの変化は、15年前に見出した社会の変化を表現したキーワードに加えて、「ボーダレス社会」、「時空の超越」「バーチャルな場」、「共時的世界」、といったキーワードを登場させた。これらのキーワードは、社会の枠組みとでもいえるものと係わったキーワードであるが、今度は、その枠組みの中で生きている人間と直接係わったキーワードで過去20年の間に新たに生まれてきたもの、あるいは、新たにクローズアップされてきたものを列記すると、「フリーター」、「契約社員」、「ひきこもり」、「離婚」、「母子家庭」、「失業」、「自殺」、「ワーキングプア」、「うつ病」、「認知症」、「介護」、「生活不安」、といったものが浮かんでくる。

確かに人間社会は便利で快適になってきた。物の移動も、情報の移動も確かに早くなった。それだけ、仕事も効率的にできるようになった。遊びにしても、スマートフォンなどの携帯端末の登場によって、寸暇を惜しんでできるようになった。いつでも、どこでも、好きな時に好きなことができる社会が出来上がってきた。でも、20年前、30年前と比較して、はたして人間はより幸せになってきたのだろうか。

先日の読売新聞の昭和を振り返った調査(20歳以上の人)で、一番幸せだった時代を50年代とする人が一番多く、平成と昭和とを比べると、平成時代の方が、希望がない時代、格差の大きな時代、暗い時代と感じているらしい。我々の実体験からしても、年金問題がこれほどクローズアップされたことは過去ないし、新卒者の就職がこれほど厳しい時代は過去見なかった。確かに、生活は便利で快適にはなってきたけれど、その中で生きている人たちの心は、何か不安なもので覆われた灰色の世界が広がっているように思える。

こうした傾向は、これからの20年先の時代においても、さらに増幅していくのだろうか。今回の東日本大震災は、人間が求めてきた便利で快適な生活が、極めて不安定な地盤の上に成り立っているものであることを浮き上がらせた。エネルギーの問題を取り上げても、石油を頼りに作り上げてきた社会は、その埋蔵量の限界や、中東諸国をはじめとする産油国の政治や経済の手の中に握られた社会になっている。そうしたことを、無意識のうちに一人ひとりが感じ取っている時代なのかもしれない。まさに、砂上の上に作られた便利で快適な社会を、その社会が発展していけばいくほど強く感じ始めているのかもしれない。

こうしたことを考えていくと、これからの20年間、太陽光発電や風力発電といった自然エネルギーの開発と、それをもとにした社会インフラが作られていくことは間違いなかろう。未来に生きる人たちにも希望の持てるインフラ作りが、新たな知恵を育んでくるように思える。

今回の大震災では、阪神淡路大震災の時に比べ、携帯電話が大きな力を発揮した。それは、通信というライフラインではあるけれども、パーソナルであるし、ラインが無線ということもあって、通信を可能にした。こうしたことを考えると、エネルギーに関しても、自家発電のパーソナル化も新たな目標になってくるであろう。そして、こうした分野での新たな仕事が、今までの情報産業や運輸産業以上に発展していくことで、新たな雇用創出になってくるのではないだろうか。

スピード化は、人間の心に大いなる負担をもたらしてきた。インターネットの普及は、職場と家庭との垣根をなくし、就労日と休日との境もなくしてきつつある。それはある意味、心を静かに休ませることのない環境になってきたということでもある。これらの流れは止めることのできないものであるから、これからの時代は、そうした便利で快適な環境の中で、一人ひとりが、いかに自分の心を平穏な状態に保ち続けることができるか、そのことのためのリテラシーを学び、実践していくことが重要になってくる時代であろう。

原子力発電の事故に見るように、科学技術は利器にもなるし凶器にもなる。それは、医療、通信、運輸、教育、ありとあらゆる分野において言えることであり、そうした両面を持った技術社会の中で、人間らしく生きていくためには、自らが、人間の作り上げていく便利で快適な社会の中で、そうしたものを利器として活用できるような知恵と自覚とを育んでいかなければならない時代と言えるのではないだろうか。

これからの時代、あらゆる分野に科学、そして科学技術が浸透してくることは間違いない。ほんの一握りの人たちの知恵によって開発されてきたものが、ある時、想定外の危険をもたらしてしまうことも起きてしまう。何が正しくて、何が間違っているのか、ただ既存の倫理観だけで済まされる時代ではなくなってきているように思える。科学技術と係わった新たな倫理観が求められる時代でもあるようだ。

次回の討議を平成23年5月27日(金)とした。       以 上

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