- 2012-04-08 (日) 11:59
- 2012年レポート
- 開催日時
- 平成24年3月23日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 愛について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 土岐川、下山、松本、大瀧、平賀、伊藤(雅)、望月
討議内容
今回は、「愛」と題して議論した。先ずはじめに、愛について議論する前に、参加者一人一人に愛という言葉でイメージするものを表現していただいた。そのイメージで浮かび上がってきた言葉は、引力、共感、愛情、慈しみ、無償の行為、和、海といったものである。海という言葉をイメージした人からは、人間の身体を作り上げている一つ一つの細胞は、もともとは海から生まれてきたものであり、それが自分の身体も、他者の身体も共通に作り出している、そんなイメージが愛にはあるとのこと。それは、引力という言葉をイメージした人の考え方とも符合する。全てのものが一つに結ばれている、そんなイメージが愛にはある。
では、一体愛とはなんなのだろうか。マザーテレサの言葉に、愛の対語は憎しみではなく無関心というのがある。愛の持つ心の世界は、皆が一緒、皆が一つというのが根底に流れているようだ。先にイメージしてもらった言葉の中の引力、海、和といったものの中には、愛の持つ全体で一つという世界が込められている。
愛には、自愛、博愛、他愛、慈愛、寵愛、祖国愛など、枕詞のついたものが多い。その枕詞を見てみると、愛の対象となるものを指し示しているものが多い。自愛は、自分に対する愛で、自分の体を大切にして健康を維持するという意味と、自我に根差した欲求を満たすことといった意味がある。祖国愛は、自分や祖先の生まれ育った国を大切にし、誇りに思うという意味で用いられている。博愛は、自愛や祖国愛といった言葉のようにある限られた対象に対する愛ではなく、広く平等に人々を愛するという意味の言葉である。こうしたことを考えると、愛はさまざまな対象への何等かの働きかけであり、それが自分自身に対するものであれ、他者に対するものであれ、そこには共通の愛の源が心の根底に存在していることになる。では一体その源とはなんなのであろうか。
そのことを考える上で、愛とは人間だけに限られたものなのだろうか、それとも、動物にも、昆虫にも愛は存在しているのだろうか、そのことを考えてみる必要がある。犬を飼っている人には、犬にも愛があるように感じるという。飼い主の存在が、犬にも伝わるし、犬の存在が飼い主の心をも温めてくれる。ただ、そうしたことが人間の抱く愛そのものであろうか。それは、犬の行為にたいして飼い主が勝手に愛だと感じているのではないだろうか。近年ロボットの開発が進み、一人暮らしをする人の心の支えにもなるようなロボットが登場していて、そのロボットにたいして一人暮らしをする人は愛と同じものを感じるらしい。そのロボットの存在は、犬の存在と同じものではないのだろうか。
こうしたことを考えてくると、愛には受け取る愛と、与える愛とがありそうだ。ロボットに愛を感じるのは、ロボットそのものが愛を与えているのではないが、ロボットと一緒に生活する人がロボットに感じる愛である。これに対して、お年寄りや体に不自由な人に席を譲ってあげる行為は、与える愛であろう。すると、先の犬と飼い主とのかかわりは、犬に感じる愛は、飼い主が犬にたいして感じる愛であり、飼い主が犬をかわいがる愛は、飼い主の与える愛ということになってくる。
すると、愛というのは、与える愛であっても、感じる愛であっても、共に人間自身の心の内にあるものであって、その愛のスイッチをオンさせるのに、自分の意志でするのが与える愛であり、他者の存在によってオンさせられるのが受け取る愛ということになってくる。こう考えると、犬とロボットとの違いがはっきりとしてくる。犬の心はわからないけれども、飼い主の存在が、犬の行動に喜びを生み出させているならば、犬にも感じる愛が存在していることになる。また、飼い主の悲しみを思いやる犬の行動があるのであれば、それは、犬の意志から生まれている与える愛ともいえるかもしれない。これに対して、ロボットは、意志をもたないから与える愛もないし、感じる心もないから感じる愛も持っていないことになる。
では一体感じる愛と受け取る愛のその源はなんなのであろうか。目の前に立ったお年寄りに席を譲ってあげた時など、温かなものが心の中に流れ込んでくることを感じることがある。そうした光景に接した時にも、ほんのりとした温かさを感じることがある。その温かさは、生きるエネルギーのようにも思える。ということは、愛とは、生命を生き生きとさせるための何かなのではないだろうか。キリスト教ではその真髄に愛があるが、仏教では慈悲という言葉がある。慈悲の意味を紐解いてみると、そこには、一人一人の心の内にある本当の自分を生き生きと伸ばすための指南が秘められている。愛と慈悲とを真髄としながら、二つの宗教が目指しているのは、一人一人の心の内に流れている悠久な命に気付かせ、生き生きと生きる心であろう。そういう意味で、愛とは、生きとし生けるものの命をはぐくむ何かなのであろう。
次回の討議を平成24年5月18日(金)とした。 以 上
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