- 2015-03-05 (木) 13:17
- 2015年レポート
- 開催日時
- 平成27年1月23日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 「心と身体」について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 下山、大瀧、望月
討議内容
今回は心と身体について議論した。昔から、哲学や宗教の世界では、心と身体の結びつきについて様々な議論や教えが繰り広げられてきた。そうした教えや思想はともかくとして、今回改めて心と身体の結びつきについて考えてみることにした。
哲学の分野での最大の謎として、今なお議論されているのが、無機的な原子や分子で形作られている脳が、いかにして意識を生み出すのかという意識のハードプロブレムだ。確かに、脳梗塞などによって脳に障害が起きると、言葉が思うように話せなくなってしまったり、歩行がままならなくなったりと、身体全体に大きな影響を与えてくる。それは、脳というハードの障害が、心に抱いた思い通りに体を動かせなくしているからである。ただここで疑問に思うことは、体は思い通りに動かすことができないけれど、心は正常であるという点だ。ということは、心をつかさどる脳と体を動かす脳とは違っているということなのだろうか。それとも、脳の中に心があるのではなく、脳は、心と身体を結びつける架け橋になっているということなのだろうか。
病は気からと昔から言われているように、心配事やストレスといったもので体が壊され、病気になってしまうというのは、多くの人が日常体験していることであろう。大瀧さんは、以前ストレスから胃にポリーブができてしまって手術したことがあるという。大きな仕事が終わり、ほっとした時に免疫力が低下して、大病になるということも多いらしい。これとは逆に、病気になっている人が、その病気が治っていくことをイメージすることで病気が完治したり、笑いによって病が癒されたりするということも起きている。
もう何十年も前から、プラシーボと呼ばれる効果が起きていることは、医学の世界では常識になっているらしい。プラシーボとは偽薬と呼ばれているが、お医者さんに処方された栄養剤を治療薬だと信じて飲み続けていると、病気が治ってしまうことが結構頻繁に起きているらしい。それは、信じるという心が、病気という肉体の障害を治してしまうということで、心が身体に直接働きかけていることの良い例だ。
心と身体とが一体となって相互に影響しあっていることの良い例がスポーツの世界にある。サッカーの試合でよく耳にするホームとアウェイ。ホームでの試合は、応援によって選手は、普段以上の力を発揮することがあって、試合に勝つことが多い。これに対したアウェイでの試合では、相手チームへの声援が多いために、身体にブレーキがかかってしまうのか、普段の力が発揮されずに負けてしまうケースが多い。応援という心への働きかけが、技という体の動きに大きな影響を与えているよいケースであろう。こうした応援による技量の高まりは、あらゆるスポーツに共通していることだ。
この応援によって選手の技量の高まりという心と身体の関係は、スポーツ以外の多様な分野で見かけることができる。舞台で演技する俳優にしても、お客さんの反応がよく、いい場が生まれてくればくるほど、演技にも熱が入り、観客のいないリハーサルの時には生み出すことのできなかった素晴らしい演技を生み出すことができてくる。
スポーツにしても、演技にしても、人が集まることで高まっていくなにかがある。ただ、その集まりが良い雰囲気、良い場を生み出している時には、選手や俳優といった人たちの心は高揚し、良い結果を生み出すことに結び付いてくるが、逆にその場が悪い場合には、心は沈み、実力以上の力を発揮することはできなくなってしまう。このネガティブな場は、いじめであるとか、ブーイングであるとか、ネットの中での中傷であるとか、メディアでの批判にさらされるとかした中で生まれてくるが、それは、その対象となった人の心を傷つけ、最悪の場合には生きていく力さえ奪ってしまうことになってしまう。
こうしたことを考えてくると、心と身体を結びつけているものが愛といわれるものとどこかしら共鳴していることが分かってくる。駅伝やマラソンのように、時として一人で苦しい中走り続けなければならないようなとき、応援は、大きな力を蘇らせてくれるが、その源には、自分は一人ぼっちではないという愛によって包まれることで、失いかけていた力が蘇ってくるからなのではないだろうか。先ほどの、いじめ、中傷、といったものは、愛とは逆に、一人ぼっちの寂しさ、孤独感、というものに陥らせ、それが心のエネルギーを低下させてしまうことになるのであろう。
心と身体、それは切り離せないものなのだが、その切り離せないものを一つに結び付けているものこそ愛のように思える。病気になることの一つには、自分自身が、自分自身の体を愛すること、すなわち、自身の体への心遣いをしていなかったことに起因しているのかもしれない。ご自愛くださいという言葉の意味も、その辺のことを表現しているのであろう。また、家庭や職場といったところでも、互いを愛し合う心、思いやる心が欠けることで場は乱れていき、家庭不和に陥ってしまったり、仕事がうまくいかなくなってしまったりする。逆に、愛に満ちた世界では、何事もうまくいき、身体を健康に保つことができる。健全なる肉体に、健全なる精神が宿るという言葉は古代から言われてきているが、健全なる肉体は、健全なる精神(愛)によって維持されるともいえるのではないだろうか。そして、心と身体は二にして一なるもの、分けられないものであり、それこそが生命そのものなのかもしれない。
次回の討議を平成27年3月13日(金)とした。 以 上
- 新しい記事: 第10回≪人間文化研究会≫開催案内
- 古い記事: 第9回≪人間文化研究会≫開催案内