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第34回 「嫉妬」

開催日時
平成31年3月15日(金) 14:00~17:00
討議テーマ
「嫉妬」について
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
大滝、岩崎(晴)、望月

討議内容

今回は、嫉妬について議論した。このテーマは、人文研では初めてのテーマ、当たり前のようでいて、議論していくとつかみどころのないもののようにも思えてきたが、どうにかその根源らしきものにたどり着くことができた。
 嫉妬という言葉と同じような言葉に、ねたみ、羨望、うらやましいといったものがある。嫉妬とねたみとは、同じような意味合いがあり、そこには、憎しみのようなものが込められているのに対して、羨望やうらやましいという言葉の中には、嫉妬ほど嫌悪なものは感じにくい。うらやましいという言葉は、むしろ相手をたたえている部分もあるように思える。

 では、嫉妬とは何だろうか。議論で一番初めに浮かんだのは、企業組織の中でのこと。同期入社の仲間は、初めは仲が良くても、段々とライバル意識を持ち始め、やがて、入社数年して評価されて昇級の時期になってくると、ある人は昇級し、ある人はまだそのままの状態というのが起きてくる。こうした時に、昇級しなかった人の心には嫉妬という心が頭を持ち上がってきて、ともすると憎悪の気持ちまでも抱いてしまう。

オリンピック競技で、金メダルを取る人がいる一方で、メダルを取れなかったライバルは、相手を褒めつつも嫉妬心に駆られているのではないだろうか。同じ目標を持ち、ともに努力してきた人の間で、結果として優劣が起きてきたとき、劣の立場に立たされた人には嫉妬の心が生まれてくることが多い。

岩崎さんは、自身が勤めていた組織に紹介した人が、組織に採用され、後々組織から評価されてそれなりの地位を得ていたり、メディアに登場して頑張っていたりする姿に接するとき、自分も頑張らなくてはと思う心と同時に嫉妬心にも似た心を抱いたりもするという。

こうしたことを考えると、嫉妬の心が生まれてくる源には、知り合いであるということ、同じ価値基準、同じ目標を抱いているということがありそうだ。そして、その価値基準や目標というものが、地位、名声、富といったものと深く係わっていることが分かってくる。

ただ、こうした世俗的な価値基準のほかに、恋愛とかかわった嫉妬がある。自分がひそかに好きになった人が、他の人を愛していたりするようなときには、嫉妬心が生まれてくる。この時の嫉妬は、同じ価値基準、それは、好きな相手を得たいというものであるが、それは、地位、名声、富とは異なっている。それは、自分を愛してほしいという欲求とかかわっているように思える。

これらの要因とは少しばかり異なっているが、同性同士の間で感じる嫉妬がある。ある集団の中で、ある人が特別に皆から信頼を得ていたり、好かれていたりするようなとき、その人にライバル意識を持っている人には嫉妬の心が生まれてくる。この時、嫉妬心を抱いた人が求めているのは、多くの人から尊敬されたいという人間性とかかわる欲求であろう。

こうしたことを見てくると、嫉妬と人間の抱く欲求との間に深いかかわりがあることが見えてくる。人間の基本的欲求としてマズローが五段階の欲求を挙げているが、それらを基本的なものから列記すると、生理的欲求、安全欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、そして、自己実現の欲求である。これらのうち、嫉妬と主にかかわってくるのは、所属と愛の欲求と、承認の欲求のように思える。地位や名声への嫉妬も、恋愛とかかわった嫉妬も、この二つの欲求とかかわっている。もちろん生理的欲求や安全欲求とかかわった嫉妬心もあるのであろうが、それは、どちらかというと羨ましさといった、少しばかり緩やかな心のように思える。

こうしたことを考えてくると、嫉妬の心は、人と人との係わりの中で生まれてくるものであり、その対象となる人が自分の身近な存在であるということが分かってくる。そして、その身近な人とかかわって、同じ価値を求めようとしていることから生まれてくるということのようだ。嫉妬の心は、それを抱く本人にとって決して快いものではない。できればそんな心は抱きたくない。では、どうしたらその嫉妬の心を持たずに済ませられるのだろうか。その答えが、先のマズローの基本的欲求の最後の欲求である自己実現の欲求に隠されているように思える。

自己実現の欲求というのは、社会的には色々な解釈がなされているが、一言で表現するなら、真なる自己に目覚めるということであろうか。それは、人との比較の中で作られている自分ではなく、私そのものに目覚めるということになる。そこから深い知恵がうまれ、独創性が生まれ、真の愛が生まれてくる。平等、博愛、創造といった世界には、嫉妬は生まれてこないように思える。

ただ、人間として生まれてきている以上、人とかかわり、社会とかかわり、そして、必然的に世俗社会とかかわらざるを得ない。だから、嫉妬心というのは、多かれ少なかれ誰しもが抱く宿命にあるのだが、自己実現への努力によって、嫉妬の心を少しでもすくなくしていけるよう努力したいものである。

今回の議論が平成最後の議論となった。この会が生まれたのが今から28年前、平成3年の時、この会も平成と共に歩んできたのだということを平成の終わるこの時、しみじみと思う。新たな年号は何になるでしょうか。

とりあえず、次回の討議を平成31年5月17日(金)とした。   以 上

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