- 2005-04-08 (金) 0:55
- 1993年レポート
- 開催日時
- 平成5年12月1日(水) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー東京支社
- 参加者
- 多田、山田、広野、徳永、塚田、土岐川、鈴木、佐藤、望月
討議内容
今回も前回に引続き、宗教について話し合った。過去二回の討議は、主として、社会現象としての宗教ブームを、第三者的な立場に立って話し合ってきたが、今回は、我々自身が宗教というものの中に入って、自分自身と係わりのあるものとしての宗教をも含めて討義を進めた。
過去二回の討議内容を振り返ると、現在社会の中で起きている宗教ブームの原因としていくつかのものが考えられる。それらを包括するならば、世の中が、人間の付き合いにしても、社会の価値観にしても、企業の価値観にしても、論理的であり、科学的事実に対する価値追求というものに思考が片寄ってきていることが考えられる。すなわち、意識できるものに対しては価値を置く一方で、なんとなくしか感じることの出来ないものに対しては、切り捨てて行くという時代背景がある。これを、人間の脳生理学的考えから表現すると、論理牲を主として司る左脳的な働きが、非論理的で、フィーリングを感じさせる右脳的な働きよりも優位に立つような社会構造になってきていると表現できるかも知れない。左脳の働きと、右脳の働きは、あたかもシーソーの対局にそれぞれ存在していて、それぞれの比重の大小関係によって、絶えず上に上がったり、下に下がったりしている状態にたとえることが出来る。左脳優位な現在社会においては、このシーソーを平衡状態に戻そうとする力が、「右脳と係わりのある宗教心の高まりとなって現れているようにも考えられる。我々人類の歴史も、何百年という長い期間を学位にみるならば、左脳と右脳のシーソーゲームによって出来上がってきているのかも知れない。
宗教性というものは、現在も過去も人間の心の中に生き続けている不易的なものであるが、宗教はどうして人間社会の中に生まれてきたのかを問いただすならば、そこには、人間の恐怖からの回避としての宗教性が考えられる。天災に対する恐怖、未知の世界に対する恐怖、死に対する恐怖などがその基本にあったのであろう。これらの恐怖は、始めは、人為ではなんともし難い事柄に対するものへの恐怖であったものが、現在社会においては、商売がうまく行くようにとか、大学受験に合格するようにというように、自身の欲求するものが覆されることの恐怖からの回避のために、宗教に係わって行くというような我欲的なもののための宗教に変化してきてもいる。そして、そこには、人間が生きている上で、最も関心を持たなければならない生と死という事柄から、自身を遠ざけてしまっている社会情勢が浮かび上がってくる。
武家社会においては、武士は、いつ何時自身の命が奪われるかも知れないという危機感に絶えず頻していたのであろう。その恐怖心が、彼らをして宗教の中に入らしめる力となっていたように思える。武士が禅仏教の中に入り、死の恐怖を打ち砕いて行く中から、武士としての本当の強さが生まれてきたのであろう。TV番組や、映画などでの切腹のように、きれいには必ずしもなされていなかったかも知れないが、そこには、宗教との係わりの中から死の恐怖を打ち砕いていった雄々しい武士の姿を見るのである。人間は、死と直面した中で、その恐怖心を何等かな形で克服するところに新たな生命力が生まれ、人間の持つ潜在的な優れた能力が発揮できるように思える。立行司の腰に入っている小刀は、行司差し違えの時に、その責任を取って割腹するためのものであるという。絶えず生と死との境で物事をなさねばならないという危機の中に、自身の持つ優れた能力を発揮し、人間業とも思えない微妙な判定を行っていたのであろう。
一人一人が、死との係わりを強く抱きながら生きていた19世紀後半から20世紀前半の文学作品を見ると、現在なおも生命を持ち、多くの読者の心を捉えているトルストイ、へルマンへッセ、夏目漱石等々の作品には、その作者が死と直面し、死の恐怖との葛藤の中から生まれてきた生命溢れる作品を見ることができる。俳句にしても、芭蕉の詠んだ俳句ほどには現在の俳人が読むことがなかなか出来ないという。もちろん、不易と流行ということで、昔の時代の流行感覚を今の時代に生み出すことは不可能なのかも知れないが、それよりも、人間の生命と係わり合う不易なところで、現在の人々が、死と直面することがなくなっていることが、様々なものに生命の息吹を感じさせない要因であるように思える。芭蕉自身、生きることを悩み、生と死の狭間で禅仏教の世界に飛び込んでいった何年かがある。今残っている芭蕉の俳句の多くは、芭蕉が世の中に名声を馳せていた30代の作品ではなく、生と死を見つめる中から再起した40代のものがほとんどである。
サントリー不易流行研究所が、花をテーマに募集したエッセイの中でも、読む者の心を感動させたものは、戦争体験の中で、生と死を見つめた人によって綴られたものであったという。死を直視することによって、当り前のように生きていた生が、より生き生きとした形で見えてくるのかも知れない。そして、そこからは、単なる知的作業の遺物ではなく、悠久なる宇宙生命とどこかしら共鳴する作品が生まれてくるのであろう。
先の話合いの中で、現在人は、喜怒哀楽のうち、喜と楽のみを追求し、怒と哀とを表現することがなくなってきているという話があったが、喜と楽は陽であり、それは現在の多くの人が求めている生といえよう。家庭でも企業でも、この見かけ上の生だけを育てるように働いているように思える。これに対して、怒と哀は陰的であって、それは現在の多くの人がオブラートに包んで触れないようにしている死と係わりがあるように思える。この怒と哀の中にこそ、本当の生命が宿っているように思えるのだが。全てが安楽な方向を求めようと動き始めている現在社会の中にあって、悠久なる生命のささやきが、死をタブー視することへの警鐘を鳴らし、宗教回帰への道をささやきかけているのかもしれない。
鈴木さんが幼少の頃、鈴木さんの住んでいた町に、少々気のふれた女の人が、きれいな和服を着て時々やって来たそうです。その女の人を、町の人達は、様々な形で受け入れていたのだと思いますが、鈴木さんにとっては、今思うと、その人が、どことなく自分自身の宗教性と重なっていたような感じがすると印象を述べられていました。その女性の自由闊達な行動が鈴木さんの何かをくすぐったのでしょうか。その時代は、日常生活の中で、非日常的なものを受け入れることの可能な環境であったのでしょう。現在社会が失ってしまったものの一つとして、日常生活の中で、非日常的なものを受け入れることの出来る人間環境であるように思える。私達の社会は、元々赤裸な世界であったのであろうが、左脳的な論理社会の支配が高まってくるにしたがって、自分自身で作ってしまった規制によって、我身を縛り付けているように思える。この規制が強まってくると、その規制から開放されたいという力が内面から起こり、それが宗教性と結び付いているようにも思える。
何でも知っていて、物事を論理的にどんなに説明しても、我々の心に響かないことを語っている多くの知識人がいる一方で、先のボランティアについての木原様の話の中にあったように、何も語らないおばあさんだけれども、不思議なことにそのおばあさんの周りには、子供達が集まってきて、子供達の心を捉えている。そこには、語らずとも、子供達の心に安心感をもたせる何かが作用しているのであろう。宗教には、この例のように、言葉では表現できないけれども、確かに感じることの出来るものがあって、そのものによって心が結ばれているようなものがありそうだ。禅仏教者であった鈴木大拙は、「学者は宗教を書物の上、制度の上などで読みとらんとするから、宗教生活自体の息吹に触れ得ないのである。それで絶対者の絶対愛という如きものをも、思索の上からあみださんとさえするのである。思索や論理は後からくるものである。先行体験は絶対愛そのものでなくてはならぬ。」と述べている。私達人間の目指すものは、この絶対愛なるものを体得するものであり、宗教とは、私達をこの絶対愛の境地に導くための羅針盤のように思えるのだが。
宗教を定義するのは難しいけれど、一つの比喩として、宗教への目覚めは、新しい大陸を発見することを目的として、スペインを離れたコロンブスの航海に例えることができる。スペインは、私達が日常当り前のように思っている世界であり意識できる世界と言えよう。これに対して、アメリカ大陸は、私達の心の世界には存在しているけれども、普段は全く気付かれない無意識の世界にある。このアメリカ大陸こそ、本物の自分が存在している世界であり、ユングの表現を借りるならばセルフであり、仏教的表現をするならば唯我の世界でもある。そして、スペインを此岸にたとえるならば、新大陸が彼岸と対比できよう。新しい大陸を発見するためには、どうしても、いままで住み慣れたスペインを離れなくてはならない。それは、自我の否定であり、暗黒の海への孤独な旅立ちでもある。孤独な世界で、消えかかった生命力に、ほのかな明りを灯すのは、ただ「信」なる一語につきる。絶対的なものを信じることは、あたかも暗黒の海を航海する人達にとっての羅針盤のように、唯一の心の支えである。宗教とは、新大陸発見のための道しるべなのであり、スペインに留まって、まだ見ぬ大地を論ずるためのものではなかろう。禅仏教者鈴木大拙は、その者「日本的霊性」でこの当りを次のように述べている。
『「あるがままのある」では、草も木もそうである、猫も犬もそうである、山も河もそうである。「ある」が「ある」でないということがあって、それが「あるがまま」に還えるとき、それが本来の「あるがままのある」である。人間の意識はこんな経過を通ることになっているのである。いらざる曲折だ、それは病的だといってのければそれまでであるが、そんな人に対して言挙げるすべがないのである。(中略)この「あるがままのある」に対して、ひとたびそれが強く否定されて「ある」が「ない」であるということにならなくてはいけない。(中略)赤い心が真っ黒になって、天も地もその黒雲に閉ざされて、この身のおきどころがないと言うことにならなくてはいけない。神は正直の頭に宿るだけでは未だしである。その神もその正直心も清明心もことごとく否定せられて、全てがひとたび奈落の底に沈まねばならぬ。そうしてそこから息吹き返しきたるとき、天の岩戸が開けてきて、天地初めて春となるのである。』
三回にわたって議論してきました宗教については、今回をもって終わりにしたいと思います。また機会がありましたら、違う観点から宗教を扱ってみたいと思います。
次回の打ち合せを1994年1月31日(月)とし、「場」をテーマに話し合うことにしました。人間文化研究会の集いも一つの場であるでしょうし、職場も場であるでしょうし、家庭も一つの場であるでしょう。一人散策する旅においても、私達は新しい場を求めて旅立っているようにも思えます。「場」とは何なのか、そして、私達は、場に何を求め、場から何を得ているのでしょうか。その辺のことについて、様々な角度から議論したいと思います。
この一年間、人間文化研究会を適し、数多くの事柄を学び、また体得したように思います。活力溢れる新しいメンバーを迎え、いつもはらはらどきどきしながら、でも心地よい雰囲気の中で討議することが出来ました。本当にお世話になりました。新しい年を迎えるにあたり、皆様の幸せを心よりお祈り申し上げます。また、来年もよろしくお願い致します。
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