- 2015-06-16 (火) 20:05
- 2015年レポート
- 開催日時
- 平成27年5月22日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 「長く生きる」について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 岩崎、大瀧、望月
討議内容
今回は10年ぶりに岩崎(旧姓内田)さんが参加してくれました。子供さんももうすぐ5歳ということで、母として、主婦として、日々頑張っているとのことです。
今回は長く生きるについて議論した。近年、科学技術の波は、医療界にも大きなうねりとなって押し寄せていて、新薬が次々に開発されたり、新たな医療技術が開発されたり、さらには、健康飲料やスポーツといった健康への意識の高まりによって、日本人の寿命はますます長くなってきている。その一方で、長生きすることで、認知症患者の数が増えてきたり、いくつもの病気を抱える人や寝たきりの高齢者が増えてきたりと、必ずしも幸せな長寿社会にはなっていない側面も目立つようになってきている。にもかかわらず、長生きしたいという思いは、いくつになっても変わらない希望であり、そうした希望は、高齢になってくるにしたがって、ますます強くなってくるもののように思える。
長寿社会が必ずしも幸せいっぱいというわけではなく、むしろ、肉体の退化は必然的なものであり、その先には、様々な病や障害が待ち構えているのは確実であるのにもかかわらず、長く生きたいという思いを捨て去る人はほとんどいない。一体この矛盾というか、この欲求は、何に根差しているのであろうか。
肺炎を患い、死ぬかもしれないという恐怖心に襲われた大瀧さんは、その瞬間、あれをやっておけばよかった、あれがやれていなかったと、後悔する思いが心に湧き上がってきたという。その後悔の具体的な事柄については大瀧さん自身答えてはいないが、私自身の体験から、やっておけばよかったという思いの一つには家族への遺書的なものがあるように思う。日航機墜落事故からもうすぐ30年になるが、あの時、犠牲になった人の中で何人かが、家族にあてて機内で遺書を書き残していたが、それは、家族への感謝の気持ち、家族の将来を心配する心といった内容であったように思う。長く生きたいという欲求は、そうした家族との絆、愛、思いやりといったものと係わっているのだろうか。
こうした家族との係わりの他に、自分自身との係わりで、長く生きたいという思いを抱くこともある。それは、自分はこういう人になりたいとか、より精神的に成長していきたいとか、自己実現を果たしたいとかいった欲求と重なり合って、長く生きたいという願望を抱いているということである。生きることの意味を考えたり、世の中の役に立ちたいという思いが自然に生まれてくるというのは、人間に生きている限り何かを達成させようとする生命の見えざる力が働いているからなのかもしれない。
ただ、そうした精神と係わる人間だけに与えられたもの以外に、生物一般に見られる敵から身を守ろうとする本能的な行動がある。それは、生きようとする本能行動であるが、それは、食べ物を食べたいという欲求や、水を飲みたいという欲求と同じように、生命を維持させようとする本能的な欲求である。多分、そこには理屈はないのだろうが、その理屈のない本能的な欲求を人間も抱いていることは確かであろう。
ただ、人間以外の生物は、生きるという欲求を満たしながら、肉体の衰えと共存しながら、自然の摂理の中で死を迎えていくことになるが、人間の場合には、医療技術の発達によって、死までのプロセスが、医療技術に支えられるケースがますます高まってきている。昔なら、自然の摂理の中で、長生きをしたいという思いを抱いていたものが、今は、科学技術に支えられた中で、長生きをしたいという思いが現実のものになってきている。だから、長生きするために、病気を治療しようと、あらゆる技術がつかわれたり、たくさんの薬を飲むことになったりしてきている。さらに、意識もない中で、ただ技術によって生かされているという意識のないまま寝たきりの状態で何年もベッドに横たわる人も多く現われてきている。
寝たきりでいることが、人間にとって決して幸せなことではないであろう。長く生きても、やはり幸せであって長く生きたいと思うのは誰も同じであろう。そうした思いを科学技術は現実のものとして人間社会にもたらしてくれるのだろうか。冷たい風の吹く、温かみの感じられない、機械で囲まれた病院で死を迎えるのは、つらいものがある。モンテニューの書いた「エセー」の中に、死を怖いものにしているのは、枕のまわりに集まる人たちの顔であるという一文があるが、現代社会においては、それが病院の冷たい世界になってくるのかもしれない。
これから、医療技術はますます発展し、高度化したものになっていくことは確実だし、そのことによって、人間の寿命は延びていくことも確かなことのように思える。でも、そうした技術の発展と並行して、幸せに死を迎えることのできる環境づくりもこれからの時代には大切なことのように思える。機械のように、動物のように長く生きるのではなく、人間として長く生きられる環境を作り上げていくことが、これからの人類に課された大きなテーマであるように思える。
次回の討議を平成27年7月24日(金)とした。 以 上
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