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第36回 「仮想な世界と現実な世界」

開催日時
平成7年1月25日(水) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、塚田、鈴木、中瀬、竹内、関、尾崎、鈴木(ヒ)、木内、牧田、武井、曽我部、望月

討議内容

今回新たに3人のメンバーが人間文化研究会に参加して下さいました。牧田様は、福武書店に勤務されており、創造牲は如何に育まれるのか、創造性は計ることができるのか等、創造牲開発に興味を持っていらっしゃいます。趣味はいわな釣りで、春先から黒部の山奥でいわなを釣るのが楽しみとのこと。武井様は、早稲田大学商学部の助教授をされており、マーケティングが御専門です。仕事柄、家にいて研究することが多く、小学生と幼稚園児の二人の男の子の面倒をよくみている良きパパでもあります。趣味は鎧や城を見て歩くことで、歴史が好きとのこと。曽我部様は、広野様と同じダイヤルサービスに勤務されている活発なお嬢様です。イギリスに3年半留学していて、昨年の3月に帰国したそうです。日本の大学では、日本文学、特に北村透谷や国木田独歩といった自殺をした作家についての研究をやっていたそうです。イギリスでは国際政治に関する研究をなさっていたとのこと。様々な経験と、様々な分野でご活躍の三名が、人間文化研究会に新しい風を吹き込んでくれることを期待しています。

今回は、仮想な世界と現実な世界と題して討議した。仮想な世界の一例として、阪神大震災のニュースが取り上げられた。実際に、今回の地震を経験し、災害を被った人達にとっては、阪神大震災は、現実そのものの世界であるが、それらをTVや、新聞などを通して見ている人達にとっては、仮想な世界そのものである。もちろん、その場を経験していない人であっても、肉親や、知人がこの震災の渦の中に巻さ込まれている人達にとっては、また、ある現実な世界として、阪神大震災のニュースは映ってくるのであろうし、同じ人間として、また日本人として、被災者に対する思いやりは、現実なものとなって心を動かしていることも確かである。大地震の可能性のある日本に生活している私達にとっては、阪神大震災は、湾岸戦争を茶の間のTVで見ていたのとは違った感覚で受け取っていたことも確かであろう。阪神大震災のニュースは、私達日本人にとっては、湾岸戦争のように、完全には仮想な世界としては映っていない。しかし、湾岸戦争の時にイギリスで生活していた曽我部さんにとっては、湾岸戦争は、決して対岸の火ではなく、いつ攻撃されるか分からない危機感に陥っていたとのこと。同じ情報の中にいても、かたやイギリスに生活している人にとっては、リアルな世界として湾岸戦争は映っていたのに対し、日本で生活している人にとっては、ドキュメンタリーと映る仮想の世界になってしまうのは一体どこがどう違うのであろうか。

曽我部さんに言わせると、日本人の危機意識は希薄であるとのこと。例えば、ロサンゼルス大地震の時には、アメリカでは、略奪行為を防ぐために、軍隊が急行したとのこと。もちろん、被災者の救済という大きな目的は第一にあったのであろうが、略奪に対する危機意識をほとんど持つことのなかった日本人の意識とはかなり違っている。アメリカ映画の「大地震」の中で、略奪行為や、レイプなどの悪行の光景が、ドラマの一場面として演出されていたが、日本人には、思いもよらない状況なのであろう。

湾岸戦争をドキュエンタリーとして捉えた日本人と、より現実なものとして捉えたイギリス人との違いは、身の安全性に対する認識とかなり係わりを持っているように思える。様々な民族が、同じ国土の中で生活している国の人達にしてみれば、国民の危機管理は勿論のこと、一人一人の個人としての危機管理がかなりできているのではないだろうか。そして、それは、危機に対する意識の強さとして現れているのであろうし、それだけ、日々の生活が、よりリアルなものとして感じられるのかもしれない。

阪神大震災だけに限らず、マスメディアによってもたらされる情報は、実際の場で我々が感じる情報の多くを切り落として伝達されており、その切り落とされた情報のために、現実性をなくしているのであろう。また、切り落とされた情報を、過去の経験によって蓄積している人と、いない人とでは、同じ情報を受けたとしても、感じ方が異なってくる。今回の震災にしても、被災者の気持ちは、戦争を経験している人といない人とでは、ニュースから伝わってくる情報から得る感じ方は異なってこよう。

私達が、本を読んだり、映画を見たりして感激するのは、そこで演出されているドラマの中での心の動きを、経験しているからであり、これらの経験は、隠れた情報として、私達の無意識の世界に記憶されている。先ほど述べた危機管理の国民性に関しても、日本人の危機管理と、アメリカ人や西欧人の危機管理とでは相当異なっているが、その基本には、無意識の世界に記憶されている民族性に負っているところが大きいように思える。特に日本民族は、長い歴史の中で、外敵に対する危機管理と言うものが、他の民族に比較して少なく、安全は、自然に得られるものであるといった錯覚に陥っているところがある。そのため、物事を身の安全と係わって捉えることに乏しく、得られた情報が、心の奥まで浸透しないのかもしれない。

これらのことを考えてくると、現実というのは、何等かな形で、生命と係わっていることであるように思える。喜怒哀楽にしても、その基本は、生命との結び付きが極めて強いのであろうし、危機管理と言うのも、自身の生命を維持しようとする本能的なものと係わっているように思える。日本のような安全な環境の中で生きているのと、日々の命も保証できないような危険な環境の中で生きているのとでは、同じ生きるにしてもその感覚は相当異なってこよう。むしろ、日本という安全地帯では、生きているという実感も掴めず、それこそ仮想な世界の中で生きているようにも思えてくる。

農耕、あるいは狩猟と、日々の生命を維持するための食料を求めて働いていた時代においては、生きていることを、日々の生活の中で強く感じていたのではないだろうか。自身の生命を育む元になるものを、自身の手で作り出しているという実感は、生命そのものを感じていることのように思える。第一次産業から、第二次産業に移るにしたがって、手の動きは、生命維持のものから次第に離れ始め、サービス業の台頭する第三次産業への労働シフトによって、人々は、益々生命を身体で感じることが少なくなってきた。生命から離れてしまった私達は、宇宙の基本を忘れ、喜怒哀楽の乏しいコンピュータ的な人間になって来てしまっているようにも思える。阪神大震災の被災者の一人が、

「この震災によって、近所の人達とより親しく話をするようになった。今までほとんど話などしなかった近所の人達と心を通わすことができるようになった。この震災は、人間関係の希薄化への警鐘だったように思います。」

と語っていたが、この直感は、聞き流すことのできない宇宙の法則を含んでいるように思える。

現実な世界と仮想な世界との一つの違いとして、生命との係わりが上げられたが、物の豊かさは、生命との係わりを益々希薄化させてきた一つの動きであったようにも思える。そして、物の豊かさから、心の豊かさへという動きは、物で満たされた仮想な世界から、命を実感することのできる現実な世界への回帰のように思える。阪神大震災の被災者にみるように、物のない生活の中で、人の心の暖かさをより強く感じているのではないだろうか。大震災を仮想な世界としてみている人達にしても、TVで見る人と人との心の触れ合いの暖かさに、感動の涙を流すのではないだろうか。

今回の議論では、阪神大震災を中心に仮想な世界と現実な世界とを議論したが、我々を取り巻く環境の中には、この二つの世界と係わり合うことが数多くあろう。お金持ちが必ずしも幸福者ではなく、逆に物質的には貧しくとも、心は幸福そのものであるといった人達もいる。コンピュータの中の女の子に恋する若者もいるし、ビデオにのめり込んで、現実と仮想との世界が区別できず、殺人を起こしてしまった若者もいる。また、一方では、自分自身の中に、演技しながら、本当の自分自身を隠して生きている自分の姿を感じている人も多いであろう。何が現実で、何が仮想かの定義は別として、日常生活の中で、何かこの二つの世界が入り乱れていることを無意識に感じているというのが本当のところかも知れない。ということで、次回も「仮想な世界と現実な世界」と言うことで議論したいと思います。

次回の打ち合せを3月13日(月)とした。

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