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第35回 「21世紀の人間社会」

開催日時
平成6年12月1日(木) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
古館、多田、広野、塚田、菅沼、中瀬、竹内、奥田、久能、尾崎、鈴木(ヒ)、木内、望月

討議内容

今回は、21世紀の人間社会と題して討議した。21世紀がどの様な社会になっているかは、家庭環境、職場環境、政治経済、教育、医療、福祉など様々な分野で、それなりに変化があり、予測することが可能であろうが、本研究会においては、その様な環境の中で、人間の心の深層において、どのような変化があるのかを基本に考えてみることにした。そのために、現在が、過去のどのような変化の延長上にあるのかを探る必要があり、先ず始めに過去20年の間に、社会がどのように変化し、それによって、人間のライフスタイルがどのように変ってきたかを探ることから始めた。

過去20年の間に、世の中に現れてきたものとして数多くのものが上げられたが、その中から代表的なものを列記すると、以下のようなものが上げられる。

ワープロ、パソコン、ファクシミリ、携帯電話、プッシュフォン、ポケベル、デジタル時計、CD、テレホンカードに代表される様々なカード類、パチンコの自動化、オートマ車、ワンタッチ傘、リモコンTV、コンビニ、カップヌードル、ポスシステム、自動改札、宅配、ウォークマン、使い捨てカメラ、ビデオ、8ミリビデオ、オートフォーカスカメラ、電子レンジ、乾燥器、全自動洗濯機、食器乾燥器、フレックスタイム、週休2日制、ディズニーランド、Jリーグ、スポーツジム、エアロビクス、浄水器、スポーツ飲料、ジャグジー、ウォシュレット、西洋トイレ、禁煙車、喫煙コーナ、カラオケ、回転寿司、お弁当屋、民営化、大型TV、高品位TV、等々。

以上列挙したものから、過去20年の人間の生み出してきたものが、「自動化」、「利便牲」、「快適牲」、「情報化」、「健康」、「省力化」、「余暇の増大」、「自由」、「スピードアップ」等と係わっていることが分かる。そして、それらの一部のものは、家庭の主婦を家事に係わっていた多くの時間から解放し、女性の社会進出や家庭外での活動を豊かなものにしてきている。21世紀に向けて、これらの傾向は益々増長されるであろう。しかし、これらの新しいものの開発と相まって、社会生活から消えていったものも数多くあり、それらの存続は、人間の精神世界と大きく係わっている。従って、これからの時代は、先に上げたキーワードの方向に進んでは行くであろうが、単純に今あるものから、将来の生活を予測することもできないであろう。例えば、光ファイバーが家庭まで伸び、多くの情報を享受できる環境が出来上がったとしても、新聞が通信技術で置き変わっ
てきたり、本がCD−ROM化され、社会から本がなくなってしまうような予測は、人間の持つ無意識の世界の好みを無視した予測の様に思える。

ムービーとカメラを取り上げても、ムービーの進出が、写真の発展をなくしてはおらず、写真は写真で、その良さが人間の無意識の世界に働きかけている。ムービーは、情報量としては、写真以上であるが、写真の良さには勝てないところがいくつもある。例えば、写真は、額に入れたりして、家の中に飾って楽しむことも出来るし、アルバムなどに整理することによって、見たいと思うときに、機械を介在せず、すぐ見ることも可髄である。確かに写真は、ある動きの一コマではあるが、その静止した光景から、多くの背景を想像することが出来る。人間の得る情報は、単に外部から与えられた情報だけではなく、自身の内から生まれてくる想像的な情報も関与している。この想像できる情報という隠れた情報が、21世紀の社会においては、新しい技術やシステム開発の一般社会への導入において、重要な働きをするように思える。新聞や本の良さは、単に視点が定まるポイントにある情報だけではなく、焦点以外にある情報を体感的に把握出来ているという無意識の効果がある。この無意識の世界に働きかけている情報についての認識が益々求められてくるのかも知れない。

21世紀の社会においては、光ファイバーの家庭への導入や、それに伴うマルチメディア化等によって、世の中には様々な情報が生まれ、かつそれを享受できる環境が整ってこよう。情報量が多くなり、それを受動的に受け取ってしまうと、確かに知識は豊かになるであろうが、それと反して、自身でものを考えたり、創造したりする知恵が育たなくなってしまう危険性がある。マルチメディアという言葉で代表される将来の情報化の動きの中で、あくまでもそれらは、人間の考えるための手段であるという認識を持って情報に接して行くことが重要であろう。知恵の枯渇という危険性を片方で秘めながら、知恵ある者にとっては、自身の創造牲を豊かに表現するための道具として、情報化社会を活用できるという有利さが生まれてこよう。人類はこれまで様々な道具を生み出してきた。農耕用具は、人間の生命体を維持する食糧を生み出すための道具であったし、車や電車の発明は、人間の動物としての動き回る械能を補助するための道具であるし、光ファイバーとマルチメディア端末という技術は、人類の歩みの中で、知恵を発揮するための道具となるように思える。21世紀は、人類の社会の中に、人間的な道具を提供する時代であると考えられる。

情報が様々な形で与えられてくると、湾岸戦争に見られるように、実際に戦争が行われているという事実があっても、その状況を情報として受け取っている側では、仮想現実(バーチャルリアリティ)として係わってくるようなことが益々多くなってこよう。通信技術を使って、視覚情報や聴覚情報を現実に限りなく近い情報として送り、その受け手が、あたかもその場の中に身を置いているかのような状況を生み出すバーチャルリアリティの技術開発が行われているが、このような形で多くの情報が生み出されるにつれ、我々の生活は、益々バーチャルな世界の中に入って行くように思える。元々、情報というものはそれ自体我々にバーチャルな世界を演出しているのかも知れない。そして、この議論を進めて行くと、言葉の存在自体が我々にバーチャルな世界を提供しているように思える。例えば、「社会」という言葉によって、私達はあるイメージを持つが、社会というもの自体が、物のように厳然と空間に存在しているのではなく、社会という言葉によって、そのものがあたかも存在するかのようなバーチャルな世界を私達は創り出しているのではないだろうか。

生と死ということに関しても、死という現実に我々が直接接する機会は昔より少なくなり、言葉による概念だけが一人歩きを始めているように思える。あるいは、死ということはだれしも経験できていないと言ったほうがより正確かも知れない。経験できていないことに言葉が与えられ、それがバーチャルな死の世界を作り上げているとは考えられないであろうか。同じことは、若者達が悩む結婚問題にしても、子供を持つことに対する不安にしても言えよう。昔は、それを実際に体験してみて初めて結婚生活も、子供を生むことの善し悪しも体得していたのであるが、それらに関する情報が氾濫してくると、情報だけによって、まだ体験しないバーチャルな世界を現実な世界として捉えてしまうことが起きてくる。

以上のように考えてくると、多くの情報が行き交う21世紀の社会は、人類をしてバーチャルリアリティの世界に導いているようにも思える。そして、その反動として、よりリアリティのあるものを求めようとする動きが21世紀の社会をもう一方で支配してくるのではないだろうか。Jリーグに対する熱狂的な観戦や、ライブに集まる若者達の指向性は、バーチャルな世界から、より現実な世界へ引き戻そうとする宇宙の見えざる力のように思える。物質的に満たされながらも心の豊かさを求めきれていない現代を生きる人々の心の深層には、バーチャルな世界から抜け出し、自身が納得できるリアルな世界を求める心の動きがあるのではないだろうか。

議論の中では、自民党や社会党の政策の変化を見ると、各党派が掲げる理念も、ひょっとしたらバーチャルなのかも知れないということ、自分自身としては体験していないことであっても、小説を読んで感激し、涙を流すことがあるが、これなどはバーチャルなのかリアルなのか、環境が変わっても変化しないものがリアルなものではないだろうか等、バーチャルとリアルに関して様々な意見が出された。そこで、次回のテーマとして、「仮想な世界と現実の世界」ということにしたいと思います。

次回の打ち合せを新年会も兼ね、1995年1月25日(水)とした。

皆様のお陰を持ちまして、この研究会も35回を迎えることが出来ました。この一年を振り返ってみますと、「場」、「遊び」、「牲」、「自由」、「言葉」そして「21世紀の人間社会」と様々なテーマについて話し合ってきました。この研究会を通して、それぞれの方が、それぞれの形で、新しい自分に接したのではないでしょうか。皆様のご健康と、新しい年が、皆様にとって益々良い年になりますことを祈りつつ、今年の研究会報を閉じたいと思います。一年間本当に有難うございました。

配布資料

  • 宮沢賢治の食思想と気(鎌田東二)他 (中瀬)
      以上

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ピンバック from 人間文化研究会 - 第138回 「二十年後の人間社会ついて」 11-04-06 (水) 0:19

[…] 、人間文化研究会で、「21世紀の人間社会」をテーマに議論したことがある(1995年12月・第35回)。ちょうど、今から15年ほど前のこと。そこでは、過去20年の間に新た […]

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