- 2006-09-15 (金) 21:55
- 2006年レポート
- 開催日時
- 平成18年9月6日(水) 14:00〜17:00
- 討議テーマ
- 倫理
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 塚田、下山、木下、望月
討議内容
今回、木下さんが新たに参加してくれました。木下さんは、ある企業の研究所に勤務されているまだ20代のお嬢様で、旅行やゲームが趣味とのこと。若い感性で、新たな息吹を吹き込んでくれることを期待しています。
今回は「倫理」と題して議論した。新聞記事や、TVのニュースで頻繁に目にし耳にするのが、倫理問題である。企業倫理、情報倫理、生命倫理と、倫理という言葉が最近富に目立ってきている。倫理とは一体何なのか、そして、どうして近年になって、倫理問題がクローズアップされてきているのか、その辺のところを議論してみた。
二昔ほど前までは、人に迷惑をかけるな、人を殺したり傷つけたりしてはいけないといった倫理的な事柄は、理屈なく悪いことは悪いとして教育の分野においても、家庭の躾においても、語られてきたことである。ところが、近年、こうした事柄に関して、理屈で考え、語られるようになってきた。なぜ人を殺すのが悪いのか、なぜ命が大切なのか、といったように、元々倫理として理屈ぬきであったものが、理屈で考えられるようになってきた。そこには、日本の社会が、曖昧としたものを許さない、論理的というか、デジタル的な社会になってきたことの現われがあるように思える。
確かに、私たちを取り巻く社会は、いつの間にか、インターネット、携帯電話といった通信機器はもちろんのこと、医療の分野においても、日常の生活においても、科学技術によって支えられてくるようになってきた。それは、科学の論理性を基盤として生み出されたものであるが、そうしたものが、自然に私達の心の世界をも支配し、いつしか私達の心の中にある曖昧さの部分を押しつぶし、論理的に物事を考える社会を作り上げてきてしまったように思う。そして、そうした人間の論理が作り出した社会が、新たな社会環境として、企業倫理や、情報倫理、生命倫理といった新たな倫理を生み出してきている一因でもあろう。
たとえば、企業の倫理の問題にしても、一昔、二昔前頃までは、多くの企業が、世のため、人のためとして、人々の生活をより豊かなものにしようと努力してきたし、それは、企業で働く人たちの暗黙の使命のようなものであった。ところが、社会のインフラといわれる部分が確立し、競争社会が浮き立ってくるにしたがって、企業は、初期の大義を忘れ、いつしか、利益のみを追求する企業へと変貌してきてしまった。そして、世のため、人のためというよりも、いかに商品を売り込もう、買わせようとする、利益優先の企業体質が出来上がってきてしまった。
また、新たな科学技術によって、医療の世界にも大きな波が押し寄せてきている。臓器移植、遺伝子組み替えや遺伝子治療、体外受精やES細胞などなど、今までは、自然の営みとして人知の関与できない分野まで、人間の力で変えようとする時代になってきた。そこでは、捏造問題に代表されるように、世のため、人のためというよりも、名声をはせたり、地位や富を得るための研究競争が行われていて、そうした人間のエゴに染まったものが、人間社会の中にはびこるようになってきた。そうした社会的な背景が、倫理問題をクローズアップさせてきているのではないだろうか。
昔なら、自然を科学し、自然の中に秘められた規則性を発見し、それらを技術として活用することに、人間の倫理がそれほど強烈にかかわることはなかった。それは、ある意味、そうした営みが、人間の抱く好奇心や夢といったものに純粋に支えられた営みであったからであろう。ところが、近年の科学や、それを基盤とした科学技術には、どこかしら、名声や富と係わった人間のエゴが見え隠れし、そのことが、一人ひとりの心のうちに抱く倫理感に触れ、反旗を振りかえしてきているのではないだろうか。
倫理とは、悪いことをしてはいけない教えという一言に尽きるのであろうが、それをもう少し細かく見ていくと、嘘をついてはいけない、盗みをしてはいけない、人を傷つけてはいけないといった、誰しもはっきりとその悪を理解できるものの他に、先に見たように、エゴで行動することを暗黙の内に非とする何かが秘められているように思える。そして、そうしたことをさらに突き詰めていくと、人間の心の奥の奥に、人間をある方向に向かわせようとする志向性があって、それにそむくことが倫理問題として浮かび上がってきていることが分かる。すなわち、倫理とは、人間の心の中に宿っている人間を精神的な進化に導くための力であると言えるのではないだろうか。
科学が、生命の世界に入ってきている現代社会の中にあって、ES細胞の研究や、クローン技術に対する抵抗が新たな倫理問題として浮かび上がってきているが、そうしたものの良し悪しを判断している源には、人間をより高い精神世界に導こうとする宇宙の秘められた力を人間自身が感じ取っていることがあるからなのではないだろうか。そういう意味で、倫理とは、人間をより崇高なる精神世界に導くための指南としての力であると言えるのではないだろうか。
次回の討議を平成18年12月1日(金)とした。 以 上
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