- 2005-04-09 (土) 23:00
- 2003年レポート
- 開催日時
- 平成15年5月30日(火) 14:00〜17:00
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 塚田、鈴木(智)、山崎、下山、内田、松本、吉野、徳留、板倉、田中(す)、加賀山、望月
討議内容
今回新たに二名の方が参加してくれました。田中さんは、長年勤められた銀行を50歳を機に辞められ、現在は、循環共生社会システム研究所というNPOで働いていらっしゃいます。研究所のある京都市と、お住まいの埼玉県岡部町との間を行き来する生活だそうです。加賀山さんは、KDDそしてドイツテレコムと通信会社で勤められた後、40歳を機に、サラリーマン生活を終わりにして、現在は、翻訳作家として活躍されています。すでに翻訳して出版された本が10冊以上となっているとのこと。50歳、40歳という人生の節目を機に転職され、新たな人生を歩み始めたお二人が、新たな視点から議論に参加されることを期待しています。
今回は、「豊かさ」と題して議論した。豊かさという言葉によって浮かび上がってくることは、物の豊かさ、心の豊かさである。戦後の復興から這い上がり、物質的豊かさをひたすら求めて走り続けてきた日本人にとって、バブル崩壊前頃から、物の豊かさから、心の豊かさというという変化が言葉となって生まれてきた。物の豊かさの中に幸せがあるとして、ひたすら物の豊かさだけを追い求めてきた日本人にとって、物だけでは満たすことのできない何かがあることに気付いてきた。その何かが、心の豊かさを求める動きとなって表面化してきた。しかし、心の豊かさとは一体どのようなものなのだろうか。
心の豊かさと深くかかわってくるものに、喜びであるとか、幸せであるとかいったものがある。確かに、喜びの心は、どこかで心の豊かさと係わってくるであろうし、幸せ感を抱いている時には、心の豊かさを感じ取っているといえるであろう。それでは、喜びの心は一体どこから生まれてくるのであろうか。ある人の一言が、得もいえぬ喜びを運んできてくれることがある。人にほめられたり、愛を告白されたり、心の奥深くで共鳴できる言葉に出会ったりしたとき、人は喜びに満たされる。それは、和顔愛語という言葉によって表現されているように、言葉にこめられた愛でもある。その愛のメッセージによって人は、心喜ぶことができる。そこには、言葉によって運ばれてくる心の豊かさがある。言葉によって、一人一人の中に込められた愛の心に火が灯される。確かに、愛と心の豊かさとの間には、深い係わりがあるようだ。愛に満ちている世界には、豊かさがある。人を思いやり、人の心に温かな言葉を投げかけあうその場には、心の豊かさが広がっているといえよう。お金だけでは得られない心の豊かさがそこにはある。
人との係わりによって生まれてくる心の豊かさの他に、時間に束縛されない世界に心の豊かさを感じる時がある。長い間サラリーマン生活をしていた人が、定年退職した時に先ず感じるのが、時間の束縛からの解放であり、そこには得も言えぬ心の豊かさがあるという。時間に追われない心の余裕は、心の豊かさに通じるものがある。確かに、私達は、のんびり、ゆったりしている時に、豊かな世界が広がっていることを感じる。そして、そのゆったりとした余裕があるとき、人は、他人のことを思いやることができる。そこからは愛にも似た心が生まれてくる。
物の豊かさが与えてくれるものの一つに利便性があるが、逆に、その利便性によって、私達は、心の余裕を失ってきてしまったようにも思える。確かに、インターネットや携帯電話の普及は、私達にいつでもどこからでも人と語り合い、情報を手に入れることのできる利便性を与えてくれた。しかし、その陰で、私達は、氾濫する情報や次々に生まれてくる人との係わりによって、心の余裕を失ってきてもいる。一人きりになって、自分の心の奥深くにいるもう一人の自分と語り合う環境を失ってきてもいる。全てが華々しく変化する外の世界に気が奪われ、自分自身の内面を見る機会を失ってきてしまっているように思える。それは、仕事においても同じで、インターネットやコンピュータ、携帯電話の発達によって、システム的には利便性が高まってはいるのに、その利便性によって、私達の仕事のスピードは益々速まってきていて、益々忙しくなってきている。そこでは、余裕という時間が奪われてきてしまったように思える。その余裕のなさが、心を貧しくし、人と人との間の心温まるコミュニケーションを奪い取り、一人一人の心の中から人を思いやる心の余裕を奪い取ってきているように思える。そのことによって、心身症の増加、ストレスの増加、自閉症者の増加、躁鬱病の増加といった心の病が増えているのではないだろうか。心の豊かさは、心の余裕と深くかかわっているようだ。
心の豊かさを与える一つの要因に、不安からの解放があるという。生活への不安、生きることへの不安、病気に対する不安、老いることへの不安、結婚生活への不安、将来への不安といった不安は、心の豊かさを奪っていく。そういった不安からの解消は、心の豊かさを生み出す基本にありそうだ。サラリーマン生活を終え、NPOに力を注いでいる田中さんは、最近になってこの不安からの解消が、自身の心の豊かさの基盤になっているという。リストラによる雇用不安、年金への不安、混沌とした社会への不安など、現在社会が抱えている不安が、人々の心から、豊かさを奪っているように思える。その一方で、人は、一人一人心を豊かにするすべを自身で開発してもいる。音楽、絵、写真、スポーツなど様々な趣味に心の豊かさを垣間見る場を見つけている人たちも多くいる。
豊かさの一つに、自由に何でもできることというのがある。仕事にしても、これしかないとして、その限られた中で仕事をしなければならない社会環境よりも、仕事の種類が豊富で、自分の意志で自由に仕事が選べる社会環境のほうが、豊かな環境といえるであろう。ただ、そういった社会環境が与えられたとしても、自身の心の中に、本当に自分のやりたいものが確立していなかったならば、それは、豊かな心とはいえないであろう。逆に、始めは仕事の種類が少なくて、いやいやながらでも入っていった仕事の中で、その仕事に真剣に係わっているうちに、自分だけの楽しみを見つけ出し、そこに生きがいを見つけられるならば、そこには豊かな心が開花する。このことは、豊かさが、与えられた物やシステムといった社会環境にあるのではなく、その環境の中で生きていく人ひとりひとりの心の中から生まれてくるものであることを物語っている。
豊かさとのかかわりで現れてきた時間の束縛からの解放、不安からの解放、他者との共感、自由、といったキーワードは、その根底に共通したものが秘められているように思える。それは、自分自身の無意識の世界に秘められたもう一人の自分を意識の世界に解放させてあげると言うことではなかろうか。もう一人の自分は、悠久な世界にあり続ける自分でもある。普段私達は、日常の刹那刹那で起こることに心が忙しく動いていて、この悠久な世界にいる自分自身を見つめることをほとんどしていない。豊かさとは、この悠久にあり続けている自分自身と共に生きていることではなかろうか。創造性、時間を忘れた世界、自由、共感、こういったものは、この悠久な世界にあり続けている自分と深くかかわっている。
物や環境に左右された豊かさは、その環境が変化してしまえば消えてなくなっていくものである。しかし、自分自身の中にあり続けている悠久な自己に気付き、その自己の意志にしたがって生きている時、人は終わりのない豊かさを感じることができるのではないだろうか。そういう意味で、豊かさとは、自身の無意識の中にあるもう一人の自分に気付き、その自分と共に生きていくことの中にあるように思える。
次回の打ち合わせを平成15年7月28日(月)とした。
以 上