- 2016-12-02 (金) 1:17
- 2016年レポート
- 開催日時
- 平成28年11月25日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 「生命」について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 下山、大瀧、望月、メール参加(大瀧(千))
討議内容
今回は生命について議論した。普段生命ということに関して、なんとなく感じ取り、分かっているような気がしているものだが、改めて生命について考えてみると、なんとも表現できないものが漂っていることがわかってくる。
生命とは何か、直感的に感じていることを表現してもらうと、生命とはあり続けている何かであって、その生命が肉体とかかわるとき、それは命として捉えられるものとか、自分で生きていける源のものとか、軟体動物によくみられるように、切り刻んでも、また細胞がまとまって再生してくる、そうした力を与えているものとか、様々な意見が出された。
こうした直観からくる生命に対する思いは、科学の世界では、生命を持つ生命体の定義として、自己組織化する能力を持つものであるとか、自己増殖作用を持つものであるとか、代謝能力を持つものとか、いくつか定義されている。でも、そうした定義を並べてみたところで、生命そのものをとらえているようには思えない。
科学の世界では、生命とかかわる営みの中で、多くのことが解明されてきた一方で、これほど発達してきた科学でさえも、まだ解明できていないことが多い。生命科学といわれる分野で、当たり前のように議論されているDNAにしても、その働きのメカニズムは解明されても、そうしたDNAによって形作られる遺伝子が、なぜそれぞれ異なった機能を発揮しているのか、卵子と精子とが結びつくことによって卵細胞の細胞分裂は始まるが、何がそうさせているのかといった問題に関しては、まだ解明できてはいない。でも、そのことが解明できなくても、遺伝子治療や、iPS細胞のように、実用化に向けて医療技術は発展してきている。
同じことが、素粒子の世界でも起きている。素粒子や原子分子の世界を扱う量子力学は、究極のところでいくつもの謎を抱えているが、そうした謎を解明できなくても、現代社会に多くの電子機器を送り出してきている。
宇宙に目を向けると、そこにもこれまでの科学では解明できない謎がいくつも横たわっている。そうした謎の現象を理解しようと、目に見えないものの存在を仮定せざるを得なくなってきていて、それをダークマターであるとか、ダークエネルギーといったもので置き換えてきている。さらに、宇宙開発の一つの目標のなかにも、地球上での生命体の誕生を解明しようと、地球外での生命体の存在をとらえようとする研究が行われている。
でも、果たして生命とは、科学が探求しようとしているものなのだろうか。われわれは、科学の台頭する時代の中で、知らず知らずのうちに、科学的思考によって物事を考え理解しようとする偏見の中に陥ってきてしまっているのではないだろうか。科学のなかった時代、人は、様々な不思議な現象に直面し、神や悪魔という目に見えない存在を作り上げ、そうしたものによってこの世が動かされていることを感じていた。目に見えないものではあるけれども、目に見えるものの動きや振る舞いを根底で支えている何かがあることを直観で感じていたのであろう。
でも、今の時代、目に見えないものを直観で感じることよりも、理屈で考えようとする偏見の渦に巻き込まれているのかもしれない。そうした直観を鈍らせ、科学的思考が絶対であるといった、ある意味科学的マインドコントロールの中に陥ってしまっているようにも思える。たぶん、この傾向は、女性よりも男性の方が強いのであろう。
メールで意見を送ってくれた大瀧さんは、現代社会は、生命の力が欠如してきているように感じているという。自然とのかかわり、人とのかかわりの中で、なんとなく生命力が弱くなってきていることを直観しているらしい。そこで、科学的な生命観から離れて、自分がいま生きている、そのことこそ、そこに生命が存在しているのであるということを実感してもらうために、参加者一人一人に、生きていることを強烈に感じたことや時を話してもらうことにした。
開口一番、下山さんは、普段一人暮らしなので、そうした実感を感じたことがないという。ただ、先日、一緒に暮らしている猫が、下山さんの鼻をなめてきたので、そのまま、猫がなすままに時の流れを忘れて過ごしたことがあるが、今振り返ってみると、あの無駄に思える時間が、なんだか生きていることの喜びのようなものを感じさせてくれたと述懐している。
誰もが体験することであろうが、人を愛し、愛されることによって心がときめいたり、人に親切なことをしてあげて、心が熱いもので一杯になったことなど、そうした時は、生きていることを実感している時なのではないだろうか。そして、その時こそ、生命そのものが活発に働いている時なのではないだろうか。
こうしたことを考えてくると、生命とは人と人とのかかわり、人と動物とのかかわり、人と自然との係わりの中で、互いをめで、愛することこそが生命そのもののように思えてくる。メールで意見を送ってくれた大瀧さんの現代社会は生命が欠如しているという思いは、便利さやスピードを求める社会の中で、人や自然への思いやりといった愛が欠如してきていることを直観的に感じ取っていることから生まれてきた思いなのではないだろうか。ただ、相手を思いやり、調和する世界を人は愛として感じているが、その力は、人だけにとどまらず、アリや蜂の世界に見られる種社会の営み、さらには宇宙の営みすべてを貫いているように思える。そして、こうした力こそ、科学ではとらえることのできない生命なのではないだろうか。
次回の討議を平成29年1月20日(金)とした。 以 上
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