- 2014-11-03 (月) 10:35
- 2014年レポート
- 開催日時
- 平成26年9月26日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 「美しさ」について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 下山、望月
討議内容
今回は、「美しさ」と題して議論した。美しさとは一体どんなことなのだろうか。美しさという言葉の響きの中には、単なる美以上のものがある。
美は、形態的であれ、色彩的であれ、何か美を形作る論理性に富んだものがあるのに対して、美しさには、そうした論理性をオブラートに包んだ感性的なものが秘められているように思える。形態的な美には、たとえば黄金分割であるとか、対称性であるとか、ある規則的なものが根底に横たわっているのに対して、美しさという言葉の響きには、そうした規則的な美を非論理的なもので包み込んでいる何かがある。美人コンテストで選ばれる人には、容姿の美形の他に、表情、しぐさ、言葉遣いといった内面と係わる美しさがある。それは魅力とも深いかかわりを持っている。
下山さんは、以前バラの花を写真に撮ろうとして苦労したことがあるという。それは、単にバラの花を遠目で見ているときには、一本一本のバラの花に大差はなく、どの花も美しいと思えるのだが、写真に撮ろうとして、何本ものバラの花の中から一番いいバラの花を選ぼうとした時、心の底から満足できる美しい花を見つけ出すことができなかったという。それは、どのバラの花も、自分の心の中で描いている理想的なバラの花の姿をしていなかったからだ。この体験が物語っていることは、人間は理想とする美的な感覚をすでに心の中に持ち合わせているということかもしれない。
数学の定理や公理、さらには数式もそのものも、ある美しさを秘めているが、数学者のアダマールは、数学者が発見する数学の定理や数式が一体どこから生まれてくるのかを調査分析している。それによると、どうやら数学の定理や数式になる基本的なイメージは、もともと人間の心の底、無意識の世界に秘められているらしい。その秘められていたイメージが、ある時数学者の意識の上にのぼってきて、それが発見としてとらえられるのだと。アダマールは、同じ分析の中で、音楽家の閃きについても言及しているが、モーツワルトが作曲するとき、その楽曲は突然のごとく閃いて、その閃きが、部分的な楽曲の閃きではなく、楽曲全てを一瞬のうちに描き切っていたという。こうしたことを考えると、数式にしても、音楽にしても、あるいは絵画しても、人間が美しいと感じる基本的なイメージというか、原型というものは、すでに人間の心の底に秘められているのではないかと思えてくる。
物理学者が導き出すいくつもの法則にも、上で述べた芸術と係わる美しさが横たわっているらしい。物理学の世界で美しいといわれている概念に対称性がある。左右対称や点対称など、いくつかの対称性があるが、その対称性が数式によって描かれるとき、物理現象をうまく表現できるらしい。近年の素粒子理論は、この対称性が基本にあって生み出されたものだという。こうしたことを考えると、物理現象にしても、芸術の世界にしても、さらには、人の美しさを判断する基準にしても、その基準になるイメージの原型は、もともと人間の心の中に秘められているものであることがうすうすわかってくる。
では、こうした美しさの基準は、人間以外の生物にもあるのだろうか。クジャクの羽根の美しさをクジャク自身感じているのだろうか。それとも、クジャクの羽根を美しく感じるのは、人間だけなのだろうか。その真偽は分からないが、美しさというのは、概念的なことであるから、概念の世界を持つ人間だけにあるのではないかと思える。オスのクジャクの羽根の美しさにメスのクジャクがひきつけられるのは、美しさという概念からではなく、ある餌の臭いを嗅いだら唾液が出てくるのと同じように、視覚の刺激が直接性的欲求に働きかけるような反射作用に基づいているように思える。ただ、それが反射神経的ではあっても、そこには、人間が感じ取る美しさのイメージの原型と共鳴する、あるいは一致するものが全ての生物の内面に秘められているからなのだとも考えられる。
素粒子の振る舞いが、美しいと考えられる数式によって記述されるということは、素粒子のふるまいそのものが人間の抱く美しさの概念と一致していることを意味している。このことは、素粒子から生物一般、そして人間に至るまで、その根底に人間が美しいと感じる根源的なものが一貫して貫かれていることを物語っているように思える。そして、その美しさを醸し出しているものは、調和という概念に収束されるように思える。
宇宙物理学者が、宇宙の秘密を解き明かしていけばいくほど、この宇宙があまりにも調和のとれた状態にあるらしい。自然の姿に美しさを感じるのも、そこには調和した世界が表出されているからではないだろうか。鶴が大空をはばたく姿は美しいし、クモの巣にしても、ハチの巣にしても、美しさで満ちている。それを人は本能と表現しているが、本能の源もひょっとしたら美しさを生み出す根源的なものから生まれてきているのではないだろうか。花の美しさが生きる力を与えてくれるように、そして優しい笑顔が活力を与えてくれるように、美しさは生命と深く係わった根源的なものに根ざしているように思える。
次回の討議を平成26年11月28日(金)とした。 以 上
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