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第4回 「神道」

開催日時
平成3年3月15日(金) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、佐藤、望月

討議内容

今回は、日本人の考え方や、日本文化の根底をなしている神道のルーツについて、多田さんの資料を基に検討した。

日本人の心に、神を敬う心が現れ始めたのがいつかは定かではない。神というものの存在を信じることがひょっとしたら、人間と他の動物とを区別することなのかも知れない。しかし、何れにしても、原始時代の日本人の神に対する畏敬の念は、縄文時代にみられるように、狩猟的な生活の中で芽生えたものであろう。そして、その原型は、明治時代にはいるまで、狩猟生活を主としてきたアイヌの人達の生活の中に流れる宗教性にみることが出来る。イヨマンテの儀式は、アイヌの人達の生活を支える熊の霊をあの世に送り、また自分達の生活に熊を蘇らせることを祈る儀式でもある。そこには、永遠のリサイクルの存在がある。

日本人が、狩猟的な宗教性から農耕的な宗教性に移行してきたのは、農耕が生活を支える基盤になった弥生時代であろう。そこでは、稲の一周期を持って一年とする考え方が生まれてきた。ちなみに、年という言葉は、稲の古語であるとか。そして、生活を支える稲の豊作を祈って、様々な儀式が行われてきた。それと同時に、日常生活の最小単位としてのムラという集団概念が生まれ、ムラを守ってくれる氏神が誕生した。氏神は、人の喜びを喜びとし、人を罰することを知らない寛容な神である。人々が願うことを叶えてくれる神でもあった。願いを叶える神であるということから、我々の日常生活に於いても、いまなお様々な習俗として、日本の神は生き続けている。しかし、このムラという概念は、ムラの内だけは清く、幸福の神が宿り、汚れた物や悪神は外の世界に掃き出してしまうという考え方が生まれるようになった。この考え方は、節分の時に言う、「鬼は外、福は内」の文句によく現れている。そして、こういう価値観は、現在の日本人の心の奥にも生き続けていて、自分の所だけは清くということで廃物をどんどん捨ててしまう地球環境の問題の一つとなってクローズアップされてきている。

多田さんは、神道は水を基本となし、日本列島と神々が水から生まれたとする(1)産霊、水があらゆる邪悪なものを洗い流し清めるという(2)祓い、そして、草木が古い葉を落として芽を吹くように、あらゆる物が新しく生まれ変わり、その生命は永遠に維持されるという(3)甦りの三つの根本思想によって体系付けられると説く。これらの生命感は、日本人の生活環境に依存するところ大である。

先ほど述べた日本人の習俗に入り込んだ神道の影響については、古館さんから数多くの事例をまとめた資料を提供してしていただいた。

なお、日本人の心に今もなお生き続ける神道の影響について検討することを目的に、日常生活の中での様々な習俗、習慣について神道との係わりの観点から次回検討することにした。

今回から、新たなメンバーとして、(株)住友生命総合研究所・副主任研究員の霧島さんを迎えることになりました。霧島さんは、元々サントリー(株)に勤務されていた方で、ご自身の昔からやりたかったマクロ経済についての研究に取り組んでおられます。人間の不易性について、経済という側面から検討することも面白いでしょう。期待しています。

次回は4月25日(木)に開催の予定とした。尚、1泊2日の合宿(於関西)を5月17日(金)〜18日(土)の予定で計画中です。

配布資料

  • 日本人と日本文化の変容(追加資料)
  • 神道(仏教)と日本の習俗

追記

懇親会で出た話ですが、人間の不易牲を検討するために、過去だけを見つめるのではなく、2100年の人間社会を予測し、現代社会の中では当り前になっている生活習慣で、その時代にはなくなっているかもしれないもの、あるいは残っているものについて考えてみるのも一つの方法かも知れないという提案がありました。この提案については、今後取り入れて行きたいと思います。

また、これは義務ではないのですが、各メンバーに人間の不易性に関するるテーマをそれぞれ持っていただいて、それらの研究結果を検討することもこれから手掛けていけたらと考えています。この辺のことについてはまた検討していただこうと思います。また、日頃人間の不易性等で感じていること、思い付いたことなどがありましたら、何でも結構ですから、資料として配布していただければ幸いです。宜しくお願い致します。

以上

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