- 2005-04-08 (金) 0:51
- 1991年レポート
- 開催日時
- 平成3年4月25日(木) 14:00〜17:00
- 開催場所
- サントリー(株)東京支社
- 参加者
- 古館、多田、霧島、山下、望月
討議内容
今回は、科学技術の発展で、我々が得たもの失ったものについて考えてみた。科学技術のもたらしたものは、日常生活に使用しているものから、ビジネスの世界で使用しているものまで数多くあるが、その中の代表的なものの一つとして、電話を取りあげて考えてみた。
科学技術のもたらした電話の発達により、我々は日常生活の中で、手紙を通信の手段として用いることが少なくなった。電話と手紙という二つのものは、科学技術の成果と、それによって我々が何かを失ってきていることを考える上でよい題材となる。電話の発明は、空間を越えて、地球のあらゆるところから、遠く離れた人と、ほとんど即時的に会話を行うことができるようになった。科学技術のもたらしたものは、人間の欲求、この場合には、話したいという欲求を、即時に充足できるような状況を生み出したと言えよう。
これに対し、手紙の場合には、配達されるまでには時間がかかることは勿論であるが、同じ内容を表現するにしても、電話以上に時間を費やし、色々のことを考えながら書くという、一つの儀式にも似たことが行われている。手紙に使う紙質を考えたり、使用するペンの種類を気にしたり、字質を気にしたり、言い回しに神経を集中させたりしている。ほんのわずかな言葉の中に、書き手の思いが何等かな形で表現されているのである。受け取る方にしても、書き手が意識的あるいは無意識的に表現した内容を感じ取り、創造をたくましくして、書き手の気持ちを推し量るのである。そこには、書かれた内容以上の何かが表現されている。
これらのことを考えると、科学技術のもたらしたものの一つには、人間の表面的な欲求を即時に充足する役割がある陰で、ゆったりと物思いにふけり、創造性を豊かにする時間的な余裕を奪ってしまったように思える。
これは国民性によるのかも知れないが、リゾート地に旅行する日本人は、アメリカ人が、美しい自然の環境の元でゆったりと時を過ごしているのとは対象的に、何かをしたり、何かを見たりしていないと気が休まらないらしく、動き回っている。心を解放して、のんびりと、ある空間の中に身を横たえていることがなかなかできないようだ。これは、日本の気候と風土とに関係してくるのかも知れない。はっきりとした四季があり、田植の時期も梅雨時に限られているし、とにかく自然の与えた季節の変化が、それだけ時間を肌で感じることになって、我々日本人の無意識の世界にプリントされてきてしまっているのかも知れない。
しかし、そうした考え方の一方で、日本伝統の茶道や禅等(しかし、これらも元々は、中国や韓国から入ってきたものであるのであろうが)は、人間の心の世界を無限の時間の中で表出しているものである。これは、日本人の心の中には、元々、時間を意識して、常に何かをしていなければ気が済まないといった、余裕のなさは見られない。また、約250年ほど続いた徳川時代にしても、鎖国を長い間続ける日本人の精神には、今よりずっと心の内面に価値を見いだそうとする余裕があったのではないだろうか。従って、日本人が、心に余裕をなくしてしまったのは、明治維新以降のことなのかも知れない。それが、ただ科学技術のもたらしたものとの引き換えであるのか、あるいは、もっと違った価値観からきているかは定かではない。
技術は、夜でも昼のごとく明るい環境をもたらした。あんどんの光の中で見ていた浮世絵には、あんどんの光のゆらぎが生み出す陰影によって、描かれた男女の営みに生命が宿り、動きが現れていたといわれている。歌舞伎にしても、昔は、橋の下のような暗いところで演じられていたために、演者の表情をはっきりさせるために化粧を濃くしたと言われている。これらの状況の中で生み出された芸術的なものが、ここでは例えば電気という科学技術のもたらしたものによって損なわれてしまっていることは十分に考えられる。
不易とは、人間の感銘する心であり、それを表現する芸術の形は、時代時代によって異なって行くのかも知れない。
正月のすがすがしい気分も、一昔前とはだいぶ変わってきているようだ。ものに溢れている現在、昔のように、正月には良い服を者、心も晴やかに新しい年を迎えると言う儀式にも似た気持ちがなかなか沸き上がってこないようだ。
これらのことを考えると、科学技術のもたらした利便性は、人間から、儀式を切り落とし、すべて簡略化に向かう状況を生み出したようだ。儀式は、それ自体決して物として表現することができないために、省いても余り問題にはならないと感じるのであろう。しかし、儀式こそ、人間の心を生み出すものであり、心の豊かさを求める心の底には、儀式的心の余裕を取り戻そうとする見えざる力が働いているのかも知れない。
次回の打ち合せは、5月31日(金)〜6月1日(土)の二日問、1泊2日の予定で、大津市で開催することにした。主たるテーマとして、今回おこなった、「科学技術によって得たもの失った物はなにか」、「2050年に立って、その時代になお残るもの、失っているもの、また、平成時代で歴史に残るものは何か」などを考えています。これ以外に、各自関心のあるテーマを提供していただけたらと思っています。
尚、次回開催の会場、集合時間、日程等については追って連絡致します。
以上
- 新しい記事: 第6回 「2050年からみた平成時代」
- 古い記事: 第4回 「神道」