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1991年レポート

第11回 「道具と変化」

開催日時
平成3年12月12日(木) 11:00〜18:00
開催場所
国立民族学博物館、大阪ガス エネルギー・文化研究所(CEL)、サントリー不易流行研究所
参加者
古館、多田、相田、佐藤、望月、赤川(不易流行研究所)、隅野(CEL)

討議内容

今回は、久しぶりの大阪会合であったために、古館さん、佐藤さんのお世話により、国立民族学博物館、CEL、不易流行研究所の見学、及び、見学後の感想などについて意見交換を行った。

国立民族学博物館では、情報管理施設の宇野専門員、宇治谷文部技官による説明及び館内案内を受けた。普段の見学ではなかなか見られない、博物館の裏舞台をじっくりと見学することが出来た。館内のほとんどのスペースが、世界の各地から集められた、道具、衣装、祭事品等で埋まっており、収集した物の管理のご苦労を痛切に感じた。博物館での基本方針としては、梅棹館長の言う「人が捨てるものを集める」ということらしく、一度集めた物は捨てられないとのこと。船、御輿、馬車など大きな物もあり、このまま増え続けたら、いくらスペースがあっても足りないなという印象を受けた。また、物的な管理もさることながら、収集した物全てを写真にとったり、画像信号処理や、文章処理をし、膨大なデータベースを構築し、維持していくための管理が大変なことであると感じた。研究者がスライドに写してきたものを、再度画像信号処理し、そのどちらも保存しておくという二重三重の保存体制であるが、益々ハイテク化されていく時代の中で、一つの情報が、多種多様な形で記述され、全てが捨てられないまま、保存されていくことを考えると、ここのシステムの将来が、増殖細胞のようなものに思えてきた。ここでのデータベースの当面の目標は、ある物体を、三次元画像処理し、検索者が、立体画像で引き出せるシステムと、いままのキーワードによる検索を画像イメージによる検索システムの構築であるとのこと。そのためには、画像イメージを何等かな形で具現化する中間言語のようなものの開発が必要とのこと。

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第10回 「幸福」

開催日時
平成3年12月12日(木) 11:00〜18:00
開催場所
国立民族学博物館、大阪ガス エネルギー・文化研究所(CEL)、サントリー不易流行研究所
参加者
古館、多田、相田、佐藤、望月、赤川(不易流行研究所)、隅野(CEL)

討議内容

今回は、久しぶりの大阪会合であったために、古館さん、佐藤さんのお世話により、国立民族学博物館、CEL、不易流行研究所の見学、及び、見学後の感想などについて意見交換を行った。

国立民族学博物館では、情報管理施設の宇野専門員、宇治谷文部技官による説明及び館内案内を受けた。普段の見学ではなかなか見られない、博物館の裏舞台をじっくりと見学することが出来た。館内のほとんどのスペースが、世界の各地から集められた、道具、衣装、祭事品等で埋まっており、収集した物の管理のご苦労を痛切に感じた。博物館での基本方針としては、梅棹館長の言う「人が捨てるものを集める」ということらしく、一度集めた物は捨てられないとのこと。船、御輿、馬車など大きな物もあり、このまま増え続けたら、いくらスペースがあっても足りないなという印象を受けた。また、物的な管理もさることながら、収集した物全てを写真にとったり、画像信号処理や、文章処理をし、膨大なデータベースを構築し、維持していくための管理が大変なことであると感じた。研究者がスライドに写してきたものを、再度画像信号処理し、そのどちらも保存しておくという二重三重の保存体制であるが、益々ハイテク化されていく時代の中で、一つの情報が、多種多様な形で記述され、全てが捨てられないまま、保存されていくことを考えると、ここのシステムの将来が、増殖細胞のようなものに思えてきた。ここでのデータベースの当面の目標は、ある物体を、三次元画像処理し、検索者が、立体画像で引き出せるシステムと、いままのキーワードによる検索を画像イメージによる検索システムの構築であるとのこと。そのためには、画像イメージを何等かな形で具現化する中間言語のようなものの開発が必要とのこと。

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開催日時
平成3年10月29日(水) 10:00〜13:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
古館、多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、幸福について様々な角度から議論した。先ず始めに、多田さんから提供されたアランの幸福論に関する資料を基に、アランの述べる幸福について考えてみた。アラン自身は、様々な立場に立って、散文的に幸福について述べているが、それらをグルーピングしてみると5段階の幸福がそこには存在していることが分かる(この資料についてはすでに配布済み)。これらの幸福の特徴は、下位の段階の幸福から上位の段階の幸福に向かうにしたがって、本人の努力や、才能との関わりが強くなり、それだけ、心の奥底に訴える感銘度が高く、幸福をより強く感じることが出来るが、どれも好ましい状態をそのまま持続できないもので、後ほど述べるような、東洋的な悟りの境地に共鳴するような幸福については述べられていない。この点に関して、多田さんから、釣り人と幸福感について次のような面白い提言があった。アランの幸福論を基にして作られた幸福の5段階説を基本にして、釣り人の幸福感を表現すると以下のようになる。釣り人の第一段階の幸福として、釣りを見て楽しむ幸福感がある。次の段階として、自分も釣りをして楽しむ幸福感。さらに、沢山釣ることによって満足を得る幸福感。四番目の段階として、大物を釣ったことによる満足感からくる幸福感。そして、五段階としては、人がなかなか釣ることの出来ない魚を釣ることの出来た喜びからくる幸福感である。さらに、アランの中には現れてこない六番目の幸福として、魚をとることに目的を感じないで、ただ魚釣りを楽しむ幸福感である。この六番目の幸福感は、日本文化の伝統である、茶道や華道、さらには剣道など、道を求めた達人の境地でもあろう。これらの幸福に関するいくつかの段階について、論語に次のような名文がある。

知る者は好む者にしかず、好む者は楽しむ者にしかず

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第9回 「幸福」

開催日時
平成3年12月12日(木) 11:00〜18:00
開催場所
国立民族学博物館、大阪ガス エネルギー・文化研究所(CEL)、サントリー不易流行研究所
参加者
古館、多田、相田、佐藤、望月、赤川(不易流行研究所)、隅野(CEL)

討議内容

今回は、久しぶりの大阪会合であったために、古館さん、佐藤さんのお世話により、国立民族学博物館、CEL、不易流行研究所の見学、及び、見学後の感想などについて意見交換を行った。

国立民族学博物館では、情報管理施設の宇野専門員、宇治谷文部技官による説明及び館内案内を受けた。普段の見学ではなかなか見られない、博物館の裏舞台をじっくりと見学することが出来た。館内のほとんどのスペースが、世界の各地から集められた、道具、衣装、祭事品等で埋まっており、収集した物の管理のご苦労を痛切に感じた。博物館での基本方針としては、梅棹館長の言う「人が捨てるものを集める」ということらしく、一度集めた物は捨てられないとのこと。船、御輿、馬車など大きな物もあり、このまま増え続けたら、いくらスペースがあっても足りないなという印象を受けた。また、物的な管理もさることながら、収集した物全てを写真にとったり、画像信号処理や、文章処理をし、膨大なデータベースを構築し、維持していくための管理が大変なことであると感じた。研究者がスライドに写してきたものを、再度画像信号処理し、そのどちらも保存しておくという二重三重の保存体制であるが、益々ハイテク化されていく時代の中で、一つの情報が、多種多様な形で記述され、全てが捨てられないまま、保存されていくことを考えると、ここのシステムの将来が、増殖細胞のようなものに思えてきた。ここでのデータベースの当面の目標は、ある物体を、三次元画像処理し、検索者が、立体画像で引き出せるシステムと、いままのキーワードによる検索を画像イメージによる検索システムの構築であるとのこと。そのためには、画像イメージを何等かな形で具現化する中間言語のようなものの開発が必要とのこと。

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開催日時
平成3年10月29日(水) 10:00〜13:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
古館、多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、幸福について様々な角度から議論した。先ず始めに、多田さんから提供されたアランの幸福論に関する資料を基に、アランの述べる幸福について考えてみた。アラン自身は、様々な立場に立って、散文的に幸福について述べているが、それらをグルーピングしてみると5段階の幸福がそこには存在していることが分かる(この資料についてはすでに配布済み)。これらの幸福の特徴は、下位の段階の幸福から上位の段階の幸福に向かうにしたがって、本人の努力や、才能との関わりが強くなり、それだけ、心の奥底に訴える感銘度が高く、幸福をより強く感じることが出来るが、どれも好ましい状態をそのまま持続できないもので、後ほど述べるような、東洋的な悟りの境地に共鳴するような幸福については述べられていない。この点に関して、多田さんから、釣り人と幸福感について次のような面白い提言があった。アランの幸福論を基にして作られた幸福の5段階説を基本にして、釣り人の幸福感を表現すると以下のようになる。釣り人の第一段階の幸福として、釣りを見て楽しむ幸福感がある。次の段階として、自分も釣りをして楽しむ幸福感。さらに、沢山釣ることによって満足を得る幸福感。四番目の段階として、大物を釣ったことによる満足感からくる幸福感。そして、五段階としては、人がなかなか釣ることの出来ない魚を釣ることの出来た喜びからくる幸福感である。さらに、アランの中には現れてこない六番目の幸福として、魚をとることに目的を感じないで、ただ魚釣りを楽しむ幸福感である。この六番目の幸福感は、日本文化の伝統である、茶道や華道、さらには剣道など、道を求めた達人の境地でもあろう。これらの幸福に関するいくつかの段階について、論語に次のような名文がある。

知る者は好む者にしかず、好む者は楽しむ者にしかず

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開催日時
平成3年9月25日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、基本的には幸福についてということで討議したが、出席者が三人と少なかったために、幸福にまつわる一般論的なものとどめることにした。

アランの幸福論を基本に考えると、幸福の条件にはいくつかあるが、そのなかで基本的なものは、自分の身体について意識しないこと、また、持続性のある幸福感は、受動的な享楽からよりも、自らが何かに働きかける能動的な行為のなかから感じられるものでありそうだ。幸福な気持ちと、不幸な気持ちとが錯綜する現実にあって、幸福な生活を維持するためには、不幸と感じられるものを、幸福なものに転化する知恵を磨くことも大切であろう。

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第8回 「文化と企業活動」

開催日時
平成3年12月12日(木) 11:00〜18:00
開催場所
国立民族学博物館、大阪ガス エネルギー・文化研究所(CEL)、サントリー不易流行研究所
参加者
古館、多田、相田、佐藤、望月、赤川(不易流行研究所)、隅野(CEL)

討議内容

今回は、久しぶりの大阪会合であったために、古館さん、佐藤さんのお世話により、国立民族学博物館、CEL、不易流行研究所の見学、及び、見学後の感想などについて意見交換を行った。

国立民族学博物館では、情報管理施設の宇野専門員、宇治谷文部技官による説明及び館内案内を受けた。普段の見学ではなかなか見られない、博物館の裏舞台をじっくりと見学することが出来た。館内のほとんどのスペースが、世界の各地から集められた、道具、衣装、祭事品等で埋まっており、収集した物の管理のご苦労を痛切に感じた。博物館での基本方針としては、梅棹館長の言う「人が捨てるものを集める」ということらしく、一度集めた物は捨てられないとのこと。船、御輿、馬車など大きな物もあり、このまま増え続けたら、いくらスペースがあっても足りないなという印象を受けた。また、物的な管理もさることながら、収集した物全てを写真にとったり、画像信号処理や、文章処理をし、膨大なデータベースを構築し、維持していくための管理が大変なことであると感じた。研究者がスライドに写してきたものを、再度画像信号処理し、そのどちらも保存しておくという二重三重の保存体制であるが、益々ハイテク化されていく時代の中で、一つの情報が、多種多様な形で記述され、全てが捨てられないまま、保存されていくことを考えると、ここのシステムの将来が、増殖細胞のようなものに思えてきた。ここでのデータベースの当面の目標は、ある物体を、三次元画像処理し、検索者が、立体画像で引き出せるシステムと、いままのキーワードによる検索を画像イメージによる検索システムの構築であるとのこと。そのためには、画像イメージを何等かな形で具現化する中間言語のようなものの開発が必要とのこと。

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開催日時
平成3年10月29日(水) 10:00〜13:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
古館、多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、幸福について様々な角度から議論した。先ず始めに、多田さんから提供されたアランの幸福論に関する資料を基に、アランの述べる幸福について考えてみた。アラン自身は、様々な立場に立って、散文的に幸福について述べているが、それらをグルーピングしてみると5段階の幸福がそこには存在していることが分かる(この資料についてはすでに配布済み)。これらの幸福の特徴は、下位の段階の幸福から上位の段階の幸福に向かうにしたがって、本人の努力や、才能との関わりが強くなり、それだけ、心の奥底に訴える感銘度が高く、幸福をより強く感じることが出来るが、どれも好ましい状態をそのまま持続できないもので、後ほど述べるような、東洋的な悟りの境地に共鳴するような幸福については述べられていない。この点に関して、多田さんから、釣り人と幸福感について次のような面白い提言があった。アランの幸福論を基にして作られた幸福の5段階説を基本にして、釣り人の幸福感を表現すると以下のようになる。釣り人の第一段階の幸福として、釣りを見て楽しむ幸福感がある。次の段階として、自分も釣りをして楽しむ幸福感。さらに、沢山釣ることによって満足を得る幸福感。四番目の段階として、大物を釣ったことによる満足感からくる幸福感。そして、五段階としては、人がなかなか釣ることの出来ない魚を釣ることの出来た喜びからくる幸福感である。さらに、アランの中には現れてこない六番目の幸福として、魚をとることに目的を感じないで、ただ魚釣りを楽しむ幸福感である。この六番目の幸福感は、日本文化の伝統である、茶道や華道、さらには剣道など、道を求めた達人の境地でもあろう。これらの幸福に関するいくつかの段階について、論語に次のような名文がある。

知る者は好む者にしかず、好む者は楽しむ者にしかず

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開催日時
平成3年9月25日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、基本的には幸福についてということで討議したが、出席者が三人と少なかったために、幸福にまつわる一般論的なものとどめることにした。

アランの幸福論を基本に考えると、幸福の条件にはいくつかあるが、そのなかで基本的なものは、自分の身体について意識しないこと、また、持続性のある幸福感は、受動的な享楽からよりも、自らが何かに働きかける能動的な行為のなかから感じられるものでありそうだ。幸福な気持ちと、不幸な気持ちとが錯綜する現実にあって、幸福な生活を維持するためには、不幸と感じられるものを、幸福なものに転化する知恵を磨くことも大切であろう。

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開催日時
平成3年8月28日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、相田、佐藤、望月

討議内容

本研究会の名称ともなっている文化について、その本質的な事柄について考えた。文化については、文化とは生き方であるとか、文化とは伝承される様式であるとか、生活様式であるとか、様々な定義付けがされているが、その基本は、人間の心にあるようだ。人間が生きる上で支えとなっている信念のようなものが、形として表現されたものが文化そのものではないだろうか。何世代もの長い年月を経て具体的な形として表現されてきたものもあるし、一人一人の生きざまとして、その人の人生の中において、行動や生活スタイルという形で表現されているものもある。

企業が、メセナ活動やフィランソロフィという言葉で、文化支援をしようという動きが活発になってきているが、日本には、元々企業が、様々な形で社会に貢献してきている伝統がある。道頓掘は、安井道頓さんが開削した堀であるし、淀屋橋は、淀屋さんが作った橋である。これらは、戦後になって経済復興が第一の目的であった時期に消え、それらがまた新しい名前のもとで現れてきたのが昨今の企業の文化支援活動である。メセナやフィランソロフィの方が響きがよいというのがあろう。また、企業が文化活動を支援することに対する日本語がなかったのかも知れない。

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第7回 「人間の不易性」

開催日時
平成3年12月12日(木) 11:00〜18:00
開催場所
国立民族学博物館、大阪ガス エネルギー・文化研究所(CEL)、サントリー不易流行研究所
参加者
古館、多田、相田、佐藤、望月、赤川(不易流行研究所)、隅野(CEL)

討議内容

今回は、久しぶりの大阪会合であったために、古館さん、佐藤さんのお世話により、国立民族学博物館、CEL、不易流行研究所の見学、及び、見学後の感想などについて意見交換を行った。

国立民族学博物館では、情報管理施設の宇野専門員、宇治谷文部技官による説明及び館内案内を受けた。普段の見学ではなかなか見られない、博物館の裏舞台をじっくりと見学することが出来た。館内のほとんどのスペースが、世界の各地から集められた、道具、衣装、祭事品等で埋まっており、収集した物の管理のご苦労を痛切に感じた。博物館での基本方針としては、梅棹館長の言う「人が捨てるものを集める」ということらしく、一度集めた物は捨てられないとのこと。船、御輿、馬車など大きな物もあり、このまま増え続けたら、いくらスペースがあっても足りないなという印象を受けた。また、物的な管理もさることながら、収集した物全てを写真にとったり、画像信号処理や、文章処理をし、膨大なデータベースを構築し、維持していくための管理が大変なことであると感じた。研究者がスライドに写してきたものを、再度画像信号処理し、そのどちらも保存しておくという二重三重の保存体制であるが、益々ハイテク化されていく時代の中で、一つの情報が、多種多様な形で記述され、全てが捨てられないまま、保存されていくことを考えると、ここのシステムの将来が、増殖細胞のようなものに思えてきた。ここでのデータベースの当面の目標は、ある物体を、三次元画像処理し、検索者が、立体画像で引き出せるシステムと、いままのキーワードによる検索を画像イメージによる検索システムの構築であるとのこと。そのためには、画像イメージを何等かな形で具現化する中間言語のようなものの開発が必要とのこと。

つづきを読む

開催日時
平成3年10月29日(水) 10:00〜13:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
古館、多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、幸福について様々な角度から議論した。先ず始めに、多田さんから提供されたアランの幸福論に関する資料を基に、アランの述べる幸福について考えてみた。アラン自身は、様々な立場に立って、散文的に幸福について述べているが、それらをグルーピングしてみると5段階の幸福がそこには存在していることが分かる(この資料についてはすでに配布済み)。これらの幸福の特徴は、下位の段階の幸福から上位の段階の幸福に向かうにしたがって、本人の努力や、才能との関わりが強くなり、それだけ、心の奥底に訴える感銘度が高く、幸福をより強く感じることが出来るが、どれも好ましい状態をそのまま持続できないもので、後ほど述べるような、東洋的な悟りの境地に共鳴するような幸福については述べられていない。この点に関して、多田さんから、釣り人と幸福感について次のような面白い提言があった。アランの幸福論を基にして作られた幸福の5段階説を基本にして、釣り人の幸福感を表現すると以下のようになる。釣り人の第一段階の幸福として、釣りを見て楽しむ幸福感がある。次の段階として、自分も釣りをして楽しむ幸福感。さらに、沢山釣ることによって満足を得る幸福感。四番目の段階として、大物を釣ったことによる満足感からくる幸福感。そして、五段階としては、人がなかなか釣ることの出来ない魚を釣ることの出来た喜びからくる幸福感である。さらに、アランの中には現れてこない六番目の幸福として、魚をとることに目的を感じないで、ただ魚釣りを楽しむ幸福感である。この六番目の幸福感は、日本文化の伝統である、茶道や華道、さらには剣道など、道を求めた達人の境地でもあろう。これらの幸福に関するいくつかの段階について、論語に次のような名文がある。

知る者は好む者にしかず、好む者は楽しむ者にしかず

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開催日時
平成3年9月25日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、基本的には幸福についてということで討議したが、出席者が三人と少なかったために、幸福にまつわる一般論的なものとどめることにした。

アランの幸福論を基本に考えると、幸福の条件にはいくつかあるが、そのなかで基本的なものは、自分の身体について意識しないこと、また、持続性のある幸福感は、受動的な享楽からよりも、自らが何かに働きかける能動的な行為のなかから感じられるものでありそうだ。幸福な気持ちと、不幸な気持ちとが錯綜する現実にあって、幸福な生活を維持するためには、不幸と感じられるものを、幸福なものに転化する知恵を磨くことも大切であろう。

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開催日時
平成3年8月28日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、相田、佐藤、望月

討議内容

本研究会の名称ともなっている文化について、その本質的な事柄について考えた。文化については、文化とは生き方であるとか、文化とは伝承される様式であるとか、生活様式であるとか、様々な定義付けがされているが、その基本は、人間の心にあるようだ。人間が生きる上で支えとなっている信念のようなものが、形として表現されたものが文化そのものではないだろうか。何世代もの長い年月を経て具体的な形として表現されてきたものもあるし、一人一人の生きざまとして、その人の人生の中において、行動や生活スタイルという形で表現されているものもある。

企業が、メセナ活動やフィランソロフィという言葉で、文化支援をしようという動きが活発になってきているが、日本には、元々企業が、様々な形で社会に貢献してきている伝統がある。道頓掘は、安井道頓さんが開削した堀であるし、淀屋橋は、淀屋さんが作った橋である。これらは、戦後になって経済復興が第一の目的であった時期に消え、それらがまた新しい名前のもとで現れてきたのが昨今の企業の文化支援活動である。メセナやフィランソロフィの方が響きがよいというのがあろう。また、企業が文化活動を支援することに対する日本語がなかったのかも知れない。

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開催日時
平成3年7月11日(木) 14:00〜17:30
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、相田、佐藤、望月

討議内容

今回は、相田朝香さんを新しいメンバとして迎え、活発な討論が行われた。ここで相田さんを紹介させて頂きますと、相田さんは、株式会社アイダの代表取締役で、真珠に関わる仕事をされています。始めは華道の先生として身を立てていこうということでしたが、真珠の美しさに魅せられてこの道に入ったとのことです。東京青年会議所の会計幹事もされていて忙しい毎日を送っていらっしゃる様子です。ご自身の多彩な経験を基に、様々な角度から豊富な意見を述べられていらっしゃいました。今後の活躍を期待しています。

この研究会も今回で七回目を迎え、過去六回の検討結果を振り返ってみると、人間の不易性に付いて様々な事柄が話し合われている。それらを見直してみると、人間の不易牲は、「幸福とは何か」、また「私達は一体何を求めて生きているのか」といったことをはっきりと?むことに関係しているようである。そして、それらを社会的にみてみるならば「企業は何を求めているのか」という問題とつながりをもってくる。これらの事を明らかにし、これからの企業はどうあるべきかを見いだして行くことがこの研究会の一つの使命でもあるような気がする。

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第6回 「2050年からみた平成時代」

開催日時
平成3年12月12日(木) 11:00〜18:00
開催場所
国立民族学博物館、大阪ガス エネルギー・文化研究所(CEL)、サントリー不易流行研究所
参加者
古館、多田、相田、佐藤、望月、赤川(不易流行研究所)、隅野(CEL)

討議内容

今回は、久しぶりの大阪会合であったために、古館さん、佐藤さんのお世話により、国立民族学博物館、CEL、不易流行研究所の見学、及び、見学後の感想などについて意見交換を行った。

国立民族学博物館では、情報管理施設の宇野専門員、宇治谷文部技官による説明及び館内案内を受けた。普段の見学ではなかなか見られない、博物館の裏舞台をじっくりと見学することが出来た。館内のほとんどのスペースが、世界の各地から集められた、道具、衣装、祭事品等で埋まっており、収集した物の管理のご苦労を痛切に感じた。博物館での基本方針としては、梅棹館長の言う「人が捨てるものを集める」ということらしく、一度集めた物は捨てられないとのこと。船、御輿、馬車など大きな物もあり、このまま増え続けたら、いくらスペースがあっても足りないなという印象を受けた。また、物的な管理もさることながら、収集した物全てを写真にとったり、画像信号処理や、文章処理をし、膨大なデータベースを構築し、維持していくための管理が大変なことであると感じた。研究者がスライドに写してきたものを、再度画像信号処理し、そのどちらも保存しておくという二重三重の保存体制であるが、益々ハイテク化されていく時代の中で、一つの情報が、多種多様な形で記述され、全てが捨てられないまま、保存されていくことを考えると、ここのシステムの将来が、増殖細胞のようなものに思えてきた。ここでのデータベースの当面の目標は、ある物体を、三次元画像処理し、検索者が、立体画像で引き出せるシステムと、いままのキーワードによる検索を画像イメージによる検索システムの構築であるとのこと。そのためには、画像イメージを何等かな形で具現化する中間言語のようなものの開発が必要とのこと。

つづきを読む

開催日時
平成3年10月29日(水) 10:00〜13:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
古館、多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、幸福について様々な角度から議論した。先ず始めに、多田さんから提供されたアランの幸福論に関する資料を基に、アランの述べる幸福について考えてみた。アラン自身は、様々な立場に立って、散文的に幸福について述べているが、それらをグルーピングしてみると5段階の幸福がそこには存在していることが分かる(この資料についてはすでに配布済み)。これらの幸福の特徴は、下位の段階の幸福から上位の段階の幸福に向かうにしたがって、本人の努力や、才能との関わりが強くなり、それだけ、心の奥底に訴える感銘度が高く、幸福をより強く感じることが出来るが、どれも好ましい状態をそのまま持続できないもので、後ほど述べるような、東洋的な悟りの境地に共鳴するような幸福については述べられていない。この点に関して、多田さんから、釣り人と幸福感について次のような面白い提言があった。アランの幸福論を基にして作られた幸福の5段階説を基本にして、釣り人の幸福感を表現すると以下のようになる。釣り人の第一段階の幸福として、釣りを見て楽しむ幸福感がある。次の段階として、自分も釣りをして楽しむ幸福感。さらに、沢山釣ることによって満足を得る幸福感。四番目の段階として、大物を釣ったことによる満足感からくる幸福感。そして、五段階としては、人がなかなか釣ることの出来ない魚を釣ることの出来た喜びからくる幸福感である。さらに、アランの中には現れてこない六番目の幸福として、魚をとることに目的を感じないで、ただ魚釣りを楽しむ幸福感である。この六番目の幸福感は、日本文化の伝統である、茶道や華道、さらには剣道など、道を求めた達人の境地でもあろう。これらの幸福に関するいくつかの段階について、論語に次のような名文がある。

知る者は好む者にしかず、好む者は楽しむ者にしかず

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開催日時
平成3年9月25日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、基本的には幸福についてということで討議したが、出席者が三人と少なかったために、幸福にまつわる一般論的なものとどめることにした。

アランの幸福論を基本に考えると、幸福の条件にはいくつかあるが、そのなかで基本的なものは、自分の身体について意識しないこと、また、持続性のある幸福感は、受動的な享楽からよりも、自らが何かに働きかける能動的な行為のなかから感じられるものでありそうだ。幸福な気持ちと、不幸な気持ちとが錯綜する現実にあって、幸福な生活を維持するためには、不幸と感じられるものを、幸福なものに転化する知恵を磨くことも大切であろう。

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開催日時
平成3年8月28日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、相田、佐藤、望月

討議内容

本研究会の名称ともなっている文化について、その本質的な事柄について考えた。文化については、文化とは生き方であるとか、文化とは伝承される様式であるとか、生活様式であるとか、様々な定義付けがされているが、その基本は、人間の心にあるようだ。人間が生きる上で支えとなっている信念のようなものが、形として表現されたものが文化そのものではないだろうか。何世代もの長い年月を経て具体的な形として表現されてきたものもあるし、一人一人の生きざまとして、その人の人生の中において、行動や生活スタイルという形で表現されているものもある。

企業が、メセナ活動やフィランソロフィという言葉で、文化支援をしようという動きが活発になってきているが、日本には、元々企業が、様々な形で社会に貢献してきている伝統がある。道頓掘は、安井道頓さんが開削した堀であるし、淀屋橋は、淀屋さんが作った橋である。これらは、戦後になって経済復興が第一の目的であった時期に消え、それらがまた新しい名前のもとで現れてきたのが昨今の企業の文化支援活動である。メセナやフィランソロフィの方が響きがよいというのがあろう。また、企業が文化活動を支援することに対する日本語がなかったのかも知れない。

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開催日時
平成3年7月11日(木) 14:00〜17:30
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、相田、佐藤、望月

討議内容

今回は、相田朝香さんを新しいメンバとして迎え、活発な討論が行われた。ここで相田さんを紹介させて頂きますと、相田さんは、株式会社アイダの代表取締役で、真珠に関わる仕事をされています。始めは華道の先生として身を立てていこうということでしたが、真珠の美しさに魅せられてこの道に入ったとのことです。東京青年会議所の会計幹事もされていて忙しい毎日を送っていらっしゃる様子です。ご自身の多彩な経験を基に、様々な角度から豊富な意見を述べられていらっしゃいました。今後の活躍を期待しています。

この研究会も今回で七回目を迎え、過去六回の検討結果を振り返ってみると、人間の不易性に付いて様々な事柄が話し合われている。それらを見直してみると、人間の不易牲は、「幸福とは何か」、また「私達は一体何を求めて生きているのか」といったことをはっきりと?むことに関係しているようである。そして、それらを社会的にみてみるならば「企業は何を求めているのか」という問題とつながりをもってくる。これらの事を明らかにし、これからの企業はどうあるべきかを見いだして行くことがこの研究会の一つの使命でもあるような気がする。

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開催日時
平成3年5月31日(金)〜6月1日(土)
開催場所
円満院門跡
参加者
古館、多田、村澤、佐藤、望月

討議内容

五月雨にけむる三井寺に、今回は五名のメンバーが集まり、2050年からみた平成時代と題して討論を行った。これから約60年後、日本はどの様に変化し、人々の価値観はどの様に変化して行くのか、そして、生活の中において何が残り何が失われているのかという点を念頭において考えてみた。

先ず、家族の関係について意見が交わされた。家族に係わる問題としては、夫婦の問題、子供の問題がある。夫婦の問題の一つとして、離婚率がアップしてきているという実態がある。西欧においては、離婚することにそれほどの罪悪感を感じていないようであるが、日本においては、これまで道徳的に、離婚に対する罪悪感があった。しかし、国際化による価値観の変化、都市化が進む一方で、隣人との付き合いの希薄さから、世間体による離婚悪感も少なくなってきており、離婚に対する考え方も変化してきているようである。離婚に対する願望は、潜在的には相当多いのかも知れない。ただ、それを行動に移させないのは、個人個人の価値値観や、世間の目などが気になるなど様々なものがあろう。しかし、これらが破られるような状況になってくると、一気に離婚率が増加することも考えられる。個人的な考えであるが、離婚率を増加させないよう働く力として、一人一人の内面的な変化である自己改革があるのかもしれない。それは、宗教的なものに根ざすのか、自分自身に目覚めるのか分からないが、いままで外の世界に求めていた価値観を、自分の内面のものに向けるような働きが、離婚率を低減させる力とならないであろうか。

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第5回 「科学技術の功罪」

開催日時
平成3年12月12日(木) 11:00〜18:00
開催場所
国立民族学博物館、大阪ガス エネルギー・文化研究所(CEL)、サントリー不易流行研究所
参加者
古館、多田、相田、佐藤、望月、赤川(不易流行研究所)、隅野(CEL)

討議内容

今回は、久しぶりの大阪会合であったために、古館さん、佐藤さんのお世話により、国立民族学博物館、CEL、不易流行研究所の見学、及び、見学後の感想などについて意見交換を行った。

国立民族学博物館では、情報管理施設の宇野専門員、宇治谷文部技官による説明及び館内案内を受けた。普段の見学ではなかなか見られない、博物館の裏舞台をじっくりと見学することが出来た。館内のほとんどのスペースが、世界の各地から集められた、道具、衣装、祭事品等で埋まっており、収集した物の管理のご苦労を痛切に感じた。博物館での基本方針としては、梅棹館長の言う「人が捨てるものを集める」ということらしく、一度集めた物は捨てられないとのこと。船、御輿、馬車など大きな物もあり、このまま増え続けたら、いくらスペースがあっても足りないなという印象を受けた。また、物的な管理もさることながら、収集した物全てを写真にとったり、画像信号処理や、文章処理をし、膨大なデータベースを構築し、維持していくための管理が大変なことであると感じた。研究者がスライドに写してきたものを、再度画像信号処理し、そのどちらも保存しておくという二重三重の保存体制であるが、益々ハイテク化されていく時代の中で、一つの情報が、多種多様な形で記述され、全てが捨てられないまま、保存されていくことを考えると、ここのシステムの将来が、増殖細胞のようなものに思えてきた。ここでのデータベースの当面の目標は、ある物体を、三次元画像処理し、検索者が、立体画像で引き出せるシステムと、いままのキーワードによる検索を画像イメージによる検索システムの構築であるとのこと。そのためには、画像イメージを何等かな形で具現化する中間言語のようなものの開発が必要とのこと。

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開催日時
平成3年10月29日(水) 10:00〜13:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
古館、多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、幸福について様々な角度から議論した。先ず始めに、多田さんから提供されたアランの幸福論に関する資料を基に、アランの述べる幸福について考えてみた。アラン自身は、様々な立場に立って、散文的に幸福について述べているが、それらをグルーピングしてみると5段階の幸福がそこには存在していることが分かる(この資料についてはすでに配布済み)。これらの幸福の特徴は、下位の段階の幸福から上位の段階の幸福に向かうにしたがって、本人の努力や、才能との関わりが強くなり、それだけ、心の奥底に訴える感銘度が高く、幸福をより強く感じることが出来るが、どれも好ましい状態をそのまま持続できないもので、後ほど述べるような、東洋的な悟りの境地に共鳴するような幸福については述べられていない。この点に関して、多田さんから、釣り人と幸福感について次のような面白い提言があった。アランの幸福論を基にして作られた幸福の5段階説を基本にして、釣り人の幸福感を表現すると以下のようになる。釣り人の第一段階の幸福として、釣りを見て楽しむ幸福感がある。次の段階として、自分も釣りをして楽しむ幸福感。さらに、沢山釣ることによって満足を得る幸福感。四番目の段階として、大物を釣ったことによる満足感からくる幸福感。そして、五段階としては、人がなかなか釣ることの出来ない魚を釣ることの出来た喜びからくる幸福感である。さらに、アランの中には現れてこない六番目の幸福として、魚をとることに目的を感じないで、ただ魚釣りを楽しむ幸福感である。この六番目の幸福感は、日本文化の伝統である、茶道や華道、さらには剣道など、道を求めた達人の境地でもあろう。これらの幸福に関するいくつかの段階について、論語に次のような名文がある。

知る者は好む者にしかず、好む者は楽しむ者にしかず

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開催日時
平成3年9月25日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、基本的には幸福についてということで討議したが、出席者が三人と少なかったために、幸福にまつわる一般論的なものとどめることにした。

アランの幸福論を基本に考えると、幸福の条件にはいくつかあるが、そのなかで基本的なものは、自分の身体について意識しないこと、また、持続性のある幸福感は、受動的な享楽からよりも、自らが何かに働きかける能動的な行為のなかから感じられるものでありそうだ。幸福な気持ちと、不幸な気持ちとが錯綜する現実にあって、幸福な生活を維持するためには、不幸と感じられるものを、幸福なものに転化する知恵を磨くことも大切であろう。

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開催日時
平成3年8月28日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、相田、佐藤、望月

討議内容

本研究会の名称ともなっている文化について、その本質的な事柄について考えた。文化については、文化とは生き方であるとか、文化とは伝承される様式であるとか、生活様式であるとか、様々な定義付けがされているが、その基本は、人間の心にあるようだ。人間が生きる上で支えとなっている信念のようなものが、形として表現されたものが文化そのものではないだろうか。何世代もの長い年月を経て具体的な形として表現されてきたものもあるし、一人一人の生きざまとして、その人の人生の中において、行動や生活スタイルという形で表現されているものもある。

企業が、メセナ活動やフィランソロフィという言葉で、文化支援をしようという動きが活発になってきているが、日本には、元々企業が、様々な形で社会に貢献してきている伝統がある。道頓掘は、安井道頓さんが開削した堀であるし、淀屋橋は、淀屋さんが作った橋である。これらは、戦後になって経済復興が第一の目的であった時期に消え、それらがまた新しい名前のもとで現れてきたのが昨今の企業の文化支援活動である。メセナやフィランソロフィの方が響きがよいというのがあろう。また、企業が文化活動を支援することに対する日本語がなかったのかも知れない。

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開催日時
平成3年7月11日(木) 14:00〜17:30
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、相田、佐藤、望月

討議内容

今回は、相田朝香さんを新しいメンバとして迎え、活発な討論が行われた。ここで相田さんを紹介させて頂きますと、相田さんは、株式会社アイダの代表取締役で、真珠に関わる仕事をされています。始めは華道の先生として身を立てていこうということでしたが、真珠の美しさに魅せられてこの道に入ったとのことです。東京青年会議所の会計幹事もされていて忙しい毎日を送っていらっしゃる様子です。ご自身の多彩な経験を基に、様々な角度から豊富な意見を述べられていらっしゃいました。今後の活躍を期待しています。

この研究会も今回で七回目を迎え、過去六回の検討結果を振り返ってみると、人間の不易性に付いて様々な事柄が話し合われている。それらを見直してみると、人間の不易牲は、「幸福とは何か」、また「私達は一体何を求めて生きているのか」といったことをはっきりと?むことに関係しているようである。そして、それらを社会的にみてみるならば「企業は何を求めているのか」という問題とつながりをもってくる。これらの事を明らかにし、これからの企業はどうあるべきかを見いだして行くことがこの研究会の一つの使命でもあるような気がする。

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開催日時
平成3年5月31日(金)〜6月1日(土)
開催場所
円満院門跡
参加者
古館、多田、村澤、佐藤、望月

討議内容

五月雨にけむる三井寺に、今回は五名のメンバーが集まり、2050年からみた平成時代と題して討論を行った。これから約60年後、日本はどの様に変化し、人々の価値観はどの様に変化して行くのか、そして、生活の中において何が残り何が失われているのかという点を念頭において考えてみた。

先ず、家族の関係について意見が交わされた。家族に係わる問題としては、夫婦の問題、子供の問題がある。夫婦の問題の一つとして、離婚率がアップしてきているという実態がある。西欧においては、離婚することにそれほどの罪悪感を感じていないようであるが、日本においては、これまで道徳的に、離婚に対する罪悪感があった。しかし、国際化による価値観の変化、都市化が進む一方で、隣人との付き合いの希薄さから、世間体による離婚悪感も少なくなってきており、離婚に対する考え方も変化してきているようである。離婚に対する願望は、潜在的には相当多いのかも知れない。ただ、それを行動に移させないのは、個人個人の価値値観や、世間の目などが気になるなど様々なものがあろう。しかし、これらが破られるような状況になってくると、一気に離婚率が増加することも考えられる。個人的な考えであるが、離婚率を増加させないよう働く力として、一人一人の内面的な変化である自己改革があるのかもしれない。それは、宗教的なものに根ざすのか、自分自身に目覚めるのか分からないが、いままで外の世界に求めていた価値観を、自分の内面のものに向けるような働きが、離婚率を低減させる力とならないであろうか。

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開催日時
平成3年4月25日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、山下、望月

討議内容

今回は、科学技術の発展で、我々が得たもの失ったものについて考えてみた。科学技術のもたらしたものは、日常生活に使用しているものから、ビジネスの世界で使用しているものまで数多くあるが、その中の代表的なものの一つとして、電話を取りあげて考えてみた。

科学技術のもたらした電話の発達により、我々は日常生活の中で、手紙を通信の手段として用いることが少なくなった。電話と手紙という二つのものは、科学技術の成果と、それによって我々が何かを失ってきていることを考える上でよい題材となる。電話の発明は、空間を越えて、地球のあらゆるところから、遠く離れた人と、ほとんど即時的に会話を行うことができるようになった。科学技術のもたらしたものは、人間の欲求、この場合には、話したいという欲求を、即時に充足できるような状況を生み出したと言えよう。

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第4回 「神道」

開催日時
平成3年12月12日(木) 11:00〜18:00
開催場所
国立民族学博物館、大阪ガス エネルギー・文化研究所(CEL)、サントリー不易流行研究所
参加者
古館、多田、相田、佐藤、望月、赤川(不易流行研究所)、隅野(CEL)

討議内容

今回は、久しぶりの大阪会合であったために、古館さん、佐藤さんのお世話により、国立民族学博物館、CEL、不易流行研究所の見学、及び、見学後の感想などについて意見交換を行った。

国立民族学博物館では、情報管理施設の宇野専門員、宇治谷文部技官による説明及び館内案内を受けた。普段の見学ではなかなか見られない、博物館の裏舞台をじっくりと見学することが出来た。館内のほとんどのスペースが、世界の各地から集められた、道具、衣装、祭事品等で埋まっており、収集した物の管理のご苦労を痛切に感じた。博物館での基本方針としては、梅棹館長の言う「人が捨てるものを集める」ということらしく、一度集めた物は捨てられないとのこと。船、御輿、馬車など大きな物もあり、このまま増え続けたら、いくらスペースがあっても足りないなという印象を受けた。また、物的な管理もさることながら、収集した物全てを写真にとったり、画像信号処理や、文章処理をし、膨大なデータベースを構築し、維持していくための管理が大変なことであると感じた。研究者がスライドに写してきたものを、再度画像信号処理し、そのどちらも保存しておくという二重三重の保存体制であるが、益々ハイテク化されていく時代の中で、一つの情報が、多種多様な形で記述され、全てが捨てられないまま、保存されていくことを考えると、ここのシステムの将来が、増殖細胞のようなものに思えてきた。ここでのデータベースの当面の目標は、ある物体を、三次元画像処理し、検索者が、立体画像で引き出せるシステムと、いままのキーワードによる検索を画像イメージによる検索システムの構築であるとのこと。そのためには、画像イメージを何等かな形で具現化する中間言語のようなものの開発が必要とのこと。

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開催日時
平成3年10月29日(水) 10:00〜13:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
古館、多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、幸福について様々な角度から議論した。先ず始めに、多田さんから提供されたアランの幸福論に関する資料を基に、アランの述べる幸福について考えてみた。アラン自身は、様々な立場に立って、散文的に幸福について述べているが、それらをグルーピングしてみると5段階の幸福がそこには存在していることが分かる(この資料についてはすでに配布済み)。これらの幸福の特徴は、下位の段階の幸福から上位の段階の幸福に向かうにしたがって、本人の努力や、才能との関わりが強くなり、それだけ、心の奥底に訴える感銘度が高く、幸福をより強く感じることが出来るが、どれも好ましい状態をそのまま持続できないもので、後ほど述べるような、東洋的な悟りの境地に共鳴するような幸福については述べられていない。この点に関して、多田さんから、釣り人と幸福感について次のような面白い提言があった。アランの幸福論を基にして作られた幸福の5段階説を基本にして、釣り人の幸福感を表現すると以下のようになる。釣り人の第一段階の幸福として、釣りを見て楽しむ幸福感がある。次の段階として、自分も釣りをして楽しむ幸福感。さらに、沢山釣ることによって満足を得る幸福感。四番目の段階として、大物を釣ったことによる満足感からくる幸福感。そして、五段階としては、人がなかなか釣ることの出来ない魚を釣ることの出来た喜びからくる幸福感である。さらに、アランの中には現れてこない六番目の幸福として、魚をとることに目的を感じないで、ただ魚釣りを楽しむ幸福感である。この六番目の幸福感は、日本文化の伝統である、茶道や華道、さらには剣道など、道を求めた達人の境地でもあろう。これらの幸福に関するいくつかの段階について、論語に次のような名文がある。

知る者は好む者にしかず、好む者は楽しむ者にしかず

つづきを読む

開催日時
平成3年9月25日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、基本的には幸福についてということで討議したが、出席者が三人と少なかったために、幸福にまつわる一般論的なものとどめることにした。

アランの幸福論を基本に考えると、幸福の条件にはいくつかあるが、そのなかで基本的なものは、自分の身体について意識しないこと、また、持続性のある幸福感は、受動的な享楽からよりも、自らが何かに働きかける能動的な行為のなかから感じられるものでありそうだ。幸福な気持ちと、不幸な気持ちとが錯綜する現実にあって、幸福な生活を維持するためには、不幸と感じられるものを、幸福なものに転化する知恵を磨くことも大切であろう。

つづきを読む

開催日時
平成3年8月28日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、相田、佐藤、望月

討議内容

本研究会の名称ともなっている文化について、その本質的な事柄について考えた。文化については、文化とは生き方であるとか、文化とは伝承される様式であるとか、生活様式であるとか、様々な定義付けがされているが、その基本は、人間の心にあるようだ。人間が生きる上で支えとなっている信念のようなものが、形として表現されたものが文化そのものではないだろうか。何世代もの長い年月を経て具体的な形として表現されてきたものもあるし、一人一人の生きざまとして、その人の人生の中において、行動や生活スタイルという形で表現されているものもある。

企業が、メセナ活動やフィランソロフィという言葉で、文化支援をしようという動きが活発になってきているが、日本には、元々企業が、様々な形で社会に貢献してきている伝統がある。道頓掘は、安井道頓さんが開削した堀であるし、淀屋橋は、淀屋さんが作った橋である。これらは、戦後になって経済復興が第一の目的であった時期に消え、それらがまた新しい名前のもとで現れてきたのが昨今の企業の文化支援活動である。メセナやフィランソロフィの方が響きがよいというのがあろう。また、企業が文化活動を支援することに対する日本語がなかったのかも知れない。

つづきを読む

開催日時
平成3年7月11日(木) 14:00〜17:30
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、相田、佐藤、望月

討議内容

今回は、相田朝香さんを新しいメンバとして迎え、活発な討論が行われた。ここで相田さんを紹介させて頂きますと、相田さんは、株式会社アイダの代表取締役で、真珠に関わる仕事をされています。始めは華道の先生として身を立てていこうということでしたが、真珠の美しさに魅せられてこの道に入ったとのことです。東京青年会議所の会計幹事もされていて忙しい毎日を送っていらっしゃる様子です。ご自身の多彩な経験を基に、様々な角度から豊富な意見を述べられていらっしゃいました。今後の活躍を期待しています。

この研究会も今回で七回目を迎え、過去六回の検討結果を振り返ってみると、人間の不易性に付いて様々な事柄が話し合われている。それらを見直してみると、人間の不易牲は、「幸福とは何か」、また「私達は一体何を求めて生きているのか」といったことをはっきりと?むことに関係しているようである。そして、それらを社会的にみてみるならば「企業は何を求めているのか」という問題とつながりをもってくる。これらの事を明らかにし、これからの企業はどうあるべきかを見いだして行くことがこの研究会の一つの使命でもあるような気がする。

つづきを読む

開催日時
平成3年5月31日(金)〜6月1日(土)
開催場所
円満院門跡
参加者
古館、多田、村澤、佐藤、望月

討議内容

五月雨にけむる三井寺に、今回は五名のメンバーが集まり、2050年からみた平成時代と題して討論を行った。これから約60年後、日本はどの様に変化し、人々の価値観はどの様に変化して行くのか、そして、生活の中において何が残り何が失われているのかという点を念頭において考えてみた。

先ず、家族の関係について意見が交わされた。家族に係わる問題としては、夫婦の問題、子供の問題がある。夫婦の問題の一つとして、離婚率がアップしてきているという実態がある。西欧においては、離婚することにそれほどの罪悪感を感じていないようであるが、日本においては、これまで道徳的に、離婚に対する罪悪感があった。しかし、国際化による価値観の変化、都市化が進む一方で、隣人との付き合いの希薄さから、世間体による離婚悪感も少なくなってきており、離婚に対する考え方も変化してきているようである。離婚に対する願望は、潜在的には相当多いのかも知れない。ただ、それを行動に移させないのは、個人個人の価値値観や、世間の目などが気になるなど様々なものがあろう。しかし、これらが破られるような状況になってくると、一気に離婚率が増加することも考えられる。個人的な考えであるが、離婚率を増加させないよう働く力として、一人一人の内面的な変化である自己改革があるのかもしれない。それは、宗教的なものに根ざすのか、自分自身に目覚めるのか分からないが、いままで外の世界に求めていた価値観を、自分の内面のものに向けるような働きが、離婚率を低減させる力とならないであろうか。

つづきを読む

開催日時
平成3年4月25日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、山下、望月

討議内容

今回は、科学技術の発展で、我々が得たもの失ったものについて考えてみた。科学技術のもたらしたものは、日常生活に使用しているものから、ビジネスの世界で使用しているものまで数多くあるが、その中の代表的なものの一つとして、電話を取りあげて考えてみた。

科学技術のもたらした電話の発達により、我々は日常生活の中で、手紙を通信の手段として用いることが少なくなった。電話と手紙という二つのものは、科学技術の成果と、それによって我々が何かを失ってきていることを考える上でよい題材となる。電話の発明は、空間を越えて、地球のあらゆるところから、遠く離れた人と、ほとんど即時的に会話を行うことができるようになった。科学技術のもたらしたものは、人間の欲求、この場合には、話したいという欲求を、即時に充足できるような状況を生み出したと言えよう。

つづきを読む

開催日時
平成3年3月15日(金) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、佐藤、望月

討議内容

今回は、日本人の考え方や、日本文化の根底をなしている神道のルーツについて、多田さんの資料を基に検討した。

日本人の心に、神を敬う心が現れ始めたのがいつかは定かではない。神というものの存在を信じることがひょっとしたら、人間と他の動物とを区別することなのかも知れない。しかし、何れにしても、原始時代の日本人の神に対する畏敬の念は、縄文時代にみられるように、狩猟的な生活の中で芽生えたものであろう。そして、その原型は、明治時代にはいるまで、狩猟生活を主としてきたアイヌの人達の生活の中に流れる宗教性にみることが出来る。イヨマンテの儀式は、アイヌの人達の生活を支える熊の霊をあの世に送り、また自分達の生活に熊を蘇らせることを祈る儀式でもある。そこには、永遠のリサイクルの存在がある。

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第3回 「人間の不易性」

開催日時
平成3年12月12日(木) 11:00〜18:00
開催場所
国立民族学博物館、大阪ガス エネルギー・文化研究所(CEL)、サントリー不易流行研究所
参加者
古館、多田、相田、佐藤、望月、赤川(不易流行研究所)、隅野(CEL)

討議内容

今回は、久しぶりの大阪会合であったために、古館さん、佐藤さんのお世話により、国立民族学博物館、CEL、不易流行研究所の見学、及び、見学後の感想などについて意見交換を行った。

国立民族学博物館では、情報管理施設の宇野専門員、宇治谷文部技官による説明及び館内案内を受けた。普段の見学ではなかなか見られない、博物館の裏舞台をじっくりと見学することが出来た。館内のほとんどのスペースが、世界の各地から集められた、道具、衣装、祭事品等で埋まっており、収集した物の管理のご苦労を痛切に感じた。博物館での基本方針としては、梅棹館長の言う「人が捨てるものを集める」ということらしく、一度集めた物は捨てられないとのこと。船、御輿、馬車など大きな物もあり、このまま増え続けたら、いくらスペースがあっても足りないなという印象を受けた。また、物的な管理もさることながら、収集した物全てを写真にとったり、画像信号処理や、文章処理をし、膨大なデータベースを構築し、維持していくための管理が大変なことであると感じた。研究者がスライドに写してきたものを、再度画像信号処理し、そのどちらも保存しておくという二重三重の保存体制であるが、益々ハイテク化されていく時代の中で、一つの情報が、多種多様な形で記述され、全てが捨てられないまま、保存されていくことを考えると、ここのシステムの将来が、増殖細胞のようなものに思えてきた。ここでのデータベースの当面の目標は、ある物体を、三次元画像処理し、検索者が、立体画像で引き出せるシステムと、いままのキーワードによる検索を画像イメージによる検索システムの構築であるとのこと。そのためには、画像イメージを何等かな形で具現化する中間言語のようなものの開発が必要とのこと。

つづきを読む

開催日時
平成3年10月29日(水) 10:00〜13:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
古館、多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、幸福について様々な角度から議論した。先ず始めに、多田さんから提供されたアランの幸福論に関する資料を基に、アランの述べる幸福について考えてみた。アラン自身は、様々な立場に立って、散文的に幸福について述べているが、それらをグルーピングしてみると5段階の幸福がそこには存在していることが分かる(この資料についてはすでに配布済み)。これらの幸福の特徴は、下位の段階の幸福から上位の段階の幸福に向かうにしたがって、本人の努力や、才能との関わりが強くなり、それだけ、心の奥底に訴える感銘度が高く、幸福をより強く感じることが出来るが、どれも好ましい状態をそのまま持続できないもので、後ほど述べるような、東洋的な悟りの境地に共鳴するような幸福については述べられていない。この点に関して、多田さんから、釣り人と幸福感について次のような面白い提言があった。アランの幸福論を基にして作られた幸福の5段階説を基本にして、釣り人の幸福感を表現すると以下のようになる。釣り人の第一段階の幸福として、釣りを見て楽しむ幸福感がある。次の段階として、自分も釣りをして楽しむ幸福感。さらに、沢山釣ることによって満足を得る幸福感。四番目の段階として、大物を釣ったことによる満足感からくる幸福感。そして、五段階としては、人がなかなか釣ることの出来ない魚を釣ることの出来た喜びからくる幸福感である。さらに、アランの中には現れてこない六番目の幸福として、魚をとることに目的を感じないで、ただ魚釣りを楽しむ幸福感である。この六番目の幸福感は、日本文化の伝統である、茶道や華道、さらには剣道など、道を求めた達人の境地でもあろう。これらの幸福に関するいくつかの段階について、論語に次のような名文がある。

知る者は好む者にしかず、好む者は楽しむ者にしかず

つづきを読む

開催日時
平成3年9月25日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、基本的には幸福についてということで討議したが、出席者が三人と少なかったために、幸福にまつわる一般論的なものとどめることにした。

アランの幸福論を基本に考えると、幸福の条件にはいくつかあるが、そのなかで基本的なものは、自分の身体について意識しないこと、また、持続性のある幸福感は、受動的な享楽からよりも、自らが何かに働きかける能動的な行為のなかから感じられるものでありそうだ。幸福な気持ちと、不幸な気持ちとが錯綜する現実にあって、幸福な生活を維持するためには、不幸と感じられるものを、幸福なものに転化する知恵を磨くことも大切であろう。

つづきを読む

開催日時
平成3年8月28日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、相田、佐藤、望月

討議内容

本研究会の名称ともなっている文化について、その本質的な事柄について考えた。文化については、文化とは生き方であるとか、文化とは伝承される様式であるとか、生活様式であるとか、様々な定義付けがされているが、その基本は、人間の心にあるようだ。人間が生きる上で支えとなっている信念のようなものが、形として表現されたものが文化そのものではないだろうか。何世代もの長い年月を経て具体的な形として表現されてきたものもあるし、一人一人の生きざまとして、その人の人生の中において、行動や生活スタイルという形で表現されているものもある。

企業が、メセナ活動やフィランソロフィという言葉で、文化支援をしようという動きが活発になってきているが、日本には、元々企業が、様々な形で社会に貢献してきている伝統がある。道頓掘は、安井道頓さんが開削した堀であるし、淀屋橋は、淀屋さんが作った橋である。これらは、戦後になって経済復興が第一の目的であった時期に消え、それらがまた新しい名前のもとで現れてきたのが昨今の企業の文化支援活動である。メセナやフィランソロフィの方が響きがよいというのがあろう。また、企業が文化活動を支援することに対する日本語がなかったのかも知れない。

つづきを読む

開催日時
平成3年7月11日(木) 14:00〜17:30
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、相田、佐藤、望月

討議内容

今回は、相田朝香さんを新しいメンバとして迎え、活発な討論が行われた。ここで相田さんを紹介させて頂きますと、相田さんは、株式会社アイダの代表取締役で、真珠に関わる仕事をされています。始めは華道の先生として身を立てていこうということでしたが、真珠の美しさに魅せられてこの道に入ったとのことです。東京青年会議所の会計幹事もされていて忙しい毎日を送っていらっしゃる様子です。ご自身の多彩な経験を基に、様々な角度から豊富な意見を述べられていらっしゃいました。今後の活躍を期待しています。

この研究会も今回で七回目を迎え、過去六回の検討結果を振り返ってみると、人間の不易性に付いて様々な事柄が話し合われている。それらを見直してみると、人間の不易牲は、「幸福とは何か」、また「私達は一体何を求めて生きているのか」といったことをはっきりと?むことに関係しているようである。そして、それらを社会的にみてみるならば「企業は何を求めているのか」という問題とつながりをもってくる。これらの事を明らかにし、これからの企業はどうあるべきかを見いだして行くことがこの研究会の一つの使命でもあるような気がする。

つづきを読む

開催日時
平成3年5月31日(金)〜6月1日(土)
開催場所
円満院門跡
参加者
古館、多田、村澤、佐藤、望月

討議内容

五月雨にけむる三井寺に、今回は五名のメンバーが集まり、2050年からみた平成時代と題して討論を行った。これから約60年後、日本はどの様に変化し、人々の価値観はどの様に変化して行くのか、そして、生活の中において何が残り何が失われているのかという点を念頭において考えてみた。

先ず、家族の関係について意見が交わされた。家族に係わる問題としては、夫婦の問題、子供の問題がある。夫婦の問題の一つとして、離婚率がアップしてきているという実態がある。西欧においては、離婚することにそれほどの罪悪感を感じていないようであるが、日本においては、これまで道徳的に、離婚に対する罪悪感があった。しかし、国際化による価値観の変化、都市化が進む一方で、隣人との付き合いの希薄さから、世間体による離婚悪感も少なくなってきており、離婚に対する考え方も変化してきているようである。離婚に対する願望は、潜在的には相当多いのかも知れない。ただ、それを行動に移させないのは、個人個人の価値値観や、世間の目などが気になるなど様々なものがあろう。しかし、これらが破られるような状況になってくると、一気に離婚率が増加することも考えられる。個人的な考えであるが、離婚率を増加させないよう働く力として、一人一人の内面的な変化である自己改革があるのかもしれない。それは、宗教的なものに根ざすのか、自分自身に目覚めるのか分からないが、いままで外の世界に求めていた価値観を、自分の内面のものに向けるような働きが、離婚率を低減させる力とならないであろうか。

つづきを読む

開催日時
平成3年4月25日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、山下、望月

討議内容

今回は、科学技術の発展で、我々が得たもの失ったものについて考えてみた。科学技術のもたらしたものは、日常生活に使用しているものから、ビジネスの世界で使用しているものまで数多くあるが、その中の代表的なものの一つとして、電話を取りあげて考えてみた。

科学技術のもたらした電話の発達により、我々は日常生活の中で、手紙を通信の手段として用いることが少なくなった。電話と手紙という二つのものは、科学技術の成果と、それによって我々が何かを失ってきていることを考える上でよい題材となる。電話の発明は、空間を越えて、地球のあらゆるところから、遠く離れた人と、ほとんど即時的に会話を行うことができるようになった。科学技術のもたらしたものは、人間の欲求、この場合には、話したいという欲求を、即時に充足できるような状況を生み出したと言えよう。

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開催日時
平成3年3月15日(金) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、佐藤、望月

討議内容

今回は、日本人の考え方や、日本文化の根底をなしている神道のルーツについて、多田さんの資料を基に検討した。

日本人の心に、神を敬う心が現れ始めたのがいつかは定かではない。神というものの存在を信じることがひょっとしたら、人間と他の動物とを区別することなのかも知れない。しかし、何れにしても、原始時代の日本人の神に対する畏敬の念は、縄文時代にみられるように、狩猟的な生活の中で芽生えたものであろう。そして、その原型は、明治時代にはいるまで、狩猟生活を主としてきたアイヌの人達の生活の中に流れる宗教性にみることが出来る。イヨマンテの儀式は、アイヌの人達の生活を支える熊の霊をあの世に送り、また自分達の生活に熊を蘇らせることを祈る儀式でもある。そこには、永遠のリサイクルの存在がある。

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開催日時
平成3年2月5日(火) 14:00〜17:00
開催場所
ストラーダ新宿
参加者
古館、多田、村澤、諏訪、山下、佐藤、望月

討議内容

今回は、山下さん、村澤さんが始めての参加であったために、二人の方にそれぞれ自己紹介をして頂いた。その中で、先の検討会の時にも出された、日本人とは何かという事柄が指摘された。湾岸戦争の原因の一つに、ユダヤ民族とイスラム民族の問題が横たわっていることを考えると、世界の中での一民族として日本人について、あらためて日本人が自ら考える必要性が要求されている時代になってきているのであろう。

戦後の変化をみると、物は豊かになってきているが、基本的なところは変わっていない様に思える。物を通して個性を発揮するのではなく、心の内面の中で個性を発揮する必要があるとの意見があった。このことは、現在を生きる日本人の多くが、意識的に、あるいは、無意識的に感じていることであろう。物を中心に個性を発揮しようとしてきた裏には、物を通してでは表現できない個性が押さえつけられてきたように思える。

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