- 2005-04-08 (金) 0:51
- 1991年レポート
- 開催日時
- 平成3年7月11日(木) 14:00〜17:30
- 開催場所
- サントリー(株)東京支社
- 参加者
- 古館、多田、霧島、相田、佐藤、望月
討議内容
今回は、相田朝香さんを新しいメンバとして迎え、活発な討論が行われた。ここで相田さんを紹介させて頂きますと、相田さんは、株式会社アイダの代表取締役で、真珠に関わる仕事をされています。始めは華道の先生として身を立てていこうということでしたが、真珠の美しさに魅せられてこの道に入ったとのことです。東京青年会議所の会計幹事もされていて忙しい毎日を送っていらっしゃる様子です。ご自身の多彩な経験を基に、様々な角度から豊富な意見を述べられていらっしゃいました。今後の活躍を期待しています。
この研究会も今回で七回目を迎え、過去六回の検討結果を振り返ってみると、人間の不易性に付いて様々な事柄が話し合われている。それらを見直してみると、人間の不易牲は、「幸福とは何か」、また「私達は一体何を求めて生きているのか」といったことをはっきりと?むことに関係しているようである。そして、それらを社会的にみてみるならば「企業は何を求めているのか」という問題とつながりをもってくる。これらの事を明らかにし、これからの企業はどうあるべきかを見いだして行くことがこの研究会の一つの使命でもあるような気がする。
過去六回の検討結果を基に、人間の不易と流行に付いて古館さんが要領よくまとめられ、今回はその資料を基に不易性に付いて検討した。
最も不易性が強いのは、思想や宗教など形而上の世界に関するものである。仏教の教典や、バイブルはそれらの誕生から2000年以上経った現在の私達の心にも訴えかける恒久性をもっている。それらの宗教は、様々な形で私達の日常生活の中に入り込んでいる。
精神的な面からすると、20世紀にはほとんど何も新しいものが生み出されていないように思える。また、科学の分野においては、ニュートン力学までは、素人でもよく分かるが、アインシュタイによる相対性理論や、量子力学になってくると、素人にはなかなか理解できないものになってきている。これは、ニュートン力学が、外の世界だけ扱ってきた科学であるのに対して、相対性理論や、量子力学になってくると、科学者の認識の問題と係わりをもってくるために、科学が、宗教的、哲学的なものに近くなってきているからであろう。
精神面での進化に比べたならば、物に関する進化には目を見張るものがある。これらのほとんどは科学技術がもたらしたものである。しかし、短期的には、人間に利便性をもたらしていて、進化のように見える科学技術が、果して人類に本当に幸せをもたらしたといえるのであろうか。科学技術の全くない未開の地で生活している人達に比較して、科学技術にあふれた世界で生きている人の方が本当に幸せなのであろうか。(パパラギの文明批判)科学技術が人間の幸せのために貢献しているものであるかどうかは、人間の全人格的な面から判断する必要がありそうである。
現在を生きる私達は、今まで自分の心の中に自然にもっていた善悪の判断や、危険に対する判断を失ってきてはいないだろうか。その原因の多くは、全てがルール化され、そのルールだけが絶対的な判断となって、自分の心が自然に語りかける内なる声が聞こえなくなってしまっているようだ。科学技術がより人間に近付こうとしてファジーやニューロを云云している一方で、人間の方が曖昧さの中で生きることを失いロボット化してきてしまっているようだ。日本人の持っていた曖昧さの良さが今はなくなり、オール・オア・ナッシングになってきてしまっているようだ。これは、核家族化のためか、善悪について教える年寄りが身近にいなくなってしまっていることも一因しているのであろう。また、学校教育も、ルールが絶対的なものになっていて、子供達の自由さが自然に切り取られて行ってしまっているためでもあろう。無駄をよしとしない教育や生活感がその底に働いていることも見逃せない。
これらの事は、どんなに知識で学んでも、実際にその場の中で経験してみないと分からないことが多い。情報化社会は、実体のない知識だけを植え付け、知恵を育てることに欠けてしまっているのであろう。大企業が、職場環境や生活環境を整備し社員の機嫌をとることより、本当の生きがいを持つ事の出来る社員を養成する方向に変わってきている。これも、ただ単に、社員の感性を満足させるだけの事から、社員一人一人の知恵を育てることの重要性が認識され、失われつつある知恵を廷えらせようとする動きの現れかもしれない。
人間の根本は人間愛ではなかっただろうか。子供の成長を静かに見守って上げるという親の愛が、次第に失われ、我慢することのできない親が、子供を萎縮させてしまっているのではないだろうか。人間の中に自然に伸びようとしている知恵を、ルール、強制的な教育、そして、短期的な価値観などによって、無意識のうちに摘んでしまっているように思える。
最近の傾向であるが、結婚しても子供を持たない夫婦が多くなってきている。その背景には、経済的なことや居住空間に関わる問題があるが、それ以上に、女性が自己実現的なものを目指すような傾向が強まってきているためであろう。自己実現に目覚めた人にとっては、子供を生み育てることは、自己実現を達成することとどこかしら相反するものに思えるようだ。
人間は、いつの頃から死ぬことと生きることとの間に境界線を引くようになったのかは定かではないが、自然の流れの中においては、元々は、生と死の境はなかったのではないだろうか。それが、人間が意識する世界を持つようになって、死を生の世界から区別し、死の世界を未知なる世界として考えるようになった。結婚することも、多分元々は、考えることもなく自然に行われていたのであろう。それが、近年においては、自分の結婚相手を、ただ感性と結び付けて判断するのではなく、親との関係や、学歴、育った環境、宗教や価値観などによって判断するようになってきている。そして、結婚する前から、様々な結婚生活を思い描き、それよって、結婚生活は未知なる世界と化してしまっている。自然の流れの中に、人間の意識が入り込むことによって、今までは、何とも思っていなかった世界が、未知なる世界になってしまっているようだ。また、上で述べたように、昔なら自然に子供が生まれていて、家族の生活が自然の流れの中で行われていたものが、子供を生むことに対する是非を考えることによって、それは未知の世界になってきているようだ。この様なことを考えると、人間が新しい価値観に芽生えることによって、それまでは自然に行われていたものが、大きな意味を持ってきて、ある時には、それが未知なる世界へと化して行くことになるのかも知れない。
最後の節は、当日は議論されなかったものですが、私なりの考えを補足として書いておきました(望月)。
次回の打ち合せは8月28日(水)、14:00よりサントリー東京支社にて開催の予定。
配布資料
- 不易と流行 −2050年を念頭に−
- KEY MESSAGE CATALOG VOL.2
- 企業社会とメディアの未来を考える100ワード
以上
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