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第120回 「イメージ」

開催日時
平成20年3月28日(金) 14:00~17:00
討議テーマ
イメージ
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
土岐川、下山、内田、吉野、望月

討議内容

今回は、「イメージ」と題して議論した。イメージとは一体なんだろうか。イメージは、人間だけが抱くものなのか、それとも動物や昆虫といった生き物もイメージを抱くのだろうか。イメージの定義にもよるが、私たち人間が、言葉によって自分の思いを伝えることができるのも、その根底には、話したい内容を全体で一つのものとしてとらえることのできるイメージがあるからであろう。道具の発明にしても、結果としてこれこれの機能を持った道具としての一つのイメージがあるからであろう。だから、イメージというのは、ばらばらの物をまとめて一つのものとして作り上げる何かである。そのイメージがなかったなら、私たちは、簡単な日常行動も行えなくなってしまうであろう。

たとえばここに一つのコップがあるとすると、そのコップを目は視覚像としてとらえる。形、大きさ、色合いなど視覚刺激がそのコップの特徴をとらえる。また、そのコップを手に持ったとき、今度はそのコップは触覚によってとらえられる。形、重さなどの触覚刺激がそのコップの特徴をとらえる。こうした視覚刺激、触覚刺激が、それぞれ別々な刺激としてのみあるのなら、そのコップを一つのものとしてとらえることはできないであろう。視覚でとらえたコップと、触覚でとらえたコップとが一つのものとして存在しているためには、そこには、そうした五感から入る感覚を統一して一つのものにしている何かがある。その統一されているものを一つのイメージとして私たちは把握しているのではないだろうか。

もちろん、視覚刺激から生まれる一つのイメージもあるし、触覚刺激から生まれてくる一つのイメージもあるけれど、それらのイメージを全体で一つのものとしてとらえるイメージがある。そして、その全体で一つのイメージがあるから、私たちは、日常行動を何の不便もなく営むことができているのであろう。たとえば、階段を上る行動にしても、そこには、視覚、触覚、聴覚といった感覚から入る刺激を元にして、全体で一つのイメージが浮かび上がり、そのイメージに合った次の一歩を踏み出すことになる。イメージが間違っていると、次の一歩と現実社会との間にミスマッチが起こり、足を階段から踏みはずすことになる。この五感と係わったイメージは、人間行動の基本であるが、それは、動物にも、昆虫にも当てはまることであろう。

ゴキブリは、六つの足に分散して小さな脳を持っているらしい。その分散脳が個々別々に働いていたら、ゴキブリは、全体で一つの行動ができなくなってしまう。個々の分散脳が脳としての機能を働かせながら、ゴキブリが一つの行動をとることができるのは、その分散脳からくる刺激を一つのイメージとして作り上げる力があるからであろう。こうしたことを考えると、生物が生命を維持していくためには、様々な環境とかかわりながら、全体で一つのイメージを作り上げる力が秘められているからであり、全ての生物には、イメージを生み出す力が内在していることになる。

そのことは、何も生物だけの営みではなさそうだ。たとえば、太陽系に彗星がやってきたとして、その彗星の軌跡は、太陽系の惑星全てとかかわりながら、全体で一つとなった力関係の中で一つの軌跡を描くことになる。それは、厳密にいうならば、ただ太陽系との係わりだけではなく、宇宙全ての惑星との係わりの中で、一つの軌跡を描くといってもいいであろう。彗星自身には、生物のように、意識的な世界と係わったイメージを思い描くことはできてはいないのであろうけれど、そこには、宇宙全体で、一つのものとなるイメージにも似た力が根底で作用していることは間違いない。

こうしたことを考えてくると、イメージの源には、物理的であれ、感覚的であれ、全体で一つとなる力が秘められていて、その力が、生物になって、五感と係わった全体で一つのイメージとなって進化してきたように思えてくる。そして、人間になって、そのイメージは、外部の刺激と係わったイメージだけではなく、五感と係わることのないイメージをも生み出す力を発展させたのであろう。その一つがイマジネーションといわれるものであり、記憶や概念とかかわって生み出される一つのイメージである。小説を読んだり、TVドラマに興じることができたりするのは、人間だけの持つ概念的イメージを生み出すことができるからである。機械や道具の製作にしても、この概念的イメージを生み出すことができるからであろう。そして、そこでも、やはりイメージというのは、個々ばらばらであるものを全体で一つのものとしてまとめ上げる力になっている。個々の部品をまとめて一つの機能を生み出す機械や道具を作り出しているのは、概念的イメージを作り上げることができるからであるし、言葉によるコミュニケーションにしても、単語という部分をまとめ上げて一つのイメージを作り上げることができるからである。

こうしたことを考える時、イメージというのは、生命の本質として、生きとし生けるものが生命を維持していくための根源的な力であるということになってくる。そして、このイメージ豊かな知恵者には、時空を越えた世界を思い描くことができるのかもしれない。

イメージと予測、イメージとスポーツ、イメージと芸術、イメージと科学といったようなことについては、話題には上がったけれど、時間の関係で議論することができなかった。こうした問題についても機会があったら議論することにしたい。

次回の討議を平成20年5月30日(金)とした。

以 上

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