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第22回 「言葉」

開催日時
平成29年3月10日(金) 14:00~17:00
討議テーマ
「言葉」について
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
大瀧、伊藤(雅)、木村、望月

討議内容

今回は言葉について議論した。言葉とは何ぞや?普段当たり前のものとして使っている言葉、でも、その言葉は人間だけに与えられたものであり、なぜ人間には言葉が与えられているのだろうかと考えると、不思議な思いに浸されてくる。

 長年アメリカで生活して、アメリカの企業で働いてきた木村さんは、言葉の持つ力には、主として技術と機能があるという。技術としては、相手を納得させる話術、機能としては、自分の思いを正しく相手に伝える力であり、この二つの力は、人を動かす上では大きな力になるという。こうしたコミュニケーション手段としての言葉ではあるが、ある詩人が語っているように、本当に感じたもの、本当に体験したものは言葉では伝えられないということも事実である。

こうして考えてくると、言葉と人間とのかかわりにおいて、言葉にはビジネスやちょっとした会話などで思いを伝えるための役割を持つ一方で、言葉では決して表現できない、あるいは言葉では伝えることのできない何かを人間は抱いているということになってくる。ただ、動物や昆虫の世界に目をやると、人間の使う言葉のようなものはないのにもかかわらず、仲間同士のコミュニケーションを取り合いながら、種社会を作り上げているし、群れ行動を行っている。そして、そこには人間の使う言葉などなくても、なに不自由なく生きている現実がある。

言葉と人間とのかかわりでは、言葉で伝えられるものと伝えられないものとがあるが、言葉のない動物や昆虫の世界では、言葉で伝えられないものを種としての共有した何かによって伝え合うことができているということではないだろうか。もちろんそれが鳴き声であったり、香りであったりするのであろうが、動物や昆虫たちは、種にとっての共通な心の世界を共有していて、その世界がまるでテレパシーのように個々の生物に働きかけているとも考えられる。

人間にしても、心の深いところには、心理学でいわれるように無意識の世界が広がっていて、そこにはヒト種に共通な心の世界が横たわっている。ただ、人間は、動物や昆虫たちのように、その心が直接働きかけて行動を起こさせるようにはなっていなくて、その心を意識できないために、言葉によって互いの心をつなぎあっているのではないだろうか。要するに、人間にもヒト種としての共通な心の世界が与えられているのにも関わらず、その心を意識できていないため、その代償として言葉が与えられているとも考えられる。

禅仏教の世界に不立文字という言葉がある。これは、言葉を使うことなくお互いを理解し合える心のありようだといわれているが、この不立文字の世界にたどり着くためには、悟りにも似た心の世界に心を高める必要があるらしい。その悟りの世界こそ、ヒト種としての人間が共有する心の世界を意識化した結果ということのように思える。

人間が言葉をつかえるというのは、心理学的あるいは哲学的に表現すると、人間には動物や昆虫などがもちえない概念世界を抱いているからであるといわれている。その概念の世界で、言葉によるコミュニケーションが行われ、そこでは、言葉によって生み出されるイメージや概念が行きかうことになる。その概念の世界は、時空を超えた世界とかかわってくる。文字で残された書き物は、時間を超えて後世の人たちに伝えられているし、電話やインターネットでかわす言葉は、空間の壁を取り除いている。これに対して、動物や昆虫の世界では、コミュニケーション手段としての鳴き声などは、ある空間に限定されている。空間を共有しているから、泣き声に様々な思いを込め、それが相手に伝わることになる。敵の襲来を知らせる鳴き声は、敵と空間を共有しているから鳴き声には意味がある。これに対して、人間の言葉によるコミュニケーションは、空間を超えて意味だけを伝えることができる。言葉が独り歩きしているというのは、まさに言葉による意味伝達が空間を超えて作用できるからだ。

言葉も道具も人間だけに与えられた能力によって生み出されてくるものだが、道具が使う人間によって有益なものになったり、人に害を及ぼしたりするのと同じように、言葉にしても、相手に心地よい気持ちを抱かせる言葉もあるし、相手を傷つけるものになってしまうこともある。まさに両刃の剣である。インターネットによって発展しているSNSやLINEの中で繰り広げられるコミュニケーションには、心をほのぼのとさせる言葉のやり取りがある一方で、相手を中傷する見苦しい言葉のやり取りもある。言葉が両刃の剣であることを如実に物語っている。

こうしたことを考えてくると、言葉にしても道具にしても、人間だけに与えられたものだが、使う人間によって、相手を傷つけるものになってしまうし、そこに人間と人間以外の生物との違いが秘められているように思える。要するに、人間には、エゴを基本とした営みと、もう一つ相手と協同する世界を築き上げたり、相手の心を高揚させたりという崇高なる営みとがあるということだ。言葉は、その両方に使われるが、人間に言葉が与えられた本意は、エゴを助長するためのものではなく、自他ともに、心を高め、まさに不立文字の世界に到達するための一つの手段のようにも思える。

これらの議論のほかに、言葉の響きが生命の本質とかかわっているという言霊についても議論した。

次回の討議を平成29年5月26日(金)とした。       以 上

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