ホーム > 1996年レポート > 第47回 「文化」

第47回 「文化」

開催日時
平成8年6月4日(火) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
広野、塚田、西浜、望月

議事内容

今回も前回に引続き文化について議論した。文化を培ってきたその基本には、男性の役割が大きく寄与していたように思われる。例えば、日本文化に目を向けるならば、貴族社会が支配的であった平安時代を除いて、茶道、節句、浮世絵、歌舞伎、相撲等々男性が基本になっている文化が多い。また、文化だけではなく、哲学や思想、さらには宗教もほとんどが、男性によって生み出されてきている。このことは、これまでの社会が、男性を主体とした社会であったという社会環境重視の考えもあるであろうが、その基本には、本質的な性差がありそうだ。

女性の代表として、今回参加された広野さんの考え方によると、もちろん女性も人生や、社会的な様々な事柄に悩むこともあるが、その悩みの度合が、男性ほどは執着しないらしい。女性の目からみると、なぜあんなにも男性は悩むのかといったようなことがしばしば見受けられるらしい。どうやら、男性の方が、社会の中で、また生きていく上で、女性とは違った度合で悩んでいるようだ。このことを、凧に例えて表現するならば、女性は、地にしっかりと凧糸が止められた状態の中で、風を切って舞い上がっている凧に対して、男性の場合には、糸の切れた凧のように、不安定な状態で空中をさまよっているもののようだ。その不安定さが故に、生きていることを暗黙のうちに考え、悩んでしまうのかも知れない。そして、その不安定さの度合の大きさと、意志力との強さが、聖人として傑出した人間を生み出してきたのではないだろうか。このような人生に対する煩悶との戦いの中から、儀式、作法、芸術作品と言うものが生まれてきた。そして、それらのものは、風土の中で育まれた民族特有の美意識と結び付いて、文化と言われるものに高められてきたものと考えられる。そして、これらの文化的要素を文化たらしめて行くためには、文化を形作る人と、文化を推進する人が必要なようだ。人類の歴史を見てみるならば、芸術家と、その芸術作品を美として感じる目を持つ社会的リーダーが必要であったことは間違いないであろう。

しかし、はたして文化とはそのように、堅苦しいものなのであろうか。日本文化を例えば考えてみるとき、その文化は、仏教美術を保存する京都や奈良だけにあり、茶道や華道と言った儀式的なものの中だけにあるのであろうか。もしそうだとするならば、日本文化と言うものは、日本人の日常生活の中にあるのではなく、特定な場所や、特定な人の中にだけあるものとなってしまい、日本人の心の中には根ざしていないものになってしまう。確かに、上で述べたような、宗教心を求めてのプロセスの中から生まれてきた、芸術的なものを基本としたものも文化であることには間違いないであろう。しかし、文化には、もう少し、民族一人一人の心の深いところを流れている形には見えないけれども感じることの出来る何かであるような気がする。

田舎の田園風景として、農夫達が、手を休め、畦道でお茶を飲む風景も、日本文化を表現しているもののように思えるし、日本人が日常生活の中で交わす挨拶一つを取っても、そこには日本文化が表現されているのではないだろうか。各家にある庭のデザインにしても、観葉植物への思い入れにしても、畳の間にしても、そこには、日本文化そのものが醸し出されている。このことを考えて来ると、文化とは、なにも文化財や文芸作品の中だけにあるのではなく、人々の心の中に流れている美意識のように思えてくる。

文化の要素としては、それが人間の論理的な表現ではなく、非日常的な心と深く係わっているように思える。日常の忙しさの中で、一息つける何かが文化そのもののように思える。先ほどの畦道でお茶を飲む農夫にしても、働く手を休め、解放された心の世界を互いに語り合う一つの場がそこには表現されている。また、非日常的な世界を演出するお祭りにしても、阿波踊りとして表現する日本人の祭りと、リオのカーニバルのように表現する南米の祭りとは、心の基本は同じではあっても、その表現する形の中に、各民族特有な美意識が働いていて、それが文化と言われるイメージを醸し出しているのである。

西欧音楽では、1オクターブを12の音階に分けているが、中国音楽では、88にも分けているらしい。同じ音との係わりにおいても、民族の感性の違いがあり、その感性の違いが、音楽という文化的な表現に、民族差を感じさせる源となっている。

アフリカのボディ社会の生活を研究した文化人類学者福井勝義氏によると、ボディ社会には、牛の身体の様々な色模様に対して、特有な呼び名が与えられているらしい。ボディ社会で、子供が誕生すると、一人一人に固有の色模様が与えられる。この命名に似た固有の色模様をモラレと呼び、その子の一生に大きな係わりを持って行くアイデンティティの対象になる。この子が成人するとき、この子は、自分のモアレを持つ牛を求めて捜しまわる。こうして何日も捜しまわりながら、やっとその牛を求め、その牛を譲り受けることを願う。飼い主は、モアレの意味を十分に理解しているために、その子のために快くその牛を手放すという。その子は、その子のモアレを持つ牛を、まるで自分であるかのように、アイデンティティを見いだして行くのだそうだ。ここにも、芸術とは異なった形の文化が脈々と流れているのではないだろうか。

そういえば、日本の、七五三、ひな祭り、子供の節句など、季節毎の祝い事も、すべて日本文化と言えるであろうし、結婚式や、結婚披霜宴などにも、各国毎の文化が表現されているようだ。そして、それぞれの民族が、その心の根底に、これらの文化の源を持っているが故に、そこには、民族としての共通した美意識と、価値観が横たわっているのではないだろうか。文化は、一日にして出来上がるものではなく、長い民族の歴史の中で静かに培われてきたものであり、文化的表現の中に、民族の歴史が表現されていると言えよう。

民族の文化を形作る心のレベルとは異なるが、やはり人間の心の中に横たわっている共通したものとして、各企業の中で培われた企業文化、都市の中で培われた都市文化、各地方で培われた地方文化など様々な文化が生まれてこよう。そして、最も小さな人間文化として、先祖と家族と共に培ってきた家庭文化があるのかも知れない。

次回は、今月ヨーロッパ文化を研究するため、イギリス、オーストリア、チェコなどを歴訪される古館さんのヨーロッパ文化研究報告を議論の切口として、もう一度文化を考えてみたいと思います。

次回の開催日を7月18日(木)とした。

以上

コメント:0

コメントフォーム
情報を記憶する

ホーム > 1996年レポート > 第47回 「文化」

このサイトについて
月別アーカイブ
最近の投稿記事
最近のコメント

Page Top