ホーム > 1996年レポート > 第48回 「文化」

第48回 「文化」

開催日時
平成8年7月18日(木) 14:00〜17:00
開催場所
KDD目黒研究所
参加者
古館、多田、広野、塚田、尾崎、西浜、望月

議事内容

今回は、古館さんから、ヨーロッパ文化視察旅行で調査し、また感じたヨーロッパ文化について基調講演をいただき、その後、改めて文化について議論した。

ヨーロッパ諸国は、全体的に文化に対する関心が高く、文化に係わる事業費が日本の数倍から10倍ほどになっている。また、文化との係わりにおいて、これまでの文化財保護といった係わりから、新しい文化を創造する働きが強まっている。新しい文化の創造の一つとして、若い芸術家を育てようとする動きがあり、様々な文化活動に対して賞を企画したり、格安な料金で観劇できる場を多く与えているという。ウィーンのオペラハウスでは、観劇するには最も良い場所であるローヤルボックス席の下を、格安な立見席にして、お金のない若者達にも、観劇できる機会を与えているとのこと。

伝統的な都市景観を崩すことなく、近代的な建築物を調和させて築き上げていこうという動きもかなり目につくようだ。また、新しい建物を作って、その景観について、世界中の人々に議論してもらうような場を持ったりもしている。とにかく、日本のように、都市計画が機能主体なものではなく、都市全体の景観をデザインしていこうとする考え方がいたるところで見られたとのこと。

ハイテクと称して、様々な科学技術を商品化している日本やアメリカと違い、ヨーロッパは、ハイテクはともかくとして、文化・芸術の先端を走る続けるのかも知れない。

この討議会場であるKDD目黒研究所から見る東京の景色の何と雑多なことか。そこには美的センスのかけらも感じられない。なぜ日本、特に東京の景観は、ヨーロッパの主要都市の景観と比較して、こんなにも雑多になってしまったのだろうか。日本人と、西欧人との民族差とも考えられないことはないが、日本の伝統を持つ京都や奈良の都市は、それなりに、東京とは違って、美しい都市景観を残しており、日本人も、元々は、都市空間に対して、美的感覚を持つ民族であったように思う。このことを考えると、東京の雑多さは、都市としての伝統のないところに、欧米の機能だけが移入され、機能本意な建物が雑多に建築されてきたことによるのであろう。

このことは、先に討議した日本人とはというテーマの時の話題とも重なるが、西欧音楽や科学技術を移入する状況とよく似ている。西欧音楽や科学技術が生まれてきた根底には、西欧という風土が目に見えないところにあって、その風土が、生活する人々の心の深層に、ある共通した世界を作っている。これらの心の深層と係わりながら、西欧人は、西欧音楽や科学技術を生活の中に取り入れ、育んできた。そこには、単に機能だけがあるのではなく、生活する人の中に暗黙に流れている生命と非常に密接な係わりがある。しかし、日本人は、これらの目に見えない心の深層を切り落とし、目にはっきりと見える横能だけを移入してきてしまっているところに、東京の都市景観の雑多さがあるように思える。また、新しい機能を持った建築物が入ってきても、そこには、京都や奈良のように長い伝統がないために、生活する人達が、都市景観に対して、意識的に働きかけるということをあまりしていないようだ。

また、これも日本人とはということと係わりがあるが、日本人は、無意識的に、自身の身近な所には関心を強く抱くのにも係わらず、社会のように大きな世界に対しては、あまり関心を持とうとしない。家周りに対しては、きちんと気を使っているのに対して、公園とか、都市景観とかになるとあまり積極的ではない。このことは、政治に対する関心の低さとも係わっているように思える。また、日本の公共事業が、機能を主として追求し、文化的なものとの係わりが薄いことの一つの要因として、いわゆるエリートとして、官公庁のリーダになる人達の感性が貧しいと言うことも上げられよう。どちらかというと、権威、権限が主流となるデジタル的な世界においては、文化というアナログ的なものへの価値は認め難い風潮が流れているのかもしれない。権限を持つ人達が、文化に対して関心を持たない限り、文化の芽は育ちにくいのではないだろうか。

西欧にしても、日本にしても、文化が花開いたときには、貴族や将軍といった階級の人達が、文化に強い関心を抱いていた。ただ生活できる機能が満たされているということだけではなく、そこには、権力者の美意識がはっきりと表現されていたように思う。そして、これら権力者が宗教とも深く係わっていたということも文化との係わりにおいて、重要な視点ではないだろうか。

西欧文化の多くが、キリスト教や、ギリシア神話などと深く添わっているように、また、日本文化の多くが、仏教と何等かな係わりを持っているように、文化や芸術と、宗教とは深い係わりがありそうだ。日本古来の宗教である神道にしても、そこには、木を基調とした神社の持つ建築美がある。そして、視覚だけに訴える美だけではなく、檜の持つ甘い香りが臭覚美としても表現されている。代表的な宗教都市である京都や奈良は、日本の風土、日本人の宗教心と深く係わった都市景観が育まれていたのである。宗教心は、一人一人飢らを清らかにさせ、美しいものを生み出すエネルギーが秘められているのであろう。これらのことを考えると、東京の雑多な景観は、それだけ、東京が宗教を忘れた都市になっていることの象徴かも知れない。そして、宗教心の枯渇した都市、それは一人一人の心の問題であるが、生命のない砂漠化した都市になっていることでもある。

経済競争のまっただ中にあって、企業は、アナログ的な価値観を切り捨て、機能重視な体制へと益々スピードを早めている。世の中の変化が激しく、年輩者の経験がものを言わなくなってきている現状にあって、40代以上の多くの人達が、企業の中で悩み始めている。高齢化が、必ずしも70才以上の問題ではなく、企業においては、40才代ですでに高齢化となってきている。これらの現状を考え、次回は、企業活動、趣味、生きがい、経済等々と係わりながら、「老い」について様々な角度から議論したいと思います。

次回の開催日を9月25日(水)とした。

以上

コメント:0

コメントフォーム
情報を記憶する

ホーム > 1996年レポート > 第48回 「文化」

このサイトについて
月別アーカイブ
最近の投稿記事
最近のコメント

Page Top