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第74回 「環境」

開催日時
平成12年7月7日(金) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、山崎、市川、椙岡、大原、松本、大滝、篠原、望月

討議内容

今回新たに、大滝さんと篠原さんが参加してくれました。大滝さんは現在(株)日本無線に勤務されていて、趣味としては、ケーキや和菓子を作ることだそうです。篠原さんは、(株)ベルシステム24に勤務されていて、趣味は、テニス、スキー、ヨガや仏教書に関心があるとのことです。若い二人が、この会に新たな風を吹きこんでくれることを期待しています。

今回は環境に関して議論した。環境には、人間が主体となって係わる環境と、動物や植物など人間以外の生物が係わる環境とがありそうだ。そして、生物の誕生から人類の誕生への営みは、後者の環境の中で育まれた生命の進化であり、その環境は、ダーウィンの説く突然変異と自然淘汰による生命進化の自然淘汰と深く係わってくるものである。生命の進化は、まるで赤ちゃんが母親の胸の中で育まれるように、環境という胸の中で育まれてきた。そして、人間になって意識が芽生え、その意識との係わりの中から、人間主体の環境が新たに生まれてきた。社会環境、家庭環境、教育環境、職場環境等々は、人間が生み出してきた人間の作る環境である。

生命進化と深い関わりのある自然環境には、太陽光、空気、水といったエネルギーと係わる環境と、もう一つ、種の棲み分けに見られるように、生物そのものによって作られる環境とがある。いずれにしても、これらは、切り取ることのできないものであり、あたかも、宇宙に存在する惑星や恒星が、引力によって互いに結びつけられているように、全体を一つのものとして係わらせているものである。そして、新たに誕生した新星が、元々ある宇宙の調和の中で、それらと調和を保ちながら自らのあるべき位置におさまっているのと同じように、新たに誕生した生物は、生物が作る環境全体の中で、自らの生きるべき場所を確保していて、それが種の棲み分けとなっているものと考えられる。このように考えてくると、生物の持つ棲み分け本能には、まさに引力そのものと合い通じるものがあり、引力を生み出している根源的な力が、生物の棲み分けを生み出す力と深く係わっている、いやむしろ、生命の根源的なものそのものが、棲み分けを生み出す力となっているようにも思えてくる。

このように、人間以外の生物の営みは、生命の根源的力によって、互いに調和した環境の中で生命を育んでいるのに対して、人間と係わる環境は、人間になって芽生えた意識との係わりで、それらの環境とは異なった様相を呈してくる。すなわち、人間と係わる環境は、棲み分けを生み出している生物が共通に持つ環境へのある指向性を無意識の世界で感じていながら、それを具現化するときに、意識が係わってくるということである。そして、その意識の僕として言葉と道具がある。すなわち、人間になって、環境は、言葉や道具とも係わる環境へと進化したのである。言葉と主に係わる環境としては、社会環境とか、家庭環境とか、教育環境といったものがあり、これらはコミュニケーションと深く係わってくる環境である。これに対して、道具と係わる環境としては、生活環境のように、水道、ガス、電気、通信、交通機関といったいわゆるライフラインと呼ばれるものがある。

言葉と係わる環境は、心の世界と直接係わる環境であるのに対して、道具と係わる環境は、肉体的な意味で生命を維持する環境であると言える。これまでの時代は、この肉体的な意味で生命を維持する環境だけが、環境破壊と深く係わってきていたが、環境が次第に内面的世界と係わってくるに従って、心の環境破壊が目立つようになってきている。学級崩壊、家庭崩壊といった現象は、心の環境破壊が始まっていることを物語っていよう。

人類は、言葉と道具とによって、自らが生きやすい環境へと環境を変えてきた。その変革には、生物の根底に流れている調和への指向力が無意識に働いていた。その力が、自然を神としてあがめ、水を浄め、自然を大切にさせてきていた。しかし、人間の意識が、我欲によって強く縛られてくるに従って、無意識からの自然調和の力が感じられなくなり、自然の力から遊離した環境が作られて来るようになった。その結果として、環境破壊が生まれてきているのではないだろうか。人間が手にした道具と言葉が、自然調和から遊離した形で用いられたり、自然調和を生み出す力として活用されなかったりするに従って、環境破壊が生まれてきているのである。

新星が誕生しても、その新星は、引力によって、宇宙の調和の中に組み込まれていく。それと同じように、人類の誕生も、宇宙の調和の中で生きていけるように、言葉と道具が与えられ、それによって人類の生命は維持されてきた。しかし、ここにきて、その調和は、人類の我欲によって壊されはじめているのではないだろうか。その壊れかけた調和を取り戻し、人類が生き生きと生きていけるための環境を生み出すためには、我々一人一人が、無意識の世界から呼びかけられている宇宙調和の力に意識の明かりをともすことが大切なのである。

これらのことを考えてくると、環境とは、生命と深く係わる係わりであり、その根底には、宇宙を一つのものとして結び合わしている生命力が横たわっているように思える。そして、宇宙調和こそ生命活動であり、宇宙調和からのひずみは、環境破壊と結びつき、生命を破壊する営みとなってしまうものなのであろう。

環境というのは論理的ではない世界、全体で一つとして感じさせる世界である。その感じる世界のことを、論理的な手段によって解決しようとしているのが現代社会ではないだろうか。教育環境を良くしようとして、新たな科目を考え出したり、インターネットを導入したりというのは、環境の本質を捉えていないことから来る発想である。環境という非論理的な世界を正していくためには、一人一人が、自らの無意識からの呼びかけに耳を傾けることが大切なことではないだろうか。そして、その無意識からの呼びかけに調和した形で、言葉が使われ、道具が使われるとき、人類は、より生命力に満ちた環境を手にすることができるのではないだろうか。

次回の開催を9月22日(金)とした。

以 上

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