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第13回 「変化」

開催日時
平成4年3月27日(金) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、佐藤、望月

討議内容

今回は前回に引続き、変化について、時間を切口にして考えることを試みた。しかし、時間について考え始めると、時間とは一体なんであるのかという最も基本的であり、最も難解な哲学的な問題が根底にあり、言葉の遊戯に陥る危険性があるため、余り肩を張らず、時間と変化に関する事柄についてざっくばらんに話しあった。

我々の感覚の中でとにかく言えることは、社会の時間感覚、あるいは時間の進み方が非常に速くなっているということである。例えば、家電製品にしても、機能やデザインなどの変化は著しく、同じ機能を持っていても、短期間の間に、感覚的には古いものになってしまう状況におかれている。車のモデルチェンジにしても消費者の変化に対するあくなき欲求を駆り立てるような行いである。また、広告にしても、隣の車が小さく見えますといったように、生活者の不満を起こさせ、その反動で消費意欲を駆り立てるような状況になってきている。しかし、このような状況の中で、消費者自身、欲求のあくなき追求が、もはや、それぞれの生活を心の底から潤すことができないことを次第に感じ始めてきている。ベンツが人気をよんでいるのは、それがただ高級車としてのステイタスシンボルと言うだけではなく、そこに、車の究極の形を追い求めるプロセスが表現されているからであろう。時代時代の流行に追われず、究極の何かを求めようとする設計者、経営者の哲学がベンツの中に表現されていることを、消費者は、無意識のうちに感じ取っているのであろう。このようなことを考えると、多品種少量生産を金科玉条のごとく追い求め、そこになんのフィロソフィも持たなかった日本人こそバブル民族と言えないだろうか。これからの消費社会は、生活者の欲求不満を駆り立てて消費行動を促せるようなあり方ではなく、商品を提供する例の商品を通してコミュニケートする哲学が問われる時代になってきているといえよう。

変化の速さは、ただ単に、物だけの世界だけではなく、東欧諸国の革命や、ソ連の崩壊、そして、東南アジアの人達の日本への移入にみられるように、社会的な現象の上でもおきている。自由主義国の経済成長や、日本の生活状況などが、地球上を張り巡らしている情報ネットワークによって、地球上のあらゆる人々に伝わるという環境が、変化を促す大きな原動力になっている。情報は、人の行動の動機付けになるが故に、情報の多さ、そして、その伝達スピードが、社会の変化を早めているといえよう。確かに昔も多くの情報が伝達されていたのであろうが、その多くは、日常生活と密接な関わりをもつ情報ではなかっただろうか。現在は、日常生活と関わりをもつことの少ない情報があまりにも多く飛び交っているのではなかろうか。そして、この情報の多さは、人間をして、時間に追われる状況を起こさせ、その結果として、人間の最も人間らしい考えるという心のゆとりを失わせているように思える。また、情報の恐ろしさは、情報を捕らえるものの心に大きな偏見を作りかねないということである。情報の出来上がってくるプロセスを知らないものにとっては、テレビ画面を通して、あるいは、活字を通して感じる情報を全てであると思い込んでしまう。そこに情報化時代の恐ろしさが潜んでいるように思える。

以上のように、人間社会を変えて行く基本的なものに情報があり、それとの関わりの中で我々は時間を感じているのかもしれない。社会的変化となって現れてくる時間と、人間の精神世界の中で感じる時間とが存在しているように思える。次回には、情報との関わりで、変化と時間とを考えてみることにしたい。

この研究会で議論したことを、今までのようにただまとめるだけではなく、参加者各自の意見をも加えて、小雑誌的にまとめて残しておくことが必要であろうということが、アフター研究会の話の中で提案された。これらが蓄積されることによって、ここで検討された事柄が、人間文化研究会という枠を越えて、社会に羽ばたいていくことにもなり、貴重な提案であると思われる。この点に関しては、次回検討したいと思います。

次回の開催予定日を4月23日(木)とした。

配布資料

  • CEL 17号 特集「時間」
  • CEL 18号 特集「ジオカタストロフィ」
  • 観燃可燃品
  • 流行と不易の意味(コミュニケーション)

以上

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