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1992年レポート

第19回 「美」

開催日時
平成4年12月17日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー (株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、「美」をテーマに話し合った。美の一つの形態として、「Simple is best.」と言う簡素化されたものに感じる美がある。この簡素化された美に対する共鳴が、日本文化を形作ったものの一つとして茶の文化がある。清潔を尊び、静寂な中で微かに響く茶釜の音、派手さを極力避けた茶器や衣装、明る過ぎず、暗過ぎもない採光。これらは、不必要なものを極力避けた静の中に醸し出された美といえるのかも知れない。そして、これらは、自然が与えてくれる美とは異なり、人工的に作られたものに対して感じる美であり、これらの美の原点には、禅仏教の根底をなしている無意識を意識化させる心の向上が働いているように思える。人工的に作られたものではあるが、そこには自然そのものになりきった、意識された心がある。日本庭園にしても、華道にしても、その極みは、何気なく感じ取っている自然、それを感じる心の無意識の世界を意識化させた目覚めた人間の存在があるように思える。

これらの美の存在を考えると、我々が感じる美には全く異なった二つの美があることに気付く。一つは、人間として生まれたことの中にすでに潜在的に存在している美を感じる心に共鳴する美であり、本性的な美と表現できるものである。美しい景色に接し美しいと感じ、快い音色に美しいと感じる心である。もう一つは、努力あるいは修行と表現した方がいいのかも知れないが、自分を自然のままに放置しておくのではなく、自らの意志で、自分自身の中に秘められている知恵を開拓することによって見えてくる美である。この美は、茶室や、日本庭園を生み出す原動力となった美である。そして、前者の美は、直感的な感性に直接働きかけるのに対して、後者の美は、無意識を意識化させた心だけに感じることのできる美である。言葉を変えて表現するならば、前者の美は、鑑賞者の美であり、後者の美は芸術家の美といえるのではなかろうか。前者の美の中には、五感を通して感じる刺激そのものが直接的に我々の感性に働きかけてくるのに対して、後者の美は、それを生み出した人の心と共鳴することによって感じる美である。前回の討議の時に話題になった、ダリの絵画に対する山田さんの美の変化は、まさに前者の美(始めはギョットしたものを感じた)から、後者の美(人間全ての中に共通に潜む自分ではなかなか気付くことのない自分を表現できたダリの透徹した心を感じたとき、その絵画を何とも言えず、美しいと感じることが出来た)への推移を表現されていたように思える。そして、我々の美が、前者の美に留まっている間は、その美を共通した美として誰しもが感じることが出来るが、後者の美に対しては、極少数の人にしか共鳴できない美となるのである。まさに、みんなに見える美と、特定の人にしか見えない美である。

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第18回 「美」

開催日時
平成4年12月17日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー (株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、「美」をテーマに話し合った。美の一つの形態として、「Simple is best.」と言う簡素化されたものに感じる美がある。この簡素化された美に対する共鳴が、日本文化を形作ったものの一つとして茶の文化がある。清潔を尊び、静寂な中で微かに響く茶釜の音、派手さを極力避けた茶器や衣装、明る過ぎず、暗過ぎもない採光。これらは、不必要なものを極力避けた静の中に醸し出された美といえるのかも知れない。そして、これらは、自然が与えてくれる美とは異なり、人工的に作られたものに対して感じる美であり、これらの美の原点には、禅仏教の根底をなしている無意識を意識化させる心の向上が働いているように思える。人工的に作られたものではあるが、そこには自然そのものになりきった、意識された心がある。日本庭園にしても、華道にしても、その極みは、何気なく感じ取っている自然、それを感じる心の無意識の世界を意識化させた目覚めた人間の存在があるように思える。

これらの美の存在を考えると、我々が感じる美には全く異なった二つの美があることに気付く。一つは、人間として生まれたことの中にすでに潜在的に存在している美を感じる心に共鳴する美であり、本性的な美と表現できるものである。美しい景色に接し美しいと感じ、快い音色に美しいと感じる心である。もう一つは、努力あるいは修行と表現した方がいいのかも知れないが、自分を自然のままに放置しておくのではなく、自らの意志で、自分自身の中に秘められている知恵を開拓することによって見えてくる美である。この美は、茶室や、日本庭園を生み出す原動力となった美である。そして、前者の美は、直感的な感性に直接働きかけるのに対して、後者の美は、無意識を意識化させた心だけに感じることのできる美である。言葉を変えて表現するならば、前者の美は、鑑賞者の美であり、後者の美は芸術家の美といえるのではなかろうか。前者の美の中には、五感を通して感じる刺激そのものが直接的に我々の感性に働きかけてくるのに対して、後者の美は、それを生み出した人の心と共鳴することによって感じる美である。前回の討議の時に話題になった、ダリの絵画に対する山田さんの美の変化は、まさに前者の美(始めはギョットしたものを感じた)から、後者の美(人間全ての中に共通に潜む自分ではなかなか気付くことのない自分を表現できたダリの透徹した心を感じたとき、その絵画を何とも言えず、美しいと感じることが出来た)への推移を表現されていたように思える。そして、我々の美が、前者の美に留まっている間は、その美を共通した美として誰しもが感じることが出来るが、後者の美に対しては、極少数の人にしか共鳴できない美となるのである。まさに、みんなに見える美と、特定の人にしか見えない美である。

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開催日時
平成4年10月16日(金) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、先の討議の時に提案された「美」をテーマに話し合った。 一言で「美」といっても、その概念には、曖昧さと、その意味するものの広さとがあるということをあらためて考えさせられた。何をもって美の本質とするかは、永遠のテーマでもあろうが、かといって、その意味するものの広さを無茶苦茶な形で議論することは、言葉のお遊びだけで終わりかねないということもあって、この研究会での議論をある程度共通した土俵の上で進めるために、多田さんがメンバーに配布してくれた「倫理用語集」の中にある「美」についての解説を参考にして話を進めた。その用語集では美の解説として、以下のように述べている。

「人生の中で求められる独自の価値、芸術的価値とも言われる。徳を探求したソクラテスは、よく生きることと美しく生きることは同じであるといい、善美に生きることを大切にした。イデア論を展開したプラトンは、美のイデアは唯一永遠であり、エロスは精神的な善・美にむかうという。美は肉体的の美しさを表すだけでなく、精神的な美しさを表現する。美を探求することは人生を豊かで充実したものにする。」

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第17回 「情報(見えない情報)」

開催日時
平成4年12月17日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー (株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、「美」をテーマに話し合った。美の一つの形態として、「Simple is best.」と言う簡素化されたものに感じる美がある。この簡素化された美に対する共鳴が、日本文化を形作ったものの一つとして茶の文化がある。清潔を尊び、静寂な中で微かに響く茶釜の音、派手さを極力避けた茶器や衣装、明る過ぎず、暗過ぎもない採光。これらは、不必要なものを極力避けた静の中に醸し出された美といえるのかも知れない。そして、これらは、自然が与えてくれる美とは異なり、人工的に作られたものに対して感じる美であり、これらの美の原点には、禅仏教の根底をなしている無意識を意識化させる心の向上が働いているように思える。人工的に作られたものではあるが、そこには自然そのものになりきった、意識された心がある。日本庭園にしても、華道にしても、その極みは、何気なく感じ取っている自然、それを感じる心の無意識の世界を意識化させた目覚めた人間の存在があるように思える。

これらの美の存在を考えると、我々が感じる美には全く異なった二つの美があることに気付く。一つは、人間として生まれたことの中にすでに潜在的に存在している美を感じる心に共鳴する美であり、本性的な美と表現できるものである。美しい景色に接し美しいと感じ、快い音色に美しいと感じる心である。もう一つは、努力あるいは修行と表現した方がいいのかも知れないが、自分を自然のままに放置しておくのではなく、自らの意志で、自分自身の中に秘められている知恵を開拓することによって見えてくる美である。この美は、茶室や、日本庭園を生み出す原動力となった美である。そして、前者の美は、直感的な感性に直接働きかけるのに対して、後者の美は、無意識を意識化させた心だけに感じることのできる美である。言葉を変えて表現するならば、前者の美は、鑑賞者の美であり、後者の美は芸術家の美といえるのではなかろうか。前者の美の中には、五感を通して感じる刺激そのものが直接的に我々の感性に働きかけてくるのに対して、後者の美は、それを生み出した人の心と共鳴することによって感じる美である。前回の討議の時に話題になった、ダリの絵画に対する山田さんの美の変化は、まさに前者の美(始めはギョットしたものを感じた)から、後者の美(人間全ての中に共通に潜む自分ではなかなか気付くことのない自分を表現できたダリの透徹した心を感じたとき、その絵画を何とも言えず、美しいと感じることが出来た)への推移を表現されていたように思える。そして、我々の美が、前者の美に留まっている間は、その美を共通した美として誰しもが感じることが出来るが、後者の美に対しては、極少数の人にしか共鳴できない美となるのである。まさに、みんなに見える美と、特定の人にしか見えない美である。

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開催日時
平成4年10月16日(金) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、先の討議の時に提案された「美」をテーマに話し合った。 一言で「美」といっても、その概念には、曖昧さと、その意味するものの広さとがあるということをあらためて考えさせられた。何をもって美の本質とするかは、永遠のテーマでもあろうが、かといって、その意味するものの広さを無茶苦茶な形で議論することは、言葉のお遊びだけで終わりかねないということもあって、この研究会での議論をある程度共通した土俵の上で進めるために、多田さんがメンバーに配布してくれた「倫理用語集」の中にある「美」についての解説を参考にして話を進めた。その用語集では美の解説として、以下のように述べている。

「人生の中で求められる独自の価値、芸術的価値とも言われる。徳を探求したソクラテスは、よく生きることと美しく生きることは同じであるといい、善美に生きることを大切にした。イデア論を展開したプラトンは、美のイデアは唯一永遠であり、エロスは精神的な善・美にむかうという。美は肉体的の美しさを表すだけでなく、精神的な美しさを表現する。美を探求することは人生を豊かで充実したものにする。」

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開催日時
平成4年9月9日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、広野、望月

討議内容

今回は、新たなメンバーとして、ダイヤル・サービス(株)の広野優子様に参加していただきました。広野様は、栄養学に関する研究所に勤務の後、ダイヤル・サービス(株)に12年間勤務されています。その間、7年ほど、電話相談員としての経験を持ち、電話を通して見えてくる現在世相の裏と表について豊富な見識をお持ちの方です。豊かな経験をベースに、人間文化研究会に、新しい見解を提供していただけるものと期待しています。

今回は、前回に引続き、見えない情報ということをテーマに話合った。見える情報と、見えない情報というものを簡単な言葉で表現するならば、「見る」ということと「観る」ということに帰するのではないか。見える情報と言うのは、五感を通して与えられた情報に対し、習慣や、世襲的に出来上がってしまっている世俗的な価値観や観点から物事を捉えることによって、その情報の意味を把握しているのに対して、見えない情報と言うのは、五感を通して与えられた情報に対して、それを自らの中にある知恵によって咀嚼(そしゃく)することによって新たに見えてくる情報と言えよう。「見る」ということが、本性的、あるいは受動的情報取得であるとするならば、「観る」ということは、知恵的であり、能動的情報取得であるといえよう。従って、人間が、他人に依存したり、物に依存したりするにつれて、自らの内なる世界を内観しようとする知恵が内に追いやられてしまい、見えない情報を感知することの出来る知恵を育むことが出来なくなってしまうのであろう。ダイヤル・サービスへの相談の中には、知恵を育むことが出来なかったことによる、見えない情報を求めてくるケースも間々あるという。高岡様の考えを引用するならば、世の中が便利になることの裏側には、人間が物や機械、そして、社会に対して依存度が高くなってくる。この他者に対する依存症が、便利に対する見えない情報として働いていて、外面的な便利さとは裏腹に、内面的な世界の崩壊が始まっているとみることも出来よう。

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第16回 「情報(見えない情報)」

開催日時
平成4年12月17日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー (株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、「美」をテーマに話し合った。美の一つの形態として、「Simple is best.」と言う簡素化されたものに感じる美がある。この簡素化された美に対する共鳴が、日本文化を形作ったものの一つとして茶の文化がある。清潔を尊び、静寂な中で微かに響く茶釜の音、派手さを極力避けた茶器や衣装、明る過ぎず、暗過ぎもない採光。これらは、不必要なものを極力避けた静の中に醸し出された美といえるのかも知れない。そして、これらは、自然が与えてくれる美とは異なり、人工的に作られたものに対して感じる美であり、これらの美の原点には、禅仏教の根底をなしている無意識を意識化させる心の向上が働いているように思える。人工的に作られたものではあるが、そこには自然そのものになりきった、意識された心がある。日本庭園にしても、華道にしても、その極みは、何気なく感じ取っている自然、それを感じる心の無意識の世界を意識化させた目覚めた人間の存在があるように思える。

これらの美の存在を考えると、我々が感じる美には全く異なった二つの美があることに気付く。一つは、人間として生まれたことの中にすでに潜在的に存在している美を感じる心に共鳴する美であり、本性的な美と表現できるものである。美しい景色に接し美しいと感じ、快い音色に美しいと感じる心である。もう一つは、努力あるいは修行と表現した方がいいのかも知れないが、自分を自然のままに放置しておくのではなく、自らの意志で、自分自身の中に秘められている知恵を開拓することによって見えてくる美である。この美は、茶室や、日本庭園を生み出す原動力となった美である。そして、前者の美は、直感的な感性に直接働きかけるのに対して、後者の美は、無意識を意識化させた心だけに感じることのできる美である。言葉を変えて表現するならば、前者の美は、鑑賞者の美であり、後者の美は芸術家の美といえるのではなかろうか。前者の美の中には、五感を通して感じる刺激そのものが直接的に我々の感性に働きかけてくるのに対して、後者の美は、それを生み出した人の心と共鳴することによって感じる美である。前回の討議の時に話題になった、ダリの絵画に対する山田さんの美の変化は、まさに前者の美(始めはギョットしたものを感じた)から、後者の美(人間全ての中に共通に潜む自分ではなかなか気付くことのない自分を表現できたダリの透徹した心を感じたとき、その絵画を何とも言えず、美しいと感じることが出来た)への推移を表現されていたように思える。そして、我々の美が、前者の美に留まっている間は、その美を共通した美として誰しもが感じることが出来るが、後者の美に対しては、極少数の人にしか共鳴できない美となるのである。まさに、みんなに見える美と、特定の人にしか見えない美である。

つづきを読む

開催日時
平成4年10月16日(金) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、先の討議の時に提案された「美」をテーマに話し合った。 一言で「美」といっても、その概念には、曖昧さと、その意味するものの広さとがあるということをあらためて考えさせられた。何をもって美の本質とするかは、永遠のテーマでもあろうが、かといって、その意味するものの広さを無茶苦茶な形で議論することは、言葉のお遊びだけで終わりかねないということもあって、この研究会での議論をある程度共通した土俵の上で進めるために、多田さんがメンバーに配布してくれた「倫理用語集」の中にある「美」についての解説を参考にして話を進めた。その用語集では美の解説として、以下のように述べている。

「人生の中で求められる独自の価値、芸術的価値とも言われる。徳を探求したソクラテスは、よく生きることと美しく生きることは同じであるといい、善美に生きることを大切にした。イデア論を展開したプラトンは、美のイデアは唯一永遠であり、エロスは精神的な善・美にむかうという。美は肉体的の美しさを表すだけでなく、精神的な美しさを表現する。美を探求することは人生を豊かで充実したものにする。」

つづきを読む

開催日時
平成4年9月9日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、広野、望月

討議内容

今回は、新たなメンバーとして、ダイヤル・サービス(株)の広野優子様に参加していただきました。広野様は、栄養学に関する研究所に勤務の後、ダイヤル・サービス(株)に12年間勤務されています。その間、7年ほど、電話相談員としての経験を持ち、電話を通して見えてくる現在世相の裏と表について豊富な見識をお持ちの方です。豊かな経験をベースに、人間文化研究会に、新しい見解を提供していただけるものと期待しています。

今回は、前回に引続き、見えない情報ということをテーマに話合った。見える情報と、見えない情報というものを簡単な言葉で表現するならば、「見る」ということと「観る」ということに帰するのではないか。見える情報と言うのは、五感を通して与えられた情報に対し、習慣や、世襲的に出来上がってしまっている世俗的な価値観や観点から物事を捉えることによって、その情報の意味を把握しているのに対して、見えない情報と言うのは、五感を通して与えられた情報に対して、それを自らの中にある知恵によって咀嚼(そしゃく)することによって新たに見えてくる情報と言えよう。「見る」ということが、本性的、あるいは受動的情報取得であるとするならば、「観る」ということは、知恵的であり、能動的情報取得であるといえよう。従って、人間が、他人に依存したり、物に依存したりするにつれて、自らの内なる世界を内観しようとする知恵が内に追いやられてしまい、見えない情報を感知することの出来る知恵を育むことが出来なくなってしまうのであろう。ダイヤル・サービスへの相談の中には、知恵を育むことが出来なかったことによる、見えない情報を求めてくるケースも間々あるという。高岡様の考えを引用するならば、世の中が便利になることの裏側には、人間が物や機械、そして、社会に対して依存度が高くなってくる。この他者に対する依存症が、便利に対する見えない情報として働いていて、外面的な便利さとは裏腹に、内面的な世界の崩壊が始まっているとみることも出来よう。

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開催日時
平成4年7月22日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、高岡、山田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き情報の功罪について、特に見えない情報について討議した。見える情報と見えない情報とをどの様に定義するかは難しい問題ではあるが、討議の過程から、見えない情報としては、言葉や文字では伝わりにくい情報、同じ内容でも人によって受取方が大きく異なる情報、無意識の内に思い込んでしまっている情報、無意識の内に感じてそれが価値観となって心を支配していくような情報といったものが浮かび上がってきた。この中で、言葉では伝わりにくい情報として、画像による情報がある。茶道について学ぼうとして、専門書を読んでもなかなか実感として把握できないことでも、漫画による解説ではその深層な部分がよく理解できる。専門書にも画像情報はそれなりに与えられているのであるが、漫画の方が、形式的なものから離れ、人間の本質的なものが伝えられ易いのかも知れない。漫画本が売れ、漫画を読む人の数が増加している現在の社会傾向には、言葉だけでは伝わらない感性的なものを求めようとする見えざる力が働いているのかも知れない。

同じ内容でも人によって受取方が異なったり、ある人には全く意味の無い情報であったりするものがある。これは受け取る人の意識が何に向かっているかによるものであり、受け取る人の趣味や、創造性によって大きく異なってくる。これらのことを考えると、見えない情報を見える情報にするためには、一人一人の創造性が強く係わってくるように思える。情報化時代が、見える情報を如何に吸収するかといった知識収集型の活動であったのに対して、ポスト情報化時代には、飛び交う情報の中に見えない情報として埋もれている情報を創造性によって見える情報にして行くことが重要になってこよう。

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第15回 「情報」

開催日時
平成4年12月17日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー (株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、「美」をテーマに話し合った。美の一つの形態として、「Simple is best.」と言う簡素化されたものに感じる美がある。この簡素化された美に対する共鳴が、日本文化を形作ったものの一つとして茶の文化がある。清潔を尊び、静寂な中で微かに響く茶釜の音、派手さを極力避けた茶器や衣装、明る過ぎず、暗過ぎもない採光。これらは、不必要なものを極力避けた静の中に醸し出された美といえるのかも知れない。そして、これらは、自然が与えてくれる美とは異なり、人工的に作られたものに対して感じる美であり、これらの美の原点には、禅仏教の根底をなしている無意識を意識化させる心の向上が働いているように思える。人工的に作られたものではあるが、そこには自然そのものになりきった、意識された心がある。日本庭園にしても、華道にしても、その極みは、何気なく感じ取っている自然、それを感じる心の無意識の世界を意識化させた目覚めた人間の存在があるように思える。

これらの美の存在を考えると、我々が感じる美には全く異なった二つの美があることに気付く。一つは、人間として生まれたことの中にすでに潜在的に存在している美を感じる心に共鳴する美であり、本性的な美と表現できるものである。美しい景色に接し美しいと感じ、快い音色に美しいと感じる心である。もう一つは、努力あるいは修行と表現した方がいいのかも知れないが、自分を自然のままに放置しておくのではなく、自らの意志で、自分自身の中に秘められている知恵を開拓することによって見えてくる美である。この美は、茶室や、日本庭園を生み出す原動力となった美である。そして、前者の美は、直感的な感性に直接働きかけるのに対して、後者の美は、無意識を意識化させた心だけに感じることのできる美である。言葉を変えて表現するならば、前者の美は、鑑賞者の美であり、後者の美は芸術家の美といえるのではなかろうか。前者の美の中には、五感を通して感じる刺激そのものが直接的に我々の感性に働きかけてくるのに対して、後者の美は、それを生み出した人の心と共鳴することによって感じる美である。前回の討議の時に話題になった、ダリの絵画に対する山田さんの美の変化は、まさに前者の美(始めはギョットしたものを感じた)から、後者の美(人間全ての中に共通に潜む自分ではなかなか気付くことのない自分を表現できたダリの透徹した心を感じたとき、その絵画を何とも言えず、美しいと感じることが出来た)への推移を表現されていたように思える。そして、我々の美が、前者の美に留まっている間は、その美を共通した美として誰しもが感じることが出来るが、後者の美に対しては、極少数の人にしか共鳴できない美となるのである。まさに、みんなに見える美と、特定の人にしか見えない美である。

つづきを読む

開催日時
平成4年10月16日(金) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、先の討議の時に提案された「美」をテーマに話し合った。 一言で「美」といっても、その概念には、曖昧さと、その意味するものの広さとがあるということをあらためて考えさせられた。何をもって美の本質とするかは、永遠のテーマでもあろうが、かといって、その意味するものの広さを無茶苦茶な形で議論することは、言葉のお遊びだけで終わりかねないということもあって、この研究会での議論をある程度共通した土俵の上で進めるために、多田さんがメンバーに配布してくれた「倫理用語集」の中にある「美」についての解説を参考にして話を進めた。その用語集では美の解説として、以下のように述べている。

「人生の中で求められる独自の価値、芸術的価値とも言われる。徳を探求したソクラテスは、よく生きることと美しく生きることは同じであるといい、善美に生きることを大切にした。イデア論を展開したプラトンは、美のイデアは唯一永遠であり、エロスは精神的な善・美にむかうという。美は肉体的の美しさを表すだけでなく、精神的な美しさを表現する。美を探求することは人生を豊かで充実したものにする。」

つづきを読む

開催日時
平成4年9月9日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、広野、望月

討議内容

今回は、新たなメンバーとして、ダイヤル・サービス(株)の広野優子様に参加していただきました。広野様は、栄養学に関する研究所に勤務の後、ダイヤル・サービス(株)に12年間勤務されています。その間、7年ほど、電話相談員としての経験を持ち、電話を通して見えてくる現在世相の裏と表について豊富な見識をお持ちの方です。豊かな経験をベースに、人間文化研究会に、新しい見解を提供していただけるものと期待しています。

今回は、前回に引続き、見えない情報ということをテーマに話合った。見える情報と、見えない情報というものを簡単な言葉で表現するならば、「見る」ということと「観る」ということに帰するのではないか。見える情報と言うのは、五感を通して与えられた情報に対し、習慣や、世襲的に出来上がってしまっている世俗的な価値観や観点から物事を捉えることによって、その情報の意味を把握しているのに対して、見えない情報と言うのは、五感を通して与えられた情報に対して、それを自らの中にある知恵によって咀嚼(そしゃく)することによって新たに見えてくる情報と言えよう。「見る」ということが、本性的、あるいは受動的情報取得であるとするならば、「観る」ということは、知恵的であり、能動的情報取得であるといえよう。従って、人間が、他人に依存したり、物に依存したりするにつれて、自らの内なる世界を内観しようとする知恵が内に追いやられてしまい、見えない情報を感知することの出来る知恵を育むことが出来なくなってしまうのであろう。ダイヤル・サービスへの相談の中には、知恵を育むことが出来なかったことによる、見えない情報を求めてくるケースも間々あるという。高岡様の考えを引用するならば、世の中が便利になることの裏側には、人間が物や機械、そして、社会に対して依存度が高くなってくる。この他者に対する依存症が、便利に対する見えない情報として働いていて、外面的な便利さとは裏腹に、内面的な世界の崩壊が始まっているとみることも出来よう。

つづきを読む

開催日時
平成4年7月22日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、高岡、山田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き情報の功罪について、特に見えない情報について討議した。見える情報と見えない情報とをどの様に定義するかは難しい問題ではあるが、討議の過程から、見えない情報としては、言葉や文字では伝わりにくい情報、同じ内容でも人によって受取方が大きく異なる情報、無意識の内に思い込んでしまっている情報、無意識の内に感じてそれが価値観となって心を支配していくような情報といったものが浮かび上がってきた。この中で、言葉では伝わりにくい情報として、画像による情報がある。茶道について学ぼうとして、専門書を読んでもなかなか実感として把握できないことでも、漫画による解説ではその深層な部分がよく理解できる。専門書にも画像情報はそれなりに与えられているのであるが、漫画の方が、形式的なものから離れ、人間の本質的なものが伝えられ易いのかも知れない。漫画本が売れ、漫画を読む人の数が増加している現在の社会傾向には、言葉だけでは伝わらない感性的なものを求めようとする見えざる力が働いているのかも知れない。

同じ内容でも人によって受取方が異なったり、ある人には全く意味の無い情報であったりするものがある。これは受け取る人の意識が何に向かっているかによるものであり、受け取る人の趣味や、創造性によって大きく異なってくる。これらのことを考えると、見えない情報を見える情報にするためには、一人一人の創造性が強く係わってくるように思える。情報化時代が、見える情報を如何に吸収するかといった知識収集型の活動であったのに対して、ポスト情報化時代には、飛び交う情報の中に見えない情報として埋もれている情報を創造性によって見える情報にして行くことが重要になってこよう。

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開催日時
平成4年6月17日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、高岡、山田、佐藤、望月

討議内容

今回は古館様の御紹介で、新しいメンバーとして山田様が参加されました。山田様は、(株)アイビックの代表取締役社長で、主として、ライティングシステムや新木造に係わるプランや設計を手掛けられています。その独特な経営哲学や、人生哲学は、今回の討議の節々に現れていました。今後とも末永くメンバーとして、本研究会を盛り上げていただきたいと願っています。

さて、今回も、前回に引続き、情報に係わる事柄について討議した。前回の話の中で、人間が残してきた多くのものは、知識ではなく、知恵の産物であり、そこにこそ本物の情報があるのではないか。そして、日本人が残した妖怪も、日本人の長い伝統の中から、知恵によって生まれてきたものであろうという考え方から、妖怪の発生について始めに討議した。

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第14回 「時間と情報」

開催日時
平成4年12月17日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー (株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、「美」をテーマに話し合った。美の一つの形態として、「Simple is best.」と言う簡素化されたものに感じる美がある。この簡素化された美に対する共鳴が、日本文化を形作ったものの一つとして茶の文化がある。清潔を尊び、静寂な中で微かに響く茶釜の音、派手さを極力避けた茶器や衣装、明る過ぎず、暗過ぎもない採光。これらは、不必要なものを極力避けた静の中に醸し出された美といえるのかも知れない。そして、これらは、自然が与えてくれる美とは異なり、人工的に作られたものに対して感じる美であり、これらの美の原点には、禅仏教の根底をなしている無意識を意識化させる心の向上が働いているように思える。人工的に作られたものではあるが、そこには自然そのものになりきった、意識された心がある。日本庭園にしても、華道にしても、その極みは、何気なく感じ取っている自然、それを感じる心の無意識の世界を意識化させた目覚めた人間の存在があるように思える。

これらの美の存在を考えると、我々が感じる美には全く異なった二つの美があることに気付く。一つは、人間として生まれたことの中にすでに潜在的に存在している美を感じる心に共鳴する美であり、本性的な美と表現できるものである。美しい景色に接し美しいと感じ、快い音色に美しいと感じる心である。もう一つは、努力あるいは修行と表現した方がいいのかも知れないが、自分を自然のままに放置しておくのではなく、自らの意志で、自分自身の中に秘められている知恵を開拓することによって見えてくる美である。この美は、茶室や、日本庭園を生み出す原動力となった美である。そして、前者の美は、直感的な感性に直接働きかけるのに対して、後者の美は、無意識を意識化させた心だけに感じることのできる美である。言葉を変えて表現するならば、前者の美は、鑑賞者の美であり、後者の美は芸術家の美といえるのではなかろうか。前者の美の中には、五感を通して感じる刺激そのものが直接的に我々の感性に働きかけてくるのに対して、後者の美は、それを生み出した人の心と共鳴することによって感じる美である。前回の討議の時に話題になった、ダリの絵画に対する山田さんの美の変化は、まさに前者の美(始めはギョットしたものを感じた)から、後者の美(人間全ての中に共通に潜む自分ではなかなか気付くことのない自分を表現できたダリの透徹した心を感じたとき、その絵画を何とも言えず、美しいと感じることが出来た)への推移を表現されていたように思える。そして、我々の美が、前者の美に留まっている間は、その美を共通した美として誰しもが感じることが出来るが、後者の美に対しては、極少数の人にしか共鳴できない美となるのである。まさに、みんなに見える美と、特定の人にしか見えない美である。

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開催日時
平成4年10月16日(金) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、先の討議の時に提案された「美」をテーマに話し合った。 一言で「美」といっても、その概念には、曖昧さと、その意味するものの広さとがあるということをあらためて考えさせられた。何をもって美の本質とするかは、永遠のテーマでもあろうが、かといって、その意味するものの広さを無茶苦茶な形で議論することは、言葉のお遊びだけで終わりかねないということもあって、この研究会での議論をある程度共通した土俵の上で進めるために、多田さんがメンバーに配布してくれた「倫理用語集」の中にある「美」についての解説を参考にして話を進めた。その用語集では美の解説として、以下のように述べている。

「人生の中で求められる独自の価値、芸術的価値とも言われる。徳を探求したソクラテスは、よく生きることと美しく生きることは同じであるといい、善美に生きることを大切にした。イデア論を展開したプラトンは、美のイデアは唯一永遠であり、エロスは精神的な善・美にむかうという。美は肉体的の美しさを表すだけでなく、精神的な美しさを表現する。美を探求することは人生を豊かで充実したものにする。」

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開催日時
平成4年9月9日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、広野、望月

討議内容

今回は、新たなメンバーとして、ダイヤル・サービス(株)の広野優子様に参加していただきました。広野様は、栄養学に関する研究所に勤務の後、ダイヤル・サービス(株)に12年間勤務されています。その間、7年ほど、電話相談員としての経験を持ち、電話を通して見えてくる現在世相の裏と表について豊富な見識をお持ちの方です。豊かな経験をベースに、人間文化研究会に、新しい見解を提供していただけるものと期待しています。

今回は、前回に引続き、見えない情報ということをテーマに話合った。見える情報と、見えない情報というものを簡単な言葉で表現するならば、「見る」ということと「観る」ということに帰するのではないか。見える情報と言うのは、五感を通して与えられた情報に対し、習慣や、世襲的に出来上がってしまっている世俗的な価値観や観点から物事を捉えることによって、その情報の意味を把握しているのに対して、見えない情報と言うのは、五感を通して与えられた情報に対して、それを自らの中にある知恵によって咀嚼(そしゃく)することによって新たに見えてくる情報と言えよう。「見る」ということが、本性的、あるいは受動的情報取得であるとするならば、「観る」ということは、知恵的であり、能動的情報取得であるといえよう。従って、人間が、他人に依存したり、物に依存したりするにつれて、自らの内なる世界を内観しようとする知恵が内に追いやられてしまい、見えない情報を感知することの出来る知恵を育むことが出来なくなってしまうのであろう。ダイヤル・サービスへの相談の中には、知恵を育むことが出来なかったことによる、見えない情報を求めてくるケースも間々あるという。高岡様の考えを引用するならば、世の中が便利になることの裏側には、人間が物や機械、そして、社会に対して依存度が高くなってくる。この他者に対する依存症が、便利に対する見えない情報として働いていて、外面的な便利さとは裏腹に、内面的な世界の崩壊が始まっているとみることも出来よう。

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開催日時
平成4年7月22日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、高岡、山田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き情報の功罪について、特に見えない情報について討議した。見える情報と見えない情報とをどの様に定義するかは難しい問題ではあるが、討議の過程から、見えない情報としては、言葉や文字では伝わりにくい情報、同じ内容でも人によって受取方が大きく異なる情報、無意識の内に思い込んでしまっている情報、無意識の内に感じてそれが価値観となって心を支配していくような情報といったものが浮かび上がってきた。この中で、言葉では伝わりにくい情報として、画像による情報がある。茶道について学ぼうとして、専門書を読んでもなかなか実感として把握できないことでも、漫画による解説ではその深層な部分がよく理解できる。専門書にも画像情報はそれなりに与えられているのであるが、漫画の方が、形式的なものから離れ、人間の本質的なものが伝えられ易いのかも知れない。漫画本が売れ、漫画を読む人の数が増加している現在の社会傾向には、言葉だけでは伝わらない感性的なものを求めようとする見えざる力が働いているのかも知れない。

同じ内容でも人によって受取方が異なったり、ある人には全く意味の無い情報であったりするものがある。これは受け取る人の意識が何に向かっているかによるものであり、受け取る人の趣味や、創造性によって大きく異なってくる。これらのことを考えると、見えない情報を見える情報にするためには、一人一人の創造性が強く係わってくるように思える。情報化時代が、見える情報を如何に吸収するかといった知識収集型の活動であったのに対して、ポスト情報化時代には、飛び交う情報の中に見えない情報として埋もれている情報を創造性によって見える情報にして行くことが重要になってこよう。

つづきを読む

開催日時
平成4年6月17日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、高岡、山田、佐藤、望月

討議内容

今回は古館様の御紹介で、新しいメンバーとして山田様が参加されました。山田様は、(株)アイビックの代表取締役社長で、主として、ライティングシステムや新木造に係わるプランや設計を手掛けられています。その独特な経営哲学や、人生哲学は、今回の討議の節々に現れていました。今後とも末永くメンバーとして、本研究会を盛り上げていただきたいと願っています。

さて、今回も、前回に引続き、情報に係わる事柄について討議した。前回の話の中で、人間が残してきた多くのものは、知識ではなく、知恵の産物であり、そこにこそ本物の情報があるのではないか。そして、日本人が残した妖怪も、日本人の長い伝統の中から、知恵によって生まれてきたものであろうという考え方から、妖怪の発生について始めに討議した。

つづきを読む

開催日時
平成4年4月23日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回の議論でテーマになった時間と情報との係わりについて、引続き議論した。

先ず始めに、高岡様からの情報に係わるレポートに関して話し合った。高岡様は、今回出席できなかったのですが、紙面にて、情報に係わる高両様御自身の考え方を伝えていただきました。その内容の大略は、一つは、現代人の多くが情報に関して中毒症状を起こしているのではないかという指摘、二つ目は、情報を受け止めるのに、文脈ではなく、点で都合の良いように受け止めてしまう傾向があり、事実と推論とを混同し易い状況にあるという二点である。

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第13回 「変化」

開催日時
平成4年12月17日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー (株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、「美」をテーマに話し合った。美の一つの形態として、「Simple is best.」と言う簡素化されたものに感じる美がある。この簡素化された美に対する共鳴が、日本文化を形作ったものの一つとして茶の文化がある。清潔を尊び、静寂な中で微かに響く茶釜の音、派手さを極力避けた茶器や衣装、明る過ぎず、暗過ぎもない採光。これらは、不必要なものを極力避けた静の中に醸し出された美といえるのかも知れない。そして、これらは、自然が与えてくれる美とは異なり、人工的に作られたものに対して感じる美であり、これらの美の原点には、禅仏教の根底をなしている無意識を意識化させる心の向上が働いているように思える。人工的に作られたものではあるが、そこには自然そのものになりきった、意識された心がある。日本庭園にしても、華道にしても、その極みは、何気なく感じ取っている自然、それを感じる心の無意識の世界を意識化させた目覚めた人間の存在があるように思える。

これらの美の存在を考えると、我々が感じる美には全く異なった二つの美があることに気付く。一つは、人間として生まれたことの中にすでに潜在的に存在している美を感じる心に共鳴する美であり、本性的な美と表現できるものである。美しい景色に接し美しいと感じ、快い音色に美しいと感じる心である。もう一つは、努力あるいは修行と表現した方がいいのかも知れないが、自分を自然のままに放置しておくのではなく、自らの意志で、自分自身の中に秘められている知恵を開拓することによって見えてくる美である。この美は、茶室や、日本庭園を生み出す原動力となった美である。そして、前者の美は、直感的な感性に直接働きかけるのに対して、後者の美は、無意識を意識化させた心だけに感じることのできる美である。言葉を変えて表現するならば、前者の美は、鑑賞者の美であり、後者の美は芸術家の美といえるのではなかろうか。前者の美の中には、五感を通して感じる刺激そのものが直接的に我々の感性に働きかけてくるのに対して、後者の美は、それを生み出した人の心と共鳴することによって感じる美である。前回の討議の時に話題になった、ダリの絵画に対する山田さんの美の変化は、まさに前者の美(始めはギョットしたものを感じた)から、後者の美(人間全ての中に共通に潜む自分ではなかなか気付くことのない自分を表現できたダリの透徹した心を感じたとき、その絵画を何とも言えず、美しいと感じることが出来た)への推移を表現されていたように思える。そして、我々の美が、前者の美に留まっている間は、その美を共通した美として誰しもが感じることが出来るが、後者の美に対しては、極少数の人にしか共鳴できない美となるのである。まさに、みんなに見える美と、特定の人にしか見えない美である。

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開催日時
平成4年10月16日(金) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、先の討議の時に提案された「美」をテーマに話し合った。 一言で「美」といっても、その概念には、曖昧さと、その意味するものの広さとがあるということをあらためて考えさせられた。何をもって美の本質とするかは、永遠のテーマでもあろうが、かといって、その意味するものの広さを無茶苦茶な形で議論することは、言葉のお遊びだけで終わりかねないということもあって、この研究会での議論をある程度共通した土俵の上で進めるために、多田さんがメンバーに配布してくれた「倫理用語集」の中にある「美」についての解説を参考にして話を進めた。その用語集では美の解説として、以下のように述べている。

「人生の中で求められる独自の価値、芸術的価値とも言われる。徳を探求したソクラテスは、よく生きることと美しく生きることは同じであるといい、善美に生きることを大切にした。イデア論を展開したプラトンは、美のイデアは唯一永遠であり、エロスは精神的な善・美にむかうという。美は肉体的の美しさを表すだけでなく、精神的な美しさを表現する。美を探求することは人生を豊かで充実したものにする。」

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開催日時
平成4年9月9日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、広野、望月

討議内容

今回は、新たなメンバーとして、ダイヤル・サービス(株)の広野優子様に参加していただきました。広野様は、栄養学に関する研究所に勤務の後、ダイヤル・サービス(株)に12年間勤務されています。その間、7年ほど、電話相談員としての経験を持ち、電話を通して見えてくる現在世相の裏と表について豊富な見識をお持ちの方です。豊かな経験をベースに、人間文化研究会に、新しい見解を提供していただけるものと期待しています。

今回は、前回に引続き、見えない情報ということをテーマに話合った。見える情報と、見えない情報というものを簡単な言葉で表現するならば、「見る」ということと「観る」ということに帰するのではないか。見える情報と言うのは、五感を通して与えられた情報に対し、習慣や、世襲的に出来上がってしまっている世俗的な価値観や観点から物事を捉えることによって、その情報の意味を把握しているのに対して、見えない情報と言うのは、五感を通して与えられた情報に対して、それを自らの中にある知恵によって咀嚼(そしゃく)することによって新たに見えてくる情報と言えよう。「見る」ということが、本性的、あるいは受動的情報取得であるとするならば、「観る」ということは、知恵的であり、能動的情報取得であるといえよう。従って、人間が、他人に依存したり、物に依存したりするにつれて、自らの内なる世界を内観しようとする知恵が内に追いやられてしまい、見えない情報を感知することの出来る知恵を育むことが出来なくなってしまうのであろう。ダイヤル・サービスへの相談の中には、知恵を育むことが出来なかったことによる、見えない情報を求めてくるケースも間々あるという。高岡様の考えを引用するならば、世の中が便利になることの裏側には、人間が物や機械、そして、社会に対して依存度が高くなってくる。この他者に対する依存症が、便利に対する見えない情報として働いていて、外面的な便利さとは裏腹に、内面的な世界の崩壊が始まっているとみることも出来よう。

つづきを読む

開催日時
平成4年7月22日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、高岡、山田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き情報の功罪について、特に見えない情報について討議した。見える情報と見えない情報とをどの様に定義するかは難しい問題ではあるが、討議の過程から、見えない情報としては、言葉や文字では伝わりにくい情報、同じ内容でも人によって受取方が大きく異なる情報、無意識の内に思い込んでしまっている情報、無意識の内に感じてそれが価値観となって心を支配していくような情報といったものが浮かび上がってきた。この中で、言葉では伝わりにくい情報として、画像による情報がある。茶道について学ぼうとして、専門書を読んでもなかなか実感として把握できないことでも、漫画による解説ではその深層な部分がよく理解できる。専門書にも画像情報はそれなりに与えられているのであるが、漫画の方が、形式的なものから離れ、人間の本質的なものが伝えられ易いのかも知れない。漫画本が売れ、漫画を読む人の数が増加している現在の社会傾向には、言葉だけでは伝わらない感性的なものを求めようとする見えざる力が働いているのかも知れない。

同じ内容でも人によって受取方が異なったり、ある人には全く意味の無い情報であったりするものがある。これは受け取る人の意識が何に向かっているかによるものであり、受け取る人の趣味や、創造性によって大きく異なってくる。これらのことを考えると、見えない情報を見える情報にするためには、一人一人の創造性が強く係わってくるように思える。情報化時代が、見える情報を如何に吸収するかといった知識収集型の活動であったのに対して、ポスト情報化時代には、飛び交う情報の中に見えない情報として埋もれている情報を創造性によって見える情報にして行くことが重要になってこよう。

つづきを読む

開催日時
平成4年6月17日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、高岡、山田、佐藤、望月

討議内容

今回は古館様の御紹介で、新しいメンバーとして山田様が参加されました。山田様は、(株)アイビックの代表取締役社長で、主として、ライティングシステムや新木造に係わるプランや設計を手掛けられています。その独特な経営哲学や、人生哲学は、今回の討議の節々に現れていました。今後とも末永くメンバーとして、本研究会を盛り上げていただきたいと願っています。

さて、今回も、前回に引続き、情報に係わる事柄について討議した。前回の話の中で、人間が残してきた多くのものは、知識ではなく、知恵の産物であり、そこにこそ本物の情報があるのではないか。そして、日本人が残した妖怪も、日本人の長い伝統の中から、知恵によって生まれてきたものであろうという考え方から、妖怪の発生について始めに討議した。

つづきを読む

開催日時
平成4年4月23日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回の議論でテーマになった時間と情報との係わりについて、引続き議論した。

先ず始めに、高岡様からの情報に係わるレポートに関して話し合った。高岡様は、今回出席できなかったのですが、紙面にて、情報に係わる高両様御自身の考え方を伝えていただきました。その内容の大略は、一つは、現代人の多くが情報に関して中毒症状を起こしているのではないかという指摘、二つ目は、情報を受け止めるのに、文脈ではなく、点で都合の良いように受け止めてしまう傾向があり、事実と推論とを混同し易い状況にあるという二点である。

つづきを読む

開催日時
平成4年3月27日(金) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、佐藤、望月

討議内容

今回は前回に引続き、変化について、時間を切口にして考えることを試みた。しかし、時間について考え始めると、時間とは一体なんであるのかという最も基本的であり、最も難解な哲学的な問題が根底にあり、言葉の遊戯に陥る危険性があるため、余り肩を張らず、時間と変化に関する事柄についてざっくばらんに話しあった。

我々の感覚の中でとにかく言えることは、社会の時間感覚、あるいは時間の進み方が非常に速くなっているということである。例えば、家電製品にしても、機能やデザインなどの変化は著しく、同じ機能を持っていても、短期間の間に、感覚的には古いものになってしまう状況におかれている。車のモデルチェンジにしても消費者の変化に対するあくなき欲求を駆り立てるような行いである。また、広告にしても、隣の車が小さく見えますといったように、生活者の不満を起こさせ、その反動で消費意欲を駆り立てるような状況になってきている。しかし、このような状況の中で、消費者自身、欲求のあくなき追求が、もはや、それぞれの生活を心の底から潤すことができないことを次第に感じ始めてきている。ベンツが人気をよんでいるのは、それがただ高級車としてのステイタスシンボルと言うだけではなく、そこに、車の究極の形を追い求めるプロセスが表現されているからであろう。時代時代の流行に追われず、究極の何かを求めようとする設計者、経営者の哲学がベンツの中に表現されていることを、消費者は、無意識のうちに感じ取っているのであろう。このようなことを考えると、多品種少量生産を金科玉条のごとく追い求め、そこになんのフィロソフィも持たなかった日本人こそバブル民族と言えないだろうか。これからの消費社会は、生活者の欲求不満を駆り立てて消費行動を促せるようなあり方ではなく、商品を提供する例の商品を通してコミュニケートする哲学が問われる時代になってきているといえよう。

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第12回 「変化」

開催日時
平成4年12月17日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー (株)東京支社
参加者
古館、多田、霧島、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き、「美」をテーマに話し合った。美の一つの形態として、「Simple is best.」と言う簡素化されたものに感じる美がある。この簡素化された美に対する共鳴が、日本文化を形作ったものの一つとして茶の文化がある。清潔を尊び、静寂な中で微かに響く茶釜の音、派手さを極力避けた茶器や衣装、明る過ぎず、暗過ぎもない採光。これらは、不必要なものを極力避けた静の中に醸し出された美といえるのかも知れない。そして、これらは、自然が与えてくれる美とは異なり、人工的に作られたものに対して感じる美であり、これらの美の原点には、禅仏教の根底をなしている無意識を意識化させる心の向上が働いているように思える。人工的に作られたものではあるが、そこには自然そのものになりきった、意識された心がある。日本庭園にしても、華道にしても、その極みは、何気なく感じ取っている自然、それを感じる心の無意識の世界を意識化させた目覚めた人間の存在があるように思える。

これらの美の存在を考えると、我々が感じる美には全く異なった二つの美があることに気付く。一つは、人間として生まれたことの中にすでに潜在的に存在している美を感じる心に共鳴する美であり、本性的な美と表現できるものである。美しい景色に接し美しいと感じ、快い音色に美しいと感じる心である。もう一つは、努力あるいは修行と表現した方がいいのかも知れないが、自分を自然のままに放置しておくのではなく、自らの意志で、自分自身の中に秘められている知恵を開拓することによって見えてくる美である。この美は、茶室や、日本庭園を生み出す原動力となった美である。そして、前者の美は、直感的な感性に直接働きかけるのに対して、後者の美は、無意識を意識化させた心だけに感じることのできる美である。言葉を変えて表現するならば、前者の美は、鑑賞者の美であり、後者の美は芸術家の美といえるのではなかろうか。前者の美の中には、五感を通して感じる刺激そのものが直接的に我々の感性に働きかけてくるのに対して、後者の美は、それを生み出した人の心と共鳴することによって感じる美である。前回の討議の時に話題になった、ダリの絵画に対する山田さんの美の変化は、まさに前者の美(始めはギョットしたものを感じた)から、後者の美(人間全ての中に共通に潜む自分ではなかなか気付くことのない自分を表現できたダリの透徹した心を感じたとき、その絵画を何とも言えず、美しいと感じることが出来た)への推移を表現されていたように思える。そして、我々の美が、前者の美に留まっている間は、その美を共通した美として誰しもが感じることが出来るが、後者の美に対しては、極少数の人にしか共鳴できない美となるのである。まさに、みんなに見える美と、特定の人にしか見えない美である。

つづきを読む

開催日時
平成4年10月16日(金) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、山田、広野、佐藤、望月

討議内容

今回は、先の討議の時に提案された「美」をテーマに話し合った。 一言で「美」といっても、その概念には、曖昧さと、その意味するものの広さとがあるということをあらためて考えさせられた。何をもって美の本質とするかは、永遠のテーマでもあろうが、かといって、その意味するものの広さを無茶苦茶な形で議論することは、言葉のお遊びだけで終わりかねないということもあって、この研究会での議論をある程度共通した土俵の上で進めるために、多田さんがメンバーに配布してくれた「倫理用語集」の中にある「美」についての解説を参考にして話を進めた。その用語集では美の解説として、以下のように述べている。

「人生の中で求められる独自の価値、芸術的価値とも言われる。徳を探求したソクラテスは、よく生きることと美しく生きることは同じであるといい、善美に生きることを大切にした。イデア論を展開したプラトンは、美のイデアは唯一永遠であり、エロスは精神的な善・美にむかうという。美は肉体的の美しさを表すだけでなく、精神的な美しさを表現する。美を探求することは人生を豊かで充実したものにする。」

つづきを読む

開催日時
平成4年9月9日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、広野、望月

討議内容

今回は、新たなメンバーとして、ダイヤル・サービス(株)の広野優子様に参加していただきました。広野様は、栄養学に関する研究所に勤務の後、ダイヤル・サービス(株)に12年間勤務されています。その間、7年ほど、電話相談員としての経験を持ち、電話を通して見えてくる現在世相の裏と表について豊富な見識をお持ちの方です。豊かな経験をベースに、人間文化研究会に、新しい見解を提供していただけるものと期待しています。

今回は、前回に引続き、見えない情報ということをテーマに話合った。見える情報と、見えない情報というものを簡単な言葉で表現するならば、「見る」ということと「観る」ということに帰するのではないか。見える情報と言うのは、五感を通して与えられた情報に対し、習慣や、世襲的に出来上がってしまっている世俗的な価値観や観点から物事を捉えることによって、その情報の意味を把握しているのに対して、見えない情報と言うのは、五感を通して与えられた情報に対して、それを自らの中にある知恵によって咀嚼(そしゃく)することによって新たに見えてくる情報と言えよう。「見る」ということが、本性的、あるいは受動的情報取得であるとするならば、「観る」ということは、知恵的であり、能動的情報取得であるといえよう。従って、人間が、他人に依存したり、物に依存したりするにつれて、自らの内なる世界を内観しようとする知恵が内に追いやられてしまい、見えない情報を感知することの出来る知恵を育むことが出来なくなってしまうのであろう。ダイヤル・サービスへの相談の中には、知恵を育むことが出来なかったことによる、見えない情報を求めてくるケースも間々あるという。高岡様の考えを引用するならば、世の中が便利になることの裏側には、人間が物や機械、そして、社会に対して依存度が高くなってくる。この他者に対する依存症が、便利に対する見えない情報として働いていて、外面的な便利さとは裏腹に、内面的な世界の崩壊が始まっているとみることも出来よう。

つづきを読む

開催日時
平成4年7月22日(水) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
多田、高岡、山田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回に引続き情報の功罪について、特に見えない情報について討議した。見える情報と見えない情報とをどの様に定義するかは難しい問題ではあるが、討議の過程から、見えない情報としては、言葉や文字では伝わりにくい情報、同じ内容でも人によって受取方が大きく異なる情報、無意識の内に思い込んでしまっている情報、無意識の内に感じてそれが価値観となって心を支配していくような情報といったものが浮かび上がってきた。この中で、言葉では伝わりにくい情報として、画像による情報がある。茶道について学ぼうとして、専門書を読んでもなかなか実感として把握できないことでも、漫画による解説ではその深層な部分がよく理解できる。専門書にも画像情報はそれなりに与えられているのであるが、漫画の方が、形式的なものから離れ、人間の本質的なものが伝えられ易いのかも知れない。漫画本が売れ、漫画を読む人の数が増加している現在の社会傾向には、言葉だけでは伝わらない感性的なものを求めようとする見えざる力が働いているのかも知れない。

同じ内容でも人によって受取方が異なったり、ある人には全く意味の無い情報であったりするものがある。これは受け取る人の意識が何に向かっているかによるものであり、受け取る人の趣味や、創造性によって大きく異なってくる。これらのことを考えると、見えない情報を見える情報にするためには、一人一人の創造性が強く係わってくるように思える。情報化時代が、見える情報を如何に吸収するかといった知識収集型の活動であったのに対して、ポスト情報化時代には、飛び交う情報の中に見えない情報として埋もれている情報を創造性によって見える情報にして行くことが重要になってこよう。

つづきを読む

開催日時
平成4年6月17日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、高岡、山田、佐藤、望月

討議内容

今回は古館様の御紹介で、新しいメンバーとして山田様が参加されました。山田様は、(株)アイビックの代表取締役社長で、主として、ライティングシステムや新木造に係わるプランや設計を手掛けられています。その独特な経営哲学や、人生哲学は、今回の討議の節々に現れていました。今後とも末永くメンバーとして、本研究会を盛り上げていただきたいと願っています。

さて、今回も、前回に引続き、情報に係わる事柄について討議した。前回の話の中で、人間が残してきた多くのものは、知識ではなく、知恵の産物であり、そこにこそ本物の情報があるのではないか。そして、日本人が残した妖怪も、日本人の長い伝統の中から、知恵によって生まれてきたものであろうという考え方から、妖怪の発生について始めに討議した。

つづきを読む

開催日時
平成4年4月23日(木) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、佐藤、望月

討議内容

今回は、前回の議論でテーマになった時間と情報との係わりについて、引続き議論した。

先ず始めに、高岡様からの情報に係わるレポートに関して話し合った。高岡様は、今回出席できなかったのですが、紙面にて、情報に係わる高両様御自身の考え方を伝えていただきました。その内容の大略は、一つは、現代人の多くが情報に関して中毒症状を起こしているのではないかという指摘、二つ目は、情報を受け止めるのに、文脈ではなく、点で都合の良いように受け止めてしまう傾向があり、事実と推論とを混同し易い状況にあるという二点である。

つづきを読む

開催日時
平成4年3月27日(金) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、多田、佐藤、望月

討議内容

今回は前回に引続き、変化について、時間を切口にして考えることを試みた。しかし、時間について考え始めると、時間とは一体なんであるのかという最も基本的であり、最も難解な哲学的な問題が根底にあり、言葉の遊戯に陥る危険性があるため、余り肩を張らず、時間と変化に関する事柄についてざっくばらんに話しあった。

我々の感覚の中でとにかく言えることは、社会の時間感覚、あるいは時間の進み方が非常に速くなっているということである。例えば、家電製品にしても、機能やデザインなどの変化は著しく、同じ機能を持っていても、短期間の間に、感覚的には古いものになってしまう状況におかれている。車のモデルチェンジにしても消費者の変化に対するあくなき欲求を駆り立てるような行いである。また、広告にしても、隣の車が小さく見えますといったように、生活者の不満を起こさせ、その反動で消費意欲を駆り立てるような状況になってきている。しかし、このような状況の中で、消費者自身、欲求のあくなき追求が、もはや、それぞれの生活を心の底から潤すことができないことを次第に感じ始めてきている。ベンツが人気をよんでいるのは、それがただ高級車としてのステイタスシンボルと言うだけではなく、そこに、車の究極の形を追い求めるプロセスが表現されているからであろう。時代時代の流行に追われず、究極の何かを求めようとする設計者、経営者の哲学がベンツの中に表現されていることを、消費者は、無意識のうちに感じ取っているのであろう。このようなことを考えると、多品種少量生産を金科玉条のごとく追い求め、そこになんのフィロソフィも持たなかった日本人こそバブル民族と言えないだろうか。これからの消費社会は、生活者の欲求不満を駆り立てて消費行動を促せるようなあり方ではなく、商品を提供する例の商品を通してコミュニケートする哲学が問われる時代になってきているといえよう。

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開催日時
平成4年1月31日(金) 14:00〜17:00
開催場所
サントリー(株)東京支社
参加者
古館、霧島、相田、高岡、佐藤、望月

討議内容

今回は、相田様の紹介で、元産能大学教授の高岡様に参加して戴きました。高岡様は、人間のこころの問題などに関して、多角的に研究されており、自己啓発や、感性に係わる数多くの著書があります。今回のテーマである、「なぜ変化することを良いとする価値観があるのか」について、主として感性的側面からご意見を伺うことが出来ました。討議の概要は以下の通りです。

特別に何かしたいという欲求もなく、野望も抱かず淡々と生活しているある大学教授の生活態度を変化しないことの良さの一例として取り上げた。メンバーの多くは、そのように、経済的な心配もなく、社会的に認められようとする欲望もなく、全く異なる社会を見てみたいといった欲望もなく、ただ、あるがままに生きて行くことが出来たら幸せだろうという感想を持った。これらの議論を通じて、思ったことは、変化することがよいとかいけないとかいうことではなく、生きていることが幸せであるということが基本にあって、その幸せを外の世界に表現した時に、ある人にとっては、全く変化の無い生活態度であったり、また、他の人にとっては、絶えず新しいものを求め、チャレンジしている変化の多い態度になったりするもののように思えた。

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