- 2017-02-01 (水) 21:19
- 2017年レポート
- 開催日時
- 平成29年1月20日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 「病気」について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 下山、大瀧、望月
討議内容
今回は病気について議論した。病気とは何か。あまりにも公知なことであり、改めて議論する余地などないようにも思えるテーマではあるが、今回このテーマを取り上げたのは、医療技術の発達にもかかわらず、病気そのものが一向に減少していないということへの不可解さからである。確かに医療技術の発達によって、一昔前なら治ることのなかった病気も治療されてきていて、人類の英知が、病気から人類を解放させてくれるような期待もある。でも、その一方で、難病といわれる新たな病気が生まれてきたり、昔はほとんど社会問題にはなっていなかった認知症などの病気も増えてきている。確かにこうした病気の要因の一つには、人の平均寿命が延びてきたことにより、昔は発病することが少なかったものが、発病の機会が増えてきたということはある。でも、認知症の若年化や、昔は発病する人の数が少なかったうつ病といった精神疾患も増大してきていることは確かだ。
もちろん、医療診断技術の向上によって、かっては自然死とされていたものが、いまでは新たな病気として認定されてきたり、DNAの分析によって、遺伝病と認定される病気も増えてきてはいる。でも、現実に目をやるとき、感染症にしても、抗生物質の利かない新たな感染症が生まれてきたり、新たなアレルギー患者も増大してきたりもしている。そこには、抗生物質の乱用が、ウィルスや病原菌に変革を生み出し、これまでになかった新たなウィルスや病原菌を生み出しているという要因もあるし、環境の変化によるアレルギーの増大というのもある。
こうしたことを考えると、人間の手を加えたことによって、新たな病気が生まれてきていて、そこには、人間対病気との戦いが絶えず繰り返されているように思えてくる。このことを仏教では苦苦と表現しているが、苦しさを除こうとして新たな苦しさを生み出しているということだが、人間のやっていることはなんだかそんなところがあるような気がする。
奇跡のリンゴといわれるリンゴがある。このリンゴは、農薬や肥料を使わず、自然のままに育てられたものだが、収穫してのち、何日も放置しておいても傷まないという。人工的に栽培したリンゴは、収穫してしばらくすると傷んできてしまうが、自然に育てられたリンゴは傷みにくいというこの例は、自然の生み出しているものは、病気に本来はなりにくいということではないだろうか。調べてみないとわからないが、人間以外の野生生物は、ひょっとしたら病気をほとんどしていないのかもしれない。人間だけが、本能的に持っている自然治癒力をなんらかの作用によって弱めてきてしまっているのではないだろうか。
特殊な遺伝病や、先天的な病気でない限り、赤ちゃんは元気そのものの体で生まれてくる。そこには、体全体を一つの調和したシステムとして動かしている何かがある。大人の体にしても、いくつもの臓器や循環器、神経系、全てが全体で一つの調和したものになっていることで健康が保たれている。風邪の効用という本によると、風邪を引くのは、体に不調和が起きているのを風邪を呼び込むことで熱を上げ、その熱によって調和を取り戻しているのだという。
だとすると、人間だけが、調和を生み出している源のものを、自らの手で壊しているということではないだろうか。良かれと思ってやっていることが、生命の営みに反していたり、便利や快適な社会を生み出しているものが、実はエゴや快楽といった自分よがりな生き方を生み出していたりして、こうしたエゴ的な営みが、体全体のバランスをかき乱しているようにも思える。病は気からといわれているが、その気が弱まったり、乱れたりしていることに気付かず、体の不調和を生み出してきているのかもしれない。
フランス南部、スペインとの国境に近いルルドでは、その泉に触れると病気が治るといわれ、毎年多くの巡礼者がルルドを訪れている。祈りの中で、泉に触れることで、何人もの重病者が健康を取り戻しているという。ただ、昔に比べ、近年では、治る人の率が段々減少してきているらしい。ここには、病気とかかわった二つの大きな問題が投げかけられているように思える。その一つは、祈りによって病気が治るということ。それは、病人のために祈ってあげるという、他愛の思いが、病人の体に調和を取り戻させる働きをしているのではないだろうか。そして、その治癒率が段々と減少してきているというのは、社会が全体的に他愛の思いが低くなってきているということではないだろうか。近年のメディアの台頭を見てみると、そこでは、ヒーロー、ヒロインを生み出そうとする社会の大きなうねりがある。それは、一人一人が他愛の思いを育てることよりも、自愛の芽を伸ばそうとしていることである。そこには、愛の欠如した自我の台頭する社会のうねりがあるように思われる。そうした自我の台頭する社会では、一人一人の持っている体を調和させる力が弱まってきてしまうのかもしれない。
確かに科学技術の恩恵によって、難病や重病が治癒できるようになってきているから、医療技術の開発は、重要なことなのだろうが、それと並行して、生命体が本来持っている体全体を一つの調和したシステムにしている心の世界をより活性化させる取り組みも、これからの時代には極めて大切なものになってくるのではないだろうか。
次回の討議を平成29年3月10日(金)とした。 以 上
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