- 2016-06-09 (木) 16:47
- 2016年レポート
- 開催日時
- 平成28年5月27日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 「人間の目指すもの」について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 下山、大瀧、伊藤(雅)、望月
討議内容
今回は人間の目指すものについて議論した。近年の技術開発や、サービスの多様性には目を見張るものがあるが、こうした激しい開発競争を目の前にするとき、一体人間は何を目指して進んでいるのだろうかと考えてしまう。AI(人工知能)の能力は、かってプロ棋士を破るには10年以上かかるといわれていた囲碁の世界においても、今年、世界屈指の棋士を破るまでにその能力を高め、そのAI技術は、様々な分野に活用され、また活用されようとしている。一方で、ネット社会は、ますます高度化、複雑化し、近い将来には、あらゆるものがネットで結び付けられるというプロジェクトが動き始めている。
SNSやブログ、さらにはツイッターといった様々なコミュニケーション手段を使って、人と人との係りは、まるで木々の根っこのように、見えない世界で結び合っていて、そうしたものが、世の中を動かし始めている。これまで、TVやグーグルといったものに頼っていた広告の世界が、今やSNSの世界に芽を伸ばしていて、若者たちの多くが、そうした世界からの情報によって、購買するものを選んでいるという。
こうした流れの中で、企業は、従来からのモノづくりの方法や、サービスの在り方を急速に変革しなければならない問題に直面してきている。そして、こうした課題が、働く者たちの心にも重くのしかかってきていて、競争に勝つために、データを捏造したり、手抜き作業をしたりと、著名な企業が相次いで不正事件を起こしてきている。
かっては40代、50代の中年サラリーマンが若者たちに教え、先輩としての威厳や尊厳を保つことができていたが、今では、新たなツールやサービスの登場によって、その立場が逆転してきている。こうした傾向は、ますます低年齢化し、中学生や高校生の世界で活用されているSNSやLINEといったものが、企業のサービスや製品づくりに大きく影響するようになってきていて、こうした若者の意見を企業の企画の中に反映しなければやっていかれない時代になってきている。こうした流れはもはや止めることはできず、ますます激しい競争がなされていくことであろう。
こうした社会の流れの中にあって、一体人間の目指しているものは何なのだろうか。目をこれまで述べてきた商品開発、技術開発といったものに限るなら、新たなものの開発は、それが布石となって、さらに新たなものの開発という風に、人間の目指すものは、終わりのないものであり、その目標は、どんなに時が流れても見えては来ないであろう。
その一方で、人間の生き方、人生という、文明や文化に影響されない人間が本来持っているある指向性に目を向けるならば、そこには、どんなに時が流れても変わることのない人間の目指しているものが見えてくるように思える。激しい競争化社会の中にあって、うつ病患者が増えているというのも、人間が本来なさねばならないことに心を傾けることのできないことへのストレスから生まれてきているように思える。
動物や昆虫の世界に目を転じるなら、そこでは、何千年、何万年もの間、ほとんど変わることのない営みが続けられてきた。蟻社会や蜂社会の形態は、今も昔も変わらずに、同じことが繰り返されてきている。人間だけが、文化や文明というものを生み出し、そうした世界に変化を生み出してきた。そして、その変化があたかも人間の目指しているもののように錯覚させてきているのだが、その錯覚は、人間の未成熟な心の世界から生まれてきているように思える。
人間にも、蟻や蜂と同じように、昔も今も変わらないものがある。それは、人間だけに与えられた生きることの意味を求めるものではないだろうか。いつの時代においても、若者は、生きることの意味を考え、その意味を求めて悩み続けてきている。二千年以上も前のギリシャに生きた哲人たちも、今から百年ほど前に生きていた明治時代の日本人にしても、生きることの意味を求めて考え悩んでいた。
そうした悩み、それは今の時代でも人間として同じように抱いているものなのだろうが、そうした心の底から生まれてくる本質的な問題が、文化や文明の加速度的な変化の中で覆い隠されてきているのではないだろうか。TVもスマホもない静かな世界の中に身を置くとき、必ず心の底から、生きることの意味を問いてくる心の声があるはずなのだが、そうした心の声に耳を傾けさせないような環境が出来上がってきてしまっているのであろう。
そうした心の声に気づき始めた人たちは、激しい社会の動きの中で、自身の心の内を見つめようと、瞑想する時を求めたり、実践したりしているが、そこにこそ、人間の本来目指しているものがあるように思える。時の流れに左右されず、文化や文明の変化に左右されることなく、いつの時代にも、人間誰もの心の底から呼びかけている人生いかに生きるべきかという問い、その問いに答えを自ら得ることの中に、人間が本当に目指しているものが隠されているように思える。
目に見える世界の中での激しい動きの中で、一人一人が自らの努力によって、静寂な世界を作り出し、その中で、人間として生まれてきたことの意味をじっくりと考える、そうした時を持つことこそ、この激しく動き回る世界の中で人間として生きていくための一つの自衛策なのではないだろうか。
次回の討議を平成28年7月22日(金)とした。 以 上
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