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第97回 「意志」

開催日時
平成16年5月24日(月) 14:00〜17:00
開催場所
東京ウィメンズプラザ
参加者
広野、土岐川、山崎、桐、下山、松本、井桁、望月

討議内容

今回は、「意志」と題して議論した。意志とは、何かの目的のために行動を促す力であるが、その目的には意識が関与する目的と、必ずしも意識の関与することのない目的とがありそうだ。

仕事に失敗したり、夢が破れて落ち込んだりしているようなとき、自分自身で自分を励まし、新たな行動へと駆り立てるような意志力は意識的に働く意志である。我々の日常行動は、この意識できる意志で行われていることがほとんどである。そこには自分自身で作った目的がある。仕事に出かけるのも、遊tびに出かけるのも、自分自身で作り上げた目的に向かっての意識できる意志による行動である。

ところが、のどが渇いたので水を飲んだり、おなかがすいたから食事をしたりという意志は、生理的な欲求が水を求めさせたり、食物を求めさせたりしているのであって、必ずしも意識の関与する目的であるとは言えない。もちろん、水を求める行動や食物を求める行動は、意識した意志によるけれども、それらを促しているのは、意識した意志ではなさそうだ。とすると、われわれの行動は、生理的欲求に代表されるように、意識することのできない意志と、その欲求を感じて行動を促す意識できる意志との連携によっているということになってくる。

意識を失った人間にどんなに生理的欲求が内から上がってきたとしても、その欲求を満たすために行動することはできないように、意識できない意志だけでは行動することはできない。でも、その一方で、何かを表現したいのだけれども、その何かが心の内から浮かび上がってこないために、たとえ意識がはっきりと目覚めていたとしても、何も行動することのできない時もある。

こう考えてくると、我々の行動は、確かに意識と係わってなされてはいるが、その行動をうながす心の奥に、意識できない力が働いているのも確かなことのように思われる。そして、先に述べたように、生理的欲求によって行動するその行動力が意識とかかわっているとすると、人間と同じように生理的欲求の現れてくる動物の行動も意識とかかわっているということになってくる。

こう見てくると、人間だけにある意識的意志が、動物の行動にも、昆虫の行動にも働きかけているように思えてくる。そして、それらの行動ができるのは、手や足など、行動をうながす器官が意識と結びついているからであり、動物や昆虫あるいは鳥や魚といった生物は、行動をうながす器官が意識的に働くような生命体として誕生してきたということであろう。ただ、人間だけが、行動をうながす意識的な器官として、手や足の他に、頭脳という思考器官を得ているということだ。そして、その頭脳が意識と係わって働いているので、我々の行動が動物にはない意識によって促されているものと錯覚しているのではないだろうか。

体に障害を持ってしまって、意識的に体を動かすことのできなくなってしまった人は、意識的意志はあるけれども、行動することができなくなってしまう。何かをしようとする意志は働いているのに、外の世界にはそれを表現することができないために、外から見れば、そこには意志などないように思えてしまう。しかし、その人には、意志がしっかりと抱かれている。

こう考えてくると、意志とは、何かを行動させようとする発火点のような働きをするものであり、その意志のしもべとして、意識や、意識と係わった器官が生まれてきたということではないだろうか。そして、森羅万象の中をその意志は貫いていて、その意志によって動きなり、行動なりができるような完成されたものとして生命体は生まれてきたものと考えられる。したがって、高等な生物になればなるほど、例えば人間の頭脳のように、意志に連動する器官が複雑になってきて、それだけ意志のままに行動できないような障害の頻度も多くなってくるということになる。

これまでは、意識と係わった意志を主として考えてきたが、我々の体の中には、意識と係わらない営みが日常茶飯に行われている。体を作る一つ一つの細胞の営みから、心臓、肺臓などの臓器の営みなど、そこには、意識のない意志が貫かれている。そして、その意識のない意志の営みの一部が生理的欲求となって意識の上に浮かび上がってきている。

このように、一つ一つの細胞はもちろんのこと、その細胞を形作っている原子や分子の世界においても、意識のない意志が貫かれていて、その意識のない意志の現れが物理学がとらえている力であるとか運動ということになっているのではないだろうか。そして、そういった物理的な力や運動が、ある規則の中で営まれているのと同じように、案外と人間が意識的に行動していることも、その根底には、無意識的な規則があって、ある枠の中に入れられているのかもしれない。ニーチェも、「ある哲学者の大概の意識的な思惟は、その本能によってひそかに導かれ、一定の軌道を進むように強いられている」と述べているように、人間の宇宙を探検しようとする探究心も、原子やクォークの世界を探求しようとする探究心も、その根底には、生命そのものの根源を知らしめようとする無意識の世界に宿る生命の意志の働きがあるのかもしれない。そして、意志とは、生命の抱いている指向性への引力のようにも思えてくるのだが。

次回の討議を平成16年7月29日(木)とした。
以 上

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