- 2015-12-07 (月) 12:37
- 2015年レポート
- 開催日時
- 平成27年11月27日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 「意志」について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 下山、高須、大瀧、木村、湯川、望月
討議内容
今回から新たに二人の方が参加してくれました。木村さんは、外資系金融企業で長年活躍され、アメリカとの間を頻繁に行き来する生活をされてきています。論理的思考というより、感性で考えるタイプだとのことです。湯川さんは、大学で哲学を教えられてきていて、特に中国思想や西周について深く研究されてきているとのことです。それぞれの経験を基盤に、新たな風を吹かせていただくことを期待しています。
今回は意志について議論した。意志とは何かということの議論を始める前に、日本人と西欧人との意志の現れについて若干議論してみた。アメリカでの長い生活体験をされてきた木村さんによると、アメリカ人は、日々の生活の中で、自身の思いをはっきりと意志として表現していて、意志をはっきりと表現することが個性であり、企業との契約にしても個々人の意志をはっきりと表現しているとのこと。英語のWILLは、まさにその意志をはっきりと表現している言葉だという。
これに対して、日本人は、日常生活の中で、意志をはっきりと表現することが必ずしも美徳ではなく、むしろ自分の意志をあいまいにしておく方が、人格的に評価が高いという感覚がある。日本にはそうした風土があるのだろうか、日本人の契約社員のほとんどは、一方的に企業側から条件が提示され、自身の思いをはっきりと表現することが難しい状況にあるようだ。
さて、その意志とは一体何なんだろうか。一つ確実に言えることは、自身の抱いた思いを行動に移していくかいかないかのスイッチは意志によってなされているということだ。どんなにやりたいことがあっても、意志のスイッチが入らない限り、行動となって表現されることはない。とすると、現象の世界に動きとなって表出しているものには、意志ともいえるものが存在していることになる。素粒子のふるまいから、細胞のふるまい、そして、昆虫や動物に至るまで、全てが動き回っている。それは、素粒子から人間に至るまでのありとあらゆるものに意志があることを物語っているのではないだろうか。
こう考えてくると、物理学のとらえている力というのも、ある意味意志の現われだと考えることができる。そして、その力によってもたらされる動きは、物理学の世界では運動となり、人間社会では行動ということになってくる。ただ、素粒子にしても、昆虫にしても、ある規則的な動きをしていて、それを物理学の世界では、法則としてとらえ、生物学の世界では本能としてとらえているということなのだろう。
意志のスイッチをオンにしたりオフにしたりするのは、欲求に基づくものであろう。お腹がすいたら何かを食べたい欲求にかられる。すると食べ物を求めて行動することになる。そこには、欲求に基づいた意志の表れがある。その欲求は、本能と係わっている。だから、人間も含めて、意志の表れとしての動きや行動の基本には本能による欲求がある。
ただ、特に人間の場合には、動物的な欲求に基づく行動を阻止しようとする意志が働くことがある。食べたいけれども、今は我慢をしておくというようなとき、その我慢をうながしているのもある動機に基づいた意志の働きである。たばこを吸いたいという欲求に対して、たばこは健康を害するからやめた方がいいというもう一つの動機が、シーソーの対極にそれぞれあるように働いているとき、その支点に立っているのが意志の存在であろう。意志が強い、弱いというときの強さ弱さは、動物的な欲求に打ち勝って、人間的な動機に従おうとする意志の働きに対して用いられているように思える。
こうして考えてくると、人間以外の生物や物は、本能といわれるものに促されて動き、行動しているために、意志のスイッチは、本能と連動しているとも考えられる。すなわち、人間以外の生物や物は、意志と本能とが表裏一体となったもののように思える。これに対して、人間の意志は、動物的欲求、これは動物では本能という言葉で表現されているが、その動物的欲求と、もう一つ人間的な欲求、それは向上心ともいえるものだが、その人間的な欲求とが、先のシーソーの譬えのように、対極にあって、意志はその支点において、右か左かを決めているような存在に思えてくる。
ただ、人間の場合には、意志の強さ、弱さという表現がされるように、その意志の示していることは、向上心ともいえる人間的欲求に向けて行動することへ心をうながしているものが意志ということになってくるのではないだろうか。意志が、単に物や生物を動かしているスイッチ的なものではなく、人間だけに与えられている向上心へと向かわしめる力を意志と感じ取っているのかもしれない。だから、動物的本能に基づいた行動は、意志でもなんでもなく、倫理的なこと、道徳的なこと、さらには自己実現といわれる精神的進化に向けての行動を意志ととらえているということではないだろうか。だから、悪事を働くことには、意志の強さ弱さという表現はしないけど、精神的に高まることに努力していることに対しては強さ弱さが指し示されているように思える。こうした意味での意志は、哲学の世界で言われている自由意志と深く係わっているのであろうが、そのことに関しては一つの課題として残された。
次回の討議を平成28年1月15日(金)とした。 以 上
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