- 2016-08-11 (木) 16:28
- 2016年レポート
- 開催日時
- 平成28年7月22日(金) 14:00~17:00
- 討議テーマ
- 「創造」について
- 開催場所
- 東京ウィメンズプラザ
- 参加者
- 大瀧、望月
討議内容
今回は創造について議論した。創造という言葉によってイメージされることは、今までになかったものや考えを新たに生み出すことということであるが、その創造を改めて考えてみると、そこには、不可解な秘密が隠されていることが分かってくる。
創造という言葉によって、連想されるのは、人間の道具や機械を生み出す力であろう。飛行機を飛ばしたり、車を生み出したり、電話やTVを登場させたりと、そこには確かにそれまでになかったものを生み出す創造の力が潜んでいる。でも、何もなかったところから全く新たなものを生み出すことなど本質的に不可能なことであろう。人間が飛行機を作ろうと考え付いたのも、そこには鳥のように空高く飛んでみたいという夢や思いがあったからであり、手本としての鳥が存在していた。
車の登場にしても、馬車という前身があるし、その馬車も、丸太や丸い石が転がるという経験則から生まれてきたものであろう。古代遺跡であるストーンヘンジやピラミッドの建設には、大きな石が使われているが、そうした石の運送にも丸太が使われていたと考えられている。車の登場には、丸いものは転がるという基本的なものを人類が古代にすでに発見していたことによる。その丸いものが転がるという発見にしても、丸い木の実が転がったり、丸い石が坂を転がったりと、自然の営みが人間にそうした事実を指し示してくれていたからであろう。
確かに車は人間の英知によって創造されたものではあるけれど、その車が突然生み出されたものではなく、それ以前に存在していた考えや物の存在を基盤にして新たなものが生み出されてきているというのが理解できる。創造といっても、無から有を生み出すことなどできはしないであろう。もともと存在していたものを組み合わせたり、工夫したりして新たなものを生み出している。その生み出すプロセスの中に創造の力が発揮されているということだ。
それと、ただ組み合わせたり工夫したりする力があったとしても、そうした力に火をつけるための目的なり目標なりが心の中に生まれてこなくては、創造の力も発揮できはしないであろう。だから、何かを創造しようとする前に、目的なり目標なりが生み出される必要があるが、その目標や目的を生み出しているものが、人間の抱く夢であったり、欲求であったり、必要性であったりする。必要は発明の母であるといわれるように、新たなものを生み出す前には、必ず目標や目的がなくては、創造の力も発揮できない。だから、創造性を高めるには、夢や目的をしっかり持つことが一番ということになってくる。したがって、創造とは、夢や探求心、好奇心といったものによって引き出される目的を基本に、既存のものを組み合わせたり、工夫したりして新たなものを生み出す営みであるということになってくる。
こうしたことを考えてくると、宇宙の誕生、生命体の誕生というのにしても、新たなものが生み出される前には、必ずそれに先立った何かが存在していなければ、新たなものが生み出されることなどないということになってくる。この世のあらゆる生物が突然変異と自然淘汰によって生み出されてきたとするダーウィンの進化論にしても、その根底には、生命体の存在を前提にしている。この宇宙の始まりはビッグバンによるとする宇宙物理学にしても、必ず直面する問題は、そのビッグバンが起きる前はどうだったのか、何がビッグバンの引き金になったのかという問題であろう。
一方、聖書の語るように、神が宇宙も生物も、そして人間をも創造したとなると、その創造の前提には、既存のものの存在が不可欠である。とすると、既存のものとしては、あり続けているなにかとしか言いようがないであろう。そのあり続けているものを生命と表現したり、神と表現したりしているのではないだろうか。
また、創造の営みを考えてみると、既存のものが複数あって、そうしたものを組み合わせて新たなものを作り上げたとしても、出来上がったものは必ず全体で一つということだ。すなわち、創造の営みは、いくつもの部分を秩序立てて組み合わせ、全体で一つのものを生み出すことということになる。したがって、創造の産物は、全体としてみれば必ず秩序だっていて、調和したものになっているということだ。車の誕生にしても、そこには何千、何万という部品が使われているが、その一つ一つが秩序だって組み合わされていることで、全体で一つの車としての機能が生み出されることになる。
科学の探求は、物を事細かく分解し、原子や分子、さらには素粒子と分析してきているが、その科学のたどり着いた世界は、こうした素粒子や原子、分子というものの秩序と調和の世界である。同じように、生物学が、細胞を細かく分析し、ゲノム、DNAといった物質を解明してきているが、その生物学がたどり着いた世界も、物理学のたどり着いた世界と同様、そうしたものの秩序と調和の世界である。
こうしたことを考えると、この世に存在しているもののありとあらゆるものの内に、目には見えない創造の営みが秘められていることが分かってくる。まだ、進化論の世界では、進化か創造か結論は出てはいないけれど、もし、人間が聖書に書かれているように、神の似姿として創造されたと考えるなら、そこには、人間を生み出す神の目的なり、夢なりが存在しているはずである。そして、もしそうだとするなら、人間として生まれてきた一人一人には、秘められた生きる目的があるはずなのだ。その目的とはいったい何なのか。それこそ、一人一人の中に秘められた創造の目指すべき世界のように思えてくる。
次回の討議を平成28年9月23日(金)とした。 以 上
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