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人文研について
新生人間文化研究会の開催について
- 2013-09-28 (土)
- 人文研について
平成25年8月
人間社会は一体どこに向かって歩んで行くのでしょうか。近年の科学および科学技術の発展によって、私たちの生活環境は、様々な情報が行きかい、便利で快適なものになってきました。しかし、その一方で、未来に対する様々な社会不安も同時に増大してきています。お金のかかる社会保障、先の見えない原発事故処理、道路やビルの老朽化、雇用不安、高齢化社会の中での孤独死などなど、人類の幸福のためにと行ってきた様々な取り組みが、それとはずれた方向に進んできてしまっているように思えます。それは、一人ひとりが静かに自分自身を見つめる機会を失ってきてしまっているからなのかもしれません。そして、目に見える世界での華やかさとは対照的に、目に見えないけれど、人が生きていく上できわめて大切なものをどこかに置き忘れてきてしまったのかもしれません。その大切なものとは、一人ひとりが自分自身の心の内を見つめ、無意識の世界に意識の明かりを灯していくことではないでしょうか。人間文化研究会は、自由に討論することで、参加者一人ひとりが、自身の心の内を見つめることを目的に22年間続けてきました。その目的は今でも変わっていません。ただ、ここで初心に帰り、その目的を見つめ直し、気持ちを新たに再開したいという思いから、人間文化研究会を第一回≪人間文化研究会≫として新たにスタートすることにしました。多くの皆様の参加をお待ちしています。
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人間文化研究会閉会の辞
- 2013-03-20 (水)
- 人文研について
平成25年8月
人間社会は一体どこに向かって歩んで行くのでしょうか。近年の科学および科学技術の発展によって、私たちの生活環境は、様々な情報が行きかい、便利で快適なものになってきました。しかし、その一方で、未来に対する様々な社会不安も同時に増大してきています。お金のかかる社会保障、先の見えない原発事故処理、道路やビルの老朽化、雇用不安、高齢化社会の中での孤独死などなど、人類の幸福のためにと行ってきた様々な取り組みが、それとはずれた方向に進んできてしまっているように思えます。それは、一人ひとりが静かに自分自身を見つめる機会を失ってきてしまっているからなのかもしれません。そして、目に見える世界での華やかさとは対照的に、目に見えないけれど、人が生きていく上できわめて大切なものをどこかに置き忘れてきてしまったのかもしれません。その大切なものとは、一人ひとりが自分自身の心の内を見つめ、無意識の世界に意識の明かりを灯していくことではないでしょうか。人間文化研究会は、自由に討論することで、参加者一人ひとりが、自身の心の内を見つめることを目的に22年間続けてきました。その目的は今でも変わっていません。ただ、ここで初心に帰り、その目的を見つめ直し、気持ちを新たに再開したいという思いから、人間文化研究会を第一回≪人間文化研究会≫として新たにスタートすることにしました。多くの皆様の参加をお待ちしています。
平成25年3月吉日 望月 清文
人間文化研究会は、皆様のお陰によりまして、開催以来丸22年、150回を迎えることができました。22年前、当時は、まだバブルが崩壊する以前の経済的には極めて華々しい時期にありました。そんな中で、生きることの意味を模索しながら、人間の内面に秘められた世界を探求してみたいという思いから、異分野の人たちが集まって、一つのテーマについて自由に討論するという、いわば集団哲学の場を作りました。以下の回顧録は、平成22年、今から2年ほど前、本研究会が丸20年を迎えた時に書いたものですが、この会を閉じるに当たり、その時の回顧録を再度ここに掲載させていただきました。
この研究会が始まったのは、今から22年ほど前、1990年11月、当時私は、KDDの研究所に所属しておりまして、光の研究から人間の研究へと研究テーマを変えたばかりの時で、文化的な議論のできる仲間を求めて、先ずは、できたばかりのサントリー不易流行研究所を訪ねることにしました。そこで出会ったのが佐藤さんで、佐藤さんのネットワークによって、何名かのメンバーを募り、赤坂のサントリービルで第一回を開催しました。大阪ガスの古館さん、広告代理店の多田さんを核のメンバーとして、それから、月に一度のペースで開催し、身近なテーマを取り上げて議論してまいりました。2カ月に一度のペースが定着しましたのは、5年ほどたってからだったと思います。
始めの頃は、メンバーもあまり多くはいなかったのですが、3年ほど過ぎた頃から、新しい参加者が毎回のように現れてきまして、のべ100名ほどのメンバーになっていた時期があります。実地研究ということでディズニーランドをメンバーで訪れたり、京都、鎌倉そして湘南で合宿することもありました。50回記念大会は、広野さんのご尽力により、早稲田大学の国際会議場で、50名ほどの参加者を迎え、記念にふさわしい会となりました。会の案内看板も、土岐川さんのデザイン力と印刷力とによって、大きくて立派なものを早稲田大学の入口に立てることができました。この会を機縁として、山崎さん、桐さんがその後10年ほどの間、積極的に参加してくださいました。ここ数年は、新たな参加者も少なく、土岐川さん、下山さん、大瀧さん、松本さんの4名が核になり、時として、15年以上前から参加されている塚田さんが顔を見せてくれて議論するという会になってきていました。
人間文化研究会の会場も、サントリーの会議室から、KDDの会議室へ、そして、現在開催しています東京ウィメンズプラザへという風に転々と変化してまいりました。討議の後はいつも近くの居酒屋で、語りつくせなかったことを何時間も語り合うことが続けられてきました。この会は、山形県にも飛び火しまして、今から9年ほど前から、山形県酒田市、鶴岡市を中心にして、年に1回、一泊二日の哲学の会が開かれています。この会では山形県鶴岡市在住の菅原さんに大変お世話になっています。
人間文化研究会の討議内容に関しましては、討議の内容を基本に、私の独断で報告させていただきました。この報告は、メーリングリストに記録されている人たちに送られますと同時に、人間文化研究会のホームページ(http://jinbunken.net/)にも掲載されてきました。このホームページは、高須さんが土岐川さんのアドバイスのもと、ボランティアで作成してくださいました。過去の討議内容がしっかりと整理されていて、とても使いやすいホームページになっています。また、メーリングリストの管理は、広野さんにお世話になってきました。
世の中は、科学技術によって便利になり、快適になってきています。電車に乗っても、街を歩いていても、スマートフォンを手にする人たちを頻繁に見かけるようになってきています。それだけ、人の関心が、視覚や聴覚といった五感と係わった刺激に傾いてきているということでしょうか。ただ、どんなにそうした刺激が豊かになっても、結局、人は人を超えることはできないものです。人として生まれてきている限り、生きることの意味を考え、死ぬことの恐怖から身を守ろうとすることでしょう。
そうした、1000年も、2000年も変わることのない人間の関心事は、どんなに人間社会が便利になり、物質的に豊かになったとしても、変わることなくあり続けていくことでしょう。そして、そうしたことへの解答は、科学では決して獲得できないものであることにも人は気づいてくることでしょう。如何に生きるのか、それは哲学をすること、知恵を成長させることの中でしか得ることのできない命題なのだと思います。今、日本は、哲学をもたないリーダーによって動かされています。政治にしても、経営にしても、そして教育にしても、哲学を基盤にした信念をもってそうしたことに対峙している人は極めて少ないのではないでしょうか。そうした時代に生きる一人として、22年余りの間、人間文化研究会の中で、多くの人たちと人間の本質的なテーマに関して議論できたことを幸せに思っています。人間文化研究会は150回という一つの節目を区切りとして、今回でひとまず閉会としますが、また近いうちに、新たな気持ちで、人間文化研究会を再開したいと思っています。これまでにお世話になった多くの方々に感謝の思いを伝えるために、つたない私の人間文化研究会閉会の辞を記させていただきました。
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人間文化研究会20年を振り返って
- 2010-12-16 (木)
- 人文研について
平成25年8月
人間社会は一体どこに向かって歩んで行くのでしょうか。近年の科学および科学技術の発展によって、私たちの生活環境は、様々な情報が行きかい、便利で快適なものになってきました。しかし、その一方で、未来に対する様々な社会不安も同時に増大してきています。お金のかかる社会保障、先の見えない原発事故処理、道路やビルの老朽化、雇用不安、高齢化社会の中での孤独死などなど、人類の幸福のためにと行ってきた様々な取り組みが、それとはずれた方向に進んできてしまっているように思えます。それは、一人ひとりが静かに自分自身を見つめる機会を失ってきてしまっているからなのかもしれません。そして、目に見える世界での華やかさとは対照的に、目に見えないけれど、人が生きていく上できわめて大切なものをどこかに置き忘れてきてしまったのかもしれません。その大切なものとは、一人ひとりが自分自身の心の内を見つめ、無意識の世界に意識の明かりを灯していくことではないでしょうか。人間文化研究会は、自由に討論することで、参加者一人ひとりが、自身の心の内を見つめることを目的に22年間続けてきました。その目的は今でも変わっていません。ただ、ここで初心に帰り、その目的を見つめ直し、気持ちを新たに再開したいという思いから、人間文化研究会を第一回≪人間文化研究会≫として新たにスタートすることにしました。多くの皆様の参加をお待ちしています。
平成25年3月吉日 望月 清文
人間文化研究会は、皆様のお陰によりまして、開催以来丸22年、150回を迎えることができました。22年前、当時は、まだバブルが崩壊する以前の経済的には極めて華々しい時期にありました。そんな中で、生きることの意味を模索しながら、人間の内面に秘められた世界を探求してみたいという思いから、異分野の人たちが集まって、一つのテーマについて自由に討論するという、いわば集団哲学の場を作りました。以下の回顧録は、平成22年、今から2年ほど前、本研究会が丸20年を迎えた時に書いたものですが、この会を閉じるに当たり、その時の回顧録を再度ここに掲載させていただきました。
この研究会が始まったのは、今から22年ほど前、1990年11月、当時私は、KDDの研究所に所属しておりまして、光の研究から人間の研究へと研究テーマを変えたばかりの時で、文化的な議論のできる仲間を求めて、先ずは、できたばかりのサントリー不易流行研究所を訪ねることにしました。そこで出会ったのが佐藤さんで、佐藤さんのネットワークによって、何名かのメンバーを募り、赤坂のサントリービルで第一回を開催しました。大阪ガスの古館さん、広告代理店の多田さんを核のメンバーとして、それから、月に一度のペースで開催し、身近なテーマを取り上げて議論してまいりました。2カ月に一度のペースが定着しましたのは、5年ほどたってからだったと思います。
始めの頃は、メンバーもあまり多くはいなかったのですが、3年ほど過ぎた頃から、新しい参加者が毎回のように現れてきまして、のべ100名ほどのメンバーになっていた時期があります。実地研究ということでディズニーランドをメンバーで訪れたり、京都、鎌倉そして湘南で合宿することもありました。50回記念大会は、広野さんのご尽力により、早稲田大学の国際会議場で、50名ほどの参加者を迎え、記念にふさわしい会となりました。会の案内看板も、土岐川さんのデザイン力と印刷力とによって、大きくて立派なものを早稲田大学の入口に立てることができました。この会を機縁として、山崎さん、桐さんがその後10年ほどの間、積極的に参加してくださいました。ここ数年は、新たな参加者も少なく、土岐川さん、下山さん、大瀧さん、松本さんの4名が核になり、時として、15年以上前から参加されている塚田さんが顔を見せてくれて議論するという会になってきていました。
人間文化研究会の会場も、サントリーの会議室から、KDDの会議室へ、そして、現在開催しています東京ウィメンズプラザへという風に転々と変化してまいりました。討議の後はいつも近くの居酒屋で、語りつくせなかったことを何時間も語り合うことが続けられてきました。この会は、山形県にも飛び火しまして、今から9年ほど前から、山形県酒田市、鶴岡市を中心にして、年に1回、一泊二日の哲学の会が開かれています。この会では山形県鶴岡市在住の菅原さんに大変お世話になっています。
人間文化研究会の討議内容に関しましては、討議の内容を基本に、私の独断で報告させていただきました。この報告は、メーリングリストに記録されている人たちに送られますと同時に、人間文化研究会のホームページ(http://jinbunken.net/)にも掲載されてきました。このホームページは、高須さんが土岐川さんのアドバイスのもと、ボランティアで作成してくださいました。過去の討議内容がしっかりと整理されていて、とても使いやすいホームページになっています。また、メーリングリストの管理は、広野さんにお世話になってきました。
世の中は、科学技術によって便利になり、快適になってきています。電車に乗っても、街を歩いていても、スマートフォンを手にする人たちを頻繁に見かけるようになってきています。それだけ、人の関心が、視覚や聴覚といった五感と係わった刺激に傾いてきているということでしょうか。ただ、どんなにそうした刺激が豊かになっても、結局、人は人を超えることはできないものです。人として生まれてきている限り、生きることの意味を考え、死ぬことの恐怖から身を守ろうとすることでしょう。
そうした、1000年も、2000年も変わることのない人間の関心事は、どんなに人間社会が便利になり、物質的に豊かになったとしても、変わることなくあり続けていくことでしょう。そして、そうしたことへの解答は、科学では決して獲得できないものであることにも人は気づいてくることでしょう。如何に生きるのか、それは哲学をすること、知恵を成長させることの中でしか得ることのできない命題なのだと思います。今、日本は、哲学をもたないリーダーによって動かされています。政治にしても、経営にしても、そして教育にしても、哲学を基盤にした信念をもってそうしたことに対峙している人は極めて少ないのではないでしょうか。そうした時代に生きる一人として、22年余りの間、人間文化研究会の中で、多くの人たちと人間の本質的なテーマに関して議論できたことを幸せに思っています。人間文化研究会は150回という一つの節目を区切りとして、今回でひとまず閉会としますが、また近いうちに、新たな気持ちで、人間文化研究会を再開したいと思っています。これまでにお世話になった多くの方々に感謝の思いを伝えるために、つたない私の人間文化研究会閉会の辞を記させていただきました。
平成22年12月吉日
望月 清文
人間文化研究会は、皆様のお陰によりまして、開催以来この11月で丸20年を迎えることができました。20年前、当時は、まだバブルが崩壊する以前の経済的には極めて華々しい時期にありました。そんな中で、生きることの意味を模索しながら、人間の内面に秘められた世界を探求してみたいという思いから、異分野の人たちが集まって、一つのテーマについて自由に討論するという、いわば集団哲学の場を作りました。
当時私は、KDDの研究所に所属しておりまして、光の研究から人間の研究へと研究テーマを変えたばかりの時で、文化的な議論のできる仲間を求めて、先ずは、できたばかりのサントリー不易流行研究所を訪ねることにしました。そこで出会ったのが佐藤さんで、佐藤さんのネットワークによって、何名かのメンバーを募り、1990年11月、赤坂のサントリービルで第一回を開催しました。大阪ガスの古館さん、広告代理店の多田さんを核のメンバーとして、それから、月に一度のペースで開催し、身近なテーマを取り上げて議論してまいりました。2カ月に一度のペースが定着しましたのは、5年ほどたってからだったと思います。
始めの頃は、メンバーもあまり多くはいなかったのですが、3年ほど過ぎた頃から、新しい参加者が毎回のように現れてきまして、のべ100名ほどのメンバーになっていた時期があります。実地研究ということでディズニーランドをメンバーで訪れたり、京都、鎌倉そして湘南で合宿することもありました。50回記念大会は、広野さんのご尽力により、早稲田大学の国際会議場で、50名ほどの参加者を迎え、記念にふさわしい会となりました。会の案内看板も、土岐川さんのデザイン力と印刷力とによって、大きくて立派なものを早稲田大学の入口に立てることができました。この会を機縁として、山崎さん、桐さんがその後10年ほどの間、積極的に参加してくださいました。ここ数年は、新たな参加者も少なく、土岐川さん、下山さん、大瀧さんの3名が核になり、時として、15年以上前から参加されている塚田さんが顔を見せてくれて議論するという会になっています。
人間文化研究会の会場も、サントリーの会議室から、KDDの会議室へ、そして、現在開催しています東京ウィメンズプラザへという風に転々と変化してまいりました。討議の後はいつも近くの居酒屋で、語りつくせなかったことを何時間も語り合うことが今でも続けられています。この会は、山形県にも飛び火しまして、今から7年ほど前から、山形県酒田市、鶴岡市を中心にして、年に1回、一泊二日の哲学の会が開かれています。この会では山形県鶴岡市在住の菅原さんに大変お世話になっています。
人間文化研究会の討議内容に関しましては、討議の内容を基本に、私の独断で報告させていただいています。この報告は、メーリングリストに記録されている人たちに送られますと同時に、人間文化研究会のホームページ(http://jinbunken.net/)にも掲載されています。このホームページは、高須さんが土岐川さんのアドバイスのもと、ボランティアで作成してくださいました。今回で136回を迎えますが、過去の討議内容がしっかりと整理されていて、とても使いやすいホームページになっています。また、メーリングリストの管理は、広野さんにお世話になっています。
100回を迎える頃から、これを区切りにという思いがちらついているのですが、20年という重みに、区切りを考えることより、未来を考えようという気持ちになってきております。世の中は、科学技術によって便利になり、快適になってきています。電車に乗っても、街を歩いていても、ケータイを手にする人たちを頻繁に見かけるようになってきています。それだけ、人の関心が、視覚や聴覚といった五感と係わった刺激に傾いてきているということでしょうか。ただ、どんなにそうした刺激が豊かになっても、結局、人は人を超えることはできないものです。人と生まれてきている限り、生きることの意味を考え、死ぬことの恐怖から身を守ろうとすることでしょう。
そうした、1000年も、2000年も変わることのない人間の関心事は、どんなに人間社会が便利になり、物質的に豊かになったとしても、変わることなくあり続けていくことでしょう。そして、そうしたことへの解答は、科学では決して獲得できないものであることにも人は気づいてくることでしょう。如何に生きるのか、それは哲学をすること、知恵を成長させることの中でしか得ることのできない命題なのだと思います。今、日本は、哲学をもたないリーダーによって動かされています。政治にしても、経営にしても、そして教育にしても、哲学を基盤にした信念をもってそうしたことに対峙している人は極めて少ないのではないでしょうか。そうした時代に生きる一人として、これからも、この人間文化研究会を推進していけたらと思います。過去の皆様はもちろんのこと、未来からくる皆さんをもお待ちしています。お世話になった皆様に感謝の思いを伝えるために、つたない私の人間文化研究会回顧録を記さしていただきました。
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人文研概要
- 2005-02-20 (日)
- 人文研について
平成25年8月
人間社会は一体どこに向かって歩んで行くのでしょうか。近年の科学および科学技術の発展によって、私たちの生活環境は、様々な情報が行きかい、便利で快適なものになってきました。しかし、その一方で、未来に対する様々な社会不安も同時に増大してきています。お金のかかる社会保障、先の見えない原発事故処理、道路やビルの老朽化、雇用不安、高齢化社会の中での孤独死などなど、人類の幸福のためにと行ってきた様々な取り組みが、それとはずれた方向に進んできてしまっているように思えます。それは、一人ひとりが静かに自分自身を見つめる機会を失ってきてしまっているからなのかもしれません。そして、目に見える世界での華やかさとは対照的に、目に見えないけれど、人が生きていく上できわめて大切なものをどこかに置き忘れてきてしまったのかもしれません。その大切なものとは、一人ひとりが自分自身の心の内を見つめ、無意識の世界に意識の明かりを灯していくことではないでしょうか。人間文化研究会は、自由に討論することで、参加者一人ひとりが、自身の心の内を見つめることを目的に22年間続けてきました。その目的は今でも変わっていません。ただ、ここで初心に帰り、その目的を見つめ直し、気持ちを新たに再開したいという思いから、人間文化研究会を第一回≪人間文化研究会≫として新たにスタートすることにしました。多くの皆様の参加をお待ちしています。
平成25年3月吉日 望月 清文
人間文化研究会は、皆様のお陰によりまして、開催以来丸22年、150回を迎えることができました。22年前、当時は、まだバブルが崩壊する以前の経済的には極めて華々しい時期にありました。そんな中で、生きることの意味を模索しながら、人間の内面に秘められた世界を探求してみたいという思いから、異分野の人たちが集まって、一つのテーマについて自由に討論するという、いわば集団哲学の場を作りました。以下の回顧録は、平成22年、今から2年ほど前、本研究会が丸20年を迎えた時に書いたものですが、この会を閉じるに当たり、その時の回顧録を再度ここに掲載させていただきました。
この研究会が始まったのは、今から22年ほど前、1990年11月、当時私は、KDDの研究所に所属しておりまして、光の研究から人間の研究へと研究テーマを変えたばかりの時で、文化的な議論のできる仲間を求めて、先ずは、できたばかりのサントリー不易流行研究所を訪ねることにしました。そこで出会ったのが佐藤さんで、佐藤さんのネットワークによって、何名かのメンバーを募り、赤坂のサントリービルで第一回を開催しました。大阪ガスの古館さん、広告代理店の多田さんを核のメンバーとして、それから、月に一度のペースで開催し、身近なテーマを取り上げて議論してまいりました。2カ月に一度のペースが定着しましたのは、5年ほどたってからだったと思います。
始めの頃は、メンバーもあまり多くはいなかったのですが、3年ほど過ぎた頃から、新しい参加者が毎回のように現れてきまして、のべ100名ほどのメンバーになっていた時期があります。実地研究ということでディズニーランドをメンバーで訪れたり、京都、鎌倉そして湘南で合宿することもありました。50回記念大会は、広野さんのご尽力により、早稲田大学の国際会議場で、50名ほどの参加者を迎え、記念にふさわしい会となりました。会の案内看板も、土岐川さんのデザイン力と印刷力とによって、大きくて立派なものを早稲田大学の入口に立てることができました。この会を機縁として、山崎さん、桐さんがその後10年ほどの間、積極的に参加してくださいました。ここ数年は、新たな参加者も少なく、土岐川さん、下山さん、大瀧さん、松本さんの4名が核になり、時として、15年以上前から参加されている塚田さんが顔を見せてくれて議論するという会になってきていました。
人間文化研究会の会場も、サントリーの会議室から、KDDの会議室へ、そして、現在開催しています東京ウィメンズプラザへという風に転々と変化してまいりました。討議の後はいつも近くの居酒屋で、語りつくせなかったことを何時間も語り合うことが続けられてきました。この会は、山形県にも飛び火しまして、今から9年ほど前から、山形県酒田市、鶴岡市を中心にして、年に1回、一泊二日の哲学の会が開かれています。この会では山形県鶴岡市在住の菅原さんに大変お世話になっています。
人間文化研究会の討議内容に関しましては、討議の内容を基本に、私の独断で報告させていただきました。この報告は、メーリングリストに記録されている人たちに送られますと同時に、人間文化研究会のホームページ(http://jinbunken.net/)にも掲載されてきました。このホームページは、高須さんが土岐川さんのアドバイスのもと、ボランティアで作成してくださいました。過去の討議内容がしっかりと整理されていて、とても使いやすいホームページになっています。また、メーリングリストの管理は、広野さんにお世話になってきました。
世の中は、科学技術によって便利になり、快適になってきています。電車に乗っても、街を歩いていても、スマートフォンを手にする人たちを頻繁に見かけるようになってきています。それだけ、人の関心が、視覚や聴覚といった五感と係わった刺激に傾いてきているということでしょうか。ただ、どんなにそうした刺激が豊かになっても、結局、人は人を超えることはできないものです。人として生まれてきている限り、生きることの意味を考え、死ぬことの恐怖から身を守ろうとすることでしょう。
そうした、1000年も、2000年も変わることのない人間の関心事は、どんなに人間社会が便利になり、物質的に豊かになったとしても、変わることなくあり続けていくことでしょう。そして、そうしたことへの解答は、科学では決して獲得できないものであることにも人は気づいてくることでしょう。如何に生きるのか、それは哲学をすること、知恵を成長させることの中でしか得ることのできない命題なのだと思います。今、日本は、哲学をもたないリーダーによって動かされています。政治にしても、経営にしても、そして教育にしても、哲学を基盤にした信念をもってそうしたことに対峙している人は極めて少ないのではないでしょうか。そうした時代に生きる一人として、22年余りの間、人間文化研究会の中で、多くの人たちと人間の本質的なテーマに関して議論できたことを幸せに思っています。人間文化研究会は150回という一つの節目を区切りとして、今回でひとまず閉会としますが、また近いうちに、新たな気持ちで、人間文化研究会を再開したいと思っています。これまでにお世話になった多くの方々に感謝の思いを伝えるために、つたない私の人間文化研究会閉会の辞を記させていただきました。
平成22年12月吉日
望月 清文
人間文化研究会は、皆様のお陰によりまして、開催以来この11月で丸20年を迎えることができました。20年前、当時は、まだバブルが崩壊する以前の経済的には極めて華々しい時期にありました。そんな中で、生きることの意味を模索しながら、人間の内面に秘められた世界を探求してみたいという思いから、異分野の人たちが集まって、一つのテーマについて自由に討論するという、いわば集団哲学の場を作りました。
当時私は、KDDの研究所に所属しておりまして、光の研究から人間の研究へと研究テーマを変えたばかりの時で、文化的な議論のできる仲間を求めて、先ずは、できたばかりのサントリー不易流行研究所を訪ねることにしました。そこで出会ったのが佐藤さんで、佐藤さんのネットワークによって、何名かのメンバーを募り、1990年11月、赤坂のサントリービルで第一回を開催しました。大阪ガスの古館さん、広告代理店の多田さんを核のメンバーとして、それから、月に一度のペースで開催し、身近なテーマを取り上げて議論してまいりました。2カ月に一度のペースが定着しましたのは、5年ほどたってからだったと思います。
始めの頃は、メンバーもあまり多くはいなかったのですが、3年ほど過ぎた頃から、新しい参加者が毎回のように現れてきまして、のべ100名ほどのメンバーになっていた時期があります。実地研究ということでディズニーランドをメンバーで訪れたり、京都、鎌倉そして湘南で合宿することもありました。50回記念大会は、広野さんのご尽力により、早稲田大学の国際会議場で、50名ほどの参加者を迎え、記念にふさわしい会となりました。会の案内看板も、土岐川さんのデザイン力と印刷力とによって、大きくて立派なものを早稲田大学の入口に立てることができました。この会を機縁として、山崎さん、桐さんがその後10年ほどの間、積極的に参加してくださいました。ここ数年は、新たな参加者も少なく、土岐川さん、下山さん、大瀧さんの3名が核になり、時として、15年以上前から参加されている塚田さんが顔を見せてくれて議論するという会になっています。
人間文化研究会の会場も、サントリーの会議室から、KDDの会議室へ、そして、現在開催しています東京ウィメンズプラザへという風に転々と変化してまいりました。討議の後はいつも近くの居酒屋で、語りつくせなかったことを何時間も語り合うことが今でも続けられています。この会は、山形県にも飛び火しまして、今から7年ほど前から、山形県酒田市、鶴岡市を中心にして、年に1回、一泊二日の哲学の会が開かれています。この会では山形県鶴岡市在住の菅原さんに大変お世話になっています。
人間文化研究会の討議内容に関しましては、討議の内容を基本に、私の独断で報告させていただいています。この報告は、メーリングリストに記録されている人たちに送られますと同時に、人間文化研究会のホームページ(http://jinbunken.net/)にも掲載されています。このホームページは、高須さんが土岐川さんのアドバイスのもと、ボランティアで作成してくださいました。今回で136回を迎えますが、過去の討議内容がしっかりと整理されていて、とても使いやすいホームページになっています。また、メーリングリストの管理は、広野さんにお世話になっています。
100回を迎える頃から、これを区切りにという思いがちらついているのですが、20年という重みに、区切りを考えることより、未来を考えようという気持ちになってきております。世の中は、科学技術によって便利になり、快適になってきています。電車に乗っても、街を歩いていても、ケータイを手にする人たちを頻繁に見かけるようになってきています。それだけ、人の関心が、視覚や聴覚といった五感と係わった刺激に傾いてきているということでしょうか。ただ、どんなにそうした刺激が豊かになっても、結局、人は人を超えることはできないものです。人と生まれてきている限り、生きることの意味を考え、死ぬことの恐怖から身を守ろうとすることでしょう。
そうした、1000年も、2000年も変わることのない人間の関心事は、どんなに人間社会が便利になり、物質的に豊かになったとしても、変わることなくあり続けていくことでしょう。そして、そうしたことへの解答は、科学では決して獲得できないものであることにも人は気づいてくることでしょう。如何に生きるのか、それは哲学をすること、知恵を成長させることの中でしか得ることのできない命題なのだと思います。今、日本は、哲学をもたないリーダーによって動かされています。政治にしても、経営にしても、そして教育にしても、哲学を基盤にした信念をもってそうしたことに対峙している人は極めて少ないのではないでしょうか。そうした時代に生きる一人として、これからも、この人間文化研究会を推進していけたらと思います。過去の皆様はもちろんのこと、未来からくる皆さんをもお待ちしています。お世話になった皆様に感謝の思いを伝えるために、つたない私の人間文化研究会回顧録を記さしていただきました。
1990年11月にスタートして以来、ほぼ2ヶ月に一回のペースで研究会を東京にて開催しております。
興味のある方ならどなたでも自由に参加できます。
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お問い合わせよりお願いいたします。
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会の主旨について
- 2004-11-26 (金)
- 人文研について
平成25年8月
人間社会は一体どこに向かって歩んで行くのでしょうか。近年の科学および科学技術の発展によって、私たちの生活環境は、様々な情報が行きかい、便利で快適なものになってきました。しかし、その一方で、未来に対する様々な社会不安も同時に増大してきています。お金のかかる社会保障、先の見えない原発事故処理、道路やビルの老朽化、雇用不安、高齢化社会の中での孤独死などなど、人類の幸福のためにと行ってきた様々な取り組みが、それとはずれた方向に進んできてしまっているように思えます。それは、一人ひとりが静かに自分自身を見つめる機会を失ってきてしまっているからなのかもしれません。そして、目に見える世界での華やかさとは対照的に、目に見えないけれど、人が生きていく上できわめて大切なものをどこかに置き忘れてきてしまったのかもしれません。その大切なものとは、一人ひとりが自分自身の心の内を見つめ、無意識の世界に意識の明かりを灯していくことではないでしょうか。人間文化研究会は、自由に討論することで、参加者一人ひとりが、自身の心の内を見つめることを目的に22年間続けてきました。その目的は今でも変わっていません。ただ、ここで初心に帰り、その目的を見つめ直し、気持ちを新たに再開したいという思いから、人間文化研究会を第一回≪人間文化研究会≫として新たにスタートすることにしました。多くの皆様の参加をお待ちしています。
平成25年3月吉日 望月 清文
人間文化研究会は、皆様のお陰によりまして、開催以来丸22年、150回を迎えることができました。22年前、当時は、まだバブルが崩壊する以前の経済的には極めて華々しい時期にありました。そんな中で、生きることの意味を模索しながら、人間の内面に秘められた世界を探求してみたいという思いから、異分野の人たちが集まって、一つのテーマについて自由に討論するという、いわば集団哲学の場を作りました。以下の回顧録は、平成22年、今から2年ほど前、本研究会が丸20年を迎えた時に書いたものですが、この会を閉じるに当たり、その時の回顧録を再度ここに掲載させていただきました。
この研究会が始まったのは、今から22年ほど前、1990年11月、当時私は、KDDの研究所に所属しておりまして、光の研究から人間の研究へと研究テーマを変えたばかりの時で、文化的な議論のできる仲間を求めて、先ずは、できたばかりのサントリー不易流行研究所を訪ねることにしました。そこで出会ったのが佐藤さんで、佐藤さんのネットワークによって、何名かのメンバーを募り、赤坂のサントリービルで第一回を開催しました。大阪ガスの古館さん、広告代理店の多田さんを核のメンバーとして、それから、月に一度のペースで開催し、身近なテーマを取り上げて議論してまいりました。2カ月に一度のペースが定着しましたのは、5年ほどたってからだったと思います。
始めの頃は、メンバーもあまり多くはいなかったのですが、3年ほど過ぎた頃から、新しい参加者が毎回のように現れてきまして、のべ100名ほどのメンバーになっていた時期があります。実地研究ということでディズニーランドをメンバーで訪れたり、京都、鎌倉そして湘南で合宿することもありました。50回記念大会は、広野さんのご尽力により、早稲田大学の国際会議場で、50名ほどの参加者を迎え、記念にふさわしい会となりました。会の案内看板も、土岐川さんのデザイン力と印刷力とによって、大きくて立派なものを早稲田大学の入口に立てることができました。この会を機縁として、山崎さん、桐さんがその後10年ほどの間、積極的に参加してくださいました。ここ数年は、新たな参加者も少なく、土岐川さん、下山さん、大瀧さん、松本さんの4名が核になり、時として、15年以上前から参加されている塚田さんが顔を見せてくれて議論するという会になってきていました。
人間文化研究会の会場も、サントリーの会議室から、KDDの会議室へ、そして、現在開催しています東京ウィメンズプラザへという風に転々と変化してまいりました。討議の後はいつも近くの居酒屋で、語りつくせなかったことを何時間も語り合うことが続けられてきました。この会は、山形県にも飛び火しまして、今から9年ほど前から、山形県酒田市、鶴岡市を中心にして、年に1回、一泊二日の哲学の会が開かれています。この会では山形県鶴岡市在住の菅原さんに大変お世話になっています。
人間文化研究会の討議内容に関しましては、討議の内容を基本に、私の独断で報告させていただきました。この報告は、メーリングリストに記録されている人たちに送られますと同時に、人間文化研究会のホームページ(http://jinbunken.net/)にも掲載されてきました。このホームページは、高須さんが土岐川さんのアドバイスのもと、ボランティアで作成してくださいました。過去の討議内容がしっかりと整理されていて、とても使いやすいホームページになっています。また、メーリングリストの管理は、広野さんにお世話になってきました。
世の中は、科学技術によって便利になり、快適になってきています。電車に乗っても、街を歩いていても、スマートフォンを手にする人たちを頻繁に見かけるようになってきています。それだけ、人の関心が、視覚や聴覚といった五感と係わった刺激に傾いてきているということでしょうか。ただ、どんなにそうした刺激が豊かになっても、結局、人は人を超えることはできないものです。人として生まれてきている限り、生きることの意味を考え、死ぬことの恐怖から身を守ろうとすることでしょう。
そうした、1000年も、2000年も変わることのない人間の関心事は、どんなに人間社会が便利になり、物質的に豊かになったとしても、変わることなくあり続けていくことでしょう。そして、そうしたことへの解答は、科学では決して獲得できないものであることにも人は気づいてくることでしょう。如何に生きるのか、それは哲学をすること、知恵を成長させることの中でしか得ることのできない命題なのだと思います。今、日本は、哲学をもたないリーダーによって動かされています。政治にしても、経営にしても、そして教育にしても、哲学を基盤にした信念をもってそうしたことに対峙している人は極めて少ないのではないでしょうか。そうした時代に生きる一人として、22年余りの間、人間文化研究会の中で、多くの人たちと人間の本質的なテーマに関して議論できたことを幸せに思っています。人間文化研究会は150回という一つの節目を区切りとして、今回でひとまず閉会としますが、また近いうちに、新たな気持ちで、人間文化研究会を再開したいと思っています。これまでにお世話になった多くの方々に感謝の思いを伝えるために、つたない私の人間文化研究会閉会の辞を記させていただきました。
平成22年12月吉日
望月 清文
人間文化研究会は、皆様のお陰によりまして、開催以来この11月で丸20年を迎えることができました。20年前、当時は、まだバブルが崩壊する以前の経済的には極めて華々しい時期にありました。そんな中で、生きることの意味を模索しながら、人間の内面に秘められた世界を探求してみたいという思いから、異分野の人たちが集まって、一つのテーマについて自由に討論するという、いわば集団哲学の場を作りました。
当時私は、KDDの研究所に所属しておりまして、光の研究から人間の研究へと研究テーマを変えたばかりの時で、文化的な議論のできる仲間を求めて、先ずは、できたばかりのサントリー不易流行研究所を訪ねることにしました。そこで出会ったのが佐藤さんで、佐藤さんのネットワークによって、何名かのメンバーを募り、1990年11月、赤坂のサントリービルで第一回を開催しました。大阪ガスの古館さん、広告代理店の多田さんを核のメンバーとして、それから、月に一度のペースで開催し、身近なテーマを取り上げて議論してまいりました。2カ月に一度のペースが定着しましたのは、5年ほどたってからだったと思います。
始めの頃は、メンバーもあまり多くはいなかったのですが、3年ほど過ぎた頃から、新しい参加者が毎回のように現れてきまして、のべ100名ほどのメンバーになっていた時期があります。実地研究ということでディズニーランドをメンバーで訪れたり、京都、鎌倉そして湘南で合宿することもありました。50回記念大会は、広野さんのご尽力により、早稲田大学の国際会議場で、50名ほどの参加者を迎え、記念にふさわしい会となりました。会の案内看板も、土岐川さんのデザイン力と印刷力とによって、大きくて立派なものを早稲田大学の入口に立てることができました。この会を機縁として、山崎さん、桐さんがその後10年ほどの間、積極的に参加してくださいました。ここ数年は、新たな参加者も少なく、土岐川さん、下山さん、大瀧さんの3名が核になり、時として、15年以上前から参加されている塚田さんが顔を見せてくれて議論するという会になっています。
人間文化研究会の会場も、サントリーの会議室から、KDDの会議室へ、そして、現在開催しています東京ウィメンズプラザへという風に転々と変化してまいりました。討議の後はいつも近くの居酒屋で、語りつくせなかったことを何時間も語り合うことが今でも続けられています。この会は、山形県にも飛び火しまして、今から7年ほど前から、山形県酒田市、鶴岡市を中心にして、年に1回、一泊二日の哲学の会が開かれています。この会では山形県鶴岡市在住の菅原さんに大変お世話になっています。
人間文化研究会の討議内容に関しましては、討議の内容を基本に、私の独断で報告させていただいています。この報告は、メーリングリストに記録されている人たちに送られますと同時に、人間文化研究会のホームページ(http://jinbunken.net/)にも掲載されています。このホームページは、高須さんが土岐川さんのアドバイスのもと、ボランティアで作成してくださいました。今回で136回を迎えますが、過去の討議内容がしっかりと整理されていて、とても使いやすいホームページになっています。また、メーリングリストの管理は、広野さんにお世話になっています。
100回を迎える頃から、これを区切りにという思いがちらついているのですが、20年という重みに、区切りを考えることより、未来を考えようという気持ちになってきております。世の中は、科学技術によって便利になり、快適になってきています。電車に乗っても、街を歩いていても、ケータイを手にする人たちを頻繁に見かけるようになってきています。それだけ、人の関心が、視覚や聴覚といった五感と係わった刺激に傾いてきているということでしょうか。ただ、どんなにそうした刺激が豊かになっても、結局、人は人を超えることはできないものです。人と生まれてきている限り、生きることの意味を考え、死ぬことの恐怖から身を守ろうとすることでしょう。
そうした、1000年も、2000年も変わることのない人間の関心事は、どんなに人間社会が便利になり、物質的に豊かになったとしても、変わることなくあり続けていくことでしょう。そして、そうしたことへの解答は、科学では決して獲得できないものであることにも人は気づいてくることでしょう。如何に生きるのか、それは哲学をすること、知恵を成長させることの中でしか得ることのできない命題なのだと思います。今、日本は、哲学をもたないリーダーによって動かされています。政治にしても、経営にしても、そして教育にしても、哲学を基盤にした信念をもってそうしたことに対峙している人は極めて少ないのではないでしょうか。そうした時代に生きる一人として、これからも、この人間文化研究会を推進していけたらと思います。過去の皆様はもちろんのこと、未来からくる皆さんをもお待ちしています。お世話になった皆様に感謝の思いを伝えるために、つたない私の人間文化研究会回顧録を記さしていただきました。
1990年11月にスタートして以来、ほぼ2ヶ月に一回のペースで研究会を東京にて開催しております。
興味のある方ならどなたでも自由に参加できます。
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私たちをとりまく宇宙環境は、今大きく方向を変え、新しい時代に向かって動き始めています。大は宇宙環境から、小は私たち自身の日常生活にいたるまで、何か今まで生きてきた時代の流れとは違った動きを感じます。
それは、物質重視の時代から、心重視の時代への変化とでも言えましょうか。
あるいは、外なる宇宙の開拓から、内なる宇宙への開拓の時代変化とでも言えましょうか。
外なる宇宙の飽くことのない開拓は、科学を生み、そして科学技術を生み出しました。その科学技術のおかげによって、私たちの日常生活は豊かになり、便利になりました。しかし、その一方で、私たちは、あまりにも外の世界だけに意識を向け、芸術や文化を生み出す根元となっている私たちの内なる世界の開拓に手を抜いてきてしまったような気がします。人間が生命体として生きている限り、私たちは外なる宇宙と内なる宇宙とに平等に意識の光を当てることが必要なのだと思います。科学技術の発達した今、私たちがさらに進化するためには、内なる宇宙に目を向け、人間とはなにか、自分とはなにかを考え、またその人間によって生み出されてくる文化について考えてみる必要があるのではないでしょうか。内なる世界に光を当てたとき、今まで発展してきた科学技術は、内と外とがバランスしたまったく新しい物を生み出すでしょうし、政治、経済、教育や文化活動においても、人間の進化を助けるものとしてさらに発展して行くものと思います。
本研究会では、人間の内なる世界に焦点を当て、内なる世界と密接な関係にある宗教、芸術、文化などについて議論していきたいと思います。
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